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WORKS

絆工房の仕事ぶり

color does not lie. — 絆工房が手がけた一枚一枚の記録

ここに並ぶのは、量産ではなく一枚一枚の記録だ。
スポーツチームのユニフォームも、企業のノベルティも、個人の一枚も、絆工房にとってはすべて同じ重さを持つ。色がブレないということは、その人への約束がブレないということだから。

Purple For Friendship And Friendly Support Instagram Post のコピー
絆工房ニューズレター初の海を渡る。届いた!グリーランド最北端のシオラパルク
2ヶ月に一度発行している絆工房のニューズレター。 61号は一般社団法人”アバンナット北極プロジェクト、代表山﨑哲秀さんでした。 (インタビュー記事はこちら→「北極は僕の生き方、人生そのものです」)   2022年11月から北極プロジェクト活動のため、 グリーンランドのシオラパルク(グリーンランド最北端の集落)に行かれています。 出来上がったニューズレター、今回国際便を利用して発送しました。 よくあるEMSで送ろうとしたところ、郵便局より 「現在、コロナの影響で グリーンランドは現在EMSでは送れないんです。」とのこと。 ならば、小型郵便物での国際便にしようしたところ 「以前と違って今は、手書きでなく通関電子データ送信義務化に伴って 郵便局のHPサイトから登録してデジタル入力になります」とのこと。 色んなところでデジタル化時代に突入。                 本当は、 出荷担当スタッフがクリスマス時期に入れるちょっとした プチスイーツセット(チョコ数個)も同封したかったのですが、 「全ての内容物、チョコレート1個でも明記及び金額も記入して下さいとのこと」。 アルファベットチョコレート1個いくら? キャンディー1個いくら? と考えると 絆工房のささやかなプチスイーツには値段はつけられない! それ以上の価値がある! ならば食べ物以外で山﨑さんに贈れるものを送ろうと。 そこで贈ったのがこちら。 出荷担当は、犬ぞりに乗ることを夢見て描いたそう。 日本はお鍋が美味しい季節。 北極は日本のような暖かいお鍋のような食文化では何を入れるのでしょうか。 そしてもう1つがお守りカード。 山崎さんの北極の最北端の中での活動の発展とプロジェクトに関わる全ての人の 健康をお祈りしてのお守りカード。 このお守りカードは、 豊岡市日高町にある氏神社の兵主神社、 出雲大社日高教会の立花英歳宮司様にご祈祷していただいたものです。 (詳しくはこちらの記事で→お守りカードに込めた絆工房の想い))   そして、 1月16日に郵便局から発送。 まだかな、まだ着かないかなーと案じているとついに 2月6日に無事届いたとのメールが。。 【山﨑様からのコメントメール】 あっという間に2月に突入しましたね! NLが無事に届きました。 ありがとうございます。ハガキとお守りも嬉しかったですよ~! こちらはあと1週間ほどで太陽が顔を出します。遅い初日の出ですね(笑)。 15日には日本から研究者が4名やってきて、観測サポートです。賑やかになりそう。 ではでは、また思い出したらメールくださいね。 山崎より シオラパルクにて 2023年2月5日 山﨑さんの日々の活動は↓でご覧になられますよ。 山﨑さんのパートナー、エスキモー犬の登場してます。 犬ぞり案内人...
絆のカタチ
【絆のカタチ】No. 61『北極は僕の生き方、人生そのものです』犬ぞり極地探検家の山﨑哲秀様
  世界初の5大陸最高峰登頂者、世界初の犬ぞり単独北極点到達成功者、世界初のマッキンリー冬期単独登頂成功、そしてその成功直後消息が途絶えた冒険家といば・・・植村直己氏。 今回の取材は、 その彼の著書「青春を山にかけて」を高校生の時に出会い、進むべき人生が決まったという犬ぞり山﨑哲秀さん。 このニューズレターは、絆工房で商品を作られたお客様がモノを通してより心豊かな社会実現のために取り組んでおられる活動を取材させていただいています。 1年の半分を、北極・南極で観測調査を行う山﨑さん。 このニューズレターを手に取られる場所は、北極。 ニューズレターが創刊依頼初の海を渡る取材となりました。 どんな絆ストーリーが聞けるか楽しみです。   ー笠原 「一般社団法人”アバンナット北極プロジェクト”、通称アバンナットTシャツ制作のご依頼、いつも有難うございます。世界を股にかけておられる山﨑さんのご活躍、本当に素晴らしいものがあります。 TVやメディアでもご活躍が報道されてますね。」 ー山﨑さん「メディア出演後絆工房で作っていただいているアバンナットTシャツの注文が殺到しました。 こちらこそ絆工房様には急な対応をしていただきまして有難うございました。」 ー笠原 「そもそも、当社をどうお知りになったのですか?」 ー山﨑さん 「今の私の生き方に大きく影響した人が植村直己さんでした。 植村さんが兵庫県豊岡市日高町であることを知っておりました。 一般社団法人アバンナット北極プロジェクトのオリジナルTシャツをどこで作ろうかと調べていくうちに同じ日高町にある絆工房を知りました。これはもう御社で頼むしかないと。」 ー笠原 「なるほど、そうでしたか。日高町から世界初、日本初の偉業を次々と打ち出した植村さんを私たちも誇りに思っています。彼のマッキンリーの登頂の映像ご覧になりましたか?その時は山﨑さんは何歳だったのですか?」   ー山﨑さん 「高校生の時でした。 あのニュースは本当に衝撃が走ったのを覚えています。 すぐさま本屋に行って植村さんの「青春を山にかけて」を買って一気に読みました。 その頃の僕は、このまま周囲に流されて大学進学するべきかどうか迷っていた時だったのですが、 この本に出会って、”よし!僕も冒険家になろう!”と。 高校卒業して植村さんが最初にした冒険、アマゾンのいがだ下りをする為ペルーに渡りました。」 ー笠原 「進むべき方向性がすぐに決まったということですね。それにしても早い決断と行動力ですね。 うまく行きましたか?」 ー山﨑さん「いえ、見事に転覆しました!(笑)怖さを知らないからこそ出来たことです。 経験を積むと逆に足がすくんでしまいます。」   次に向かったのは北極。 21歳の時。 島の約80%以上が氷床と万年雪に覆われているというグリーンランド最北の村シオラパルク。 この村は日本人として初めて足を踏み入れたのも植村直己さんだそうです。 山﨑さんの職場となっている土地です。現在、ここで北極域観測調査とエスキモー式の犬ぞり技術や狩猟技術といった伝統文化の継承に携わっておられます。 ー笠原 「2回目の冒険はどうでしたか?私たちからは北極の暮らしは想像もつかないのですが、どんな感じですか?」 ー山﨑さん「最初のアマゾンと違って、ある程度は準備して行きました。 それでも本当に厳しい自然環境での生活は、全く日本の常識や価値観だけでは歯が立ちませんでした。 寒さ一つにとっても、北極はマイナス30度、日本の防寒着だけでとても防寒対策したとは言えない厳しさ。 エスキモーたちが着ているアザラシ、トナカイなどの毛皮を着ました。 彼らからは本当に色んなことを伝授してもらいましたね。 この村でもパイオニアの植村さんの功績はすごいものがあります。」     植村さんは現地の人と同じように生活し、同じような食事をし、絆を築かれました。 ー山﨑さん「私は植村さんが切り開いてくれた道を後から歩いたに過ぎません。 エスキモーの皆さんは、シャイでどことなく日本人に似たところがあります。彼らは外国人に対して特に欧米人に対しては最初からフレンドリーではありません。 でも植村さんが土台を作ってくれたおかげで同じ日本人の僕に対しては本当に快く受け入れてくれましたね。」 ー笠原「北極にはどれくらいのペースで行かれていますか?」 ー山﨑さん「1年の半分です。今年は11月13日にグリーンランドに向かいます。」 実は、山﨑さんは北極だけでなく南極の昭和基地でも研究者の皆さんの観測サポートを行うフィールドアシスタントとして気候データ観測もされました。 ー笠原「まさに北極と南極、二極を股にかけておられますね。」 ー山﨑さん「日本に戻ると不思議な感覚になります。どちらが現実で、そうでないのか。 でも、僕がこのような働き方が出来るのも家族の支えがあってのことです。」 山﨑さんは、奥様と小学生1年生と4年生の子供がおられます。 奥様は、現在、大学の職員。以前は、ドームふじ基地、南極観測隊で働いておられた経歴の持ち主。   ー山﨑さん「1年の半分以上は、日本にいないワークスタイルですから結婚は考えていませんでした。 妻とは南極の「ドームふじ基地」観測調査サポート(支援)をしていた時に知り合いました。 妻が先に日本に戻ったのですが、着々と日本で結婚準備をしてたんですよ。 「今日両家の顔合わせが終わりました。」「結婚の日取りが決まりました。」とネットで報告を受けるんです。 そうすると、やっぱり真剣に「結婚」を考えないといけないと思いましたね。」 約4,5000年も前からグリーンランドで人々の生活ラインの手段となっている犬ぞりですが、 最近は、スノーモービルの普及でその数は減少。またIT技術の普及は極地にも広まり、 「若者たちはスマホ片手にピザを食べてます。さらに気候変動調査をしているとダイレクトに地球の温暖化は進んでいるのが分かります。」と山﨑さん。 ー山﨑さん 「温暖化による気候変動が、このまま進むと「何となく危ない」というレベルから何も対策しないと 「確実に危ない」というレベルまできています。」   11月には、COP27(国連気候変動枠組み条約第27回締約国会議)で 「損失と損害」が大きくフォーカスされました。 ただ、山﨑さんの活動拠点のグリーンランドは温暖化によって、 氷河の下に眠っていた天然資源が表面化しその恩恵を享受することにもなりました。 思わぬ皮肉な恩恵。 そして、「デンマークからの独立」が悲願にとってこの予想もしない利益をバックに独立の気運が高まっています。 デンマークからの独立、大国の思惑のはざまで揺れるグリーンランド。 そのグリーンランドで、植村さんが切り開いたエスキモーとの絆。 その絆を絶やさないようにエスキモー文化の継承し続け、さらには現在は、 グリーンランドと日本の地域の姉妹都市提携活動も行っています。 最後に、これからの活動と山﨑さんにとっての仕事とは? ー山﨑さん「僕には北極で活動することしか取り柄が無く、北極は生き方、人生そのものです。 北極域は地球上で最も温暖化の影響が、目に見えて表れる場所と言われています。 35年に亘る北極活動の中で、偶然にも気候変動の最前線の中にいる立場となり、自分に出来ることはなにか、と考えるようになりました。 温暖化問題を改善していく大切さを、北極活動を通じて訴えていくこと、またその意識を、次の世代へ繋げていくのが僕の役割りだと思っています。」     山﨑さんの北極活動はこちら「アバンナット北極プロジェクトブログ」から見れます。   また山﨑さんの犬ぞりカレンダーやTシャツで活動を応援される方 こちらからご購入できます。 犬ぞりサポーターも募集されておられます。 マイナス35度の極寒で活動する日本人山﨑哲秀さんを支える エスキモー犬の逞しさもすごい! 山﨑さんと犬たちとの絆もぜひブログでご覧ください。 ぜひ皆さん応援よろしくお願いします。               絆工房はお客様の人生そのものの生き方を取材することを通してこれからも絆作り活動を 精一杯して参りたいと思っております。     社会で活躍するリーダー、経営者の皆さんの活動...
ニューズレター 絆のカタチ
気になる会社の絆のカタチを聞く
毎日話す直接部署の社員もいれば、遠くからその姿をちらりと見るだけの間接部門の社員もいます。 組織を経営していく楽しさと難しさを、時に社員と一緒になって、時に孤独の中で1人決断しながら経営の舵を切っていく経営者。 そんな経営者と同じ立場の当社笠原が、【絆】を軸に取材したのが当社の「絆のカタチ」。2ヶ月に1回発行のニューズレターで紹介しています。ニューズレターは、顧客の皆様向けに郵送させていただいておりますが、バックナンバーも見たいというお客様のご希望にお応えして今回ネットにも掲載させていただくことになりました。 経営者の想いを知ることは日本経済のこれからの在り方を知ること。  若き経営者のキラリと光る言葉から、高度経済とバブル経済の荒波をくぐり抜けたシニア経営者の燻し銀のような言葉までいろんな経営者の言葉をお聞き下さい。自分の人生をより自分らしく楽しく生きる知恵やヒントが見つかりますよ。 https://sample11.multistyle.work/2022/12/26/%e3%80%90%e7%b5%86%e3%81%ae%e3%82%ab%e3%82%bf%e3%83%81%e3%80%91no-61/ 【絆のカタチ】No....
絆工房と沢庵寺
【絆のカタチ】No. 60過去と未来の命をつなぐお寺 宗鏡寺14代目住職・小原游堂様
小京都と言われる情緒あふれる出石。透き通るような白さが特徴の出石焼きや、兵庫県最古の芝居小屋、永楽館があったりと歴史ある城下町。 今回の取材先は、出石にあるお寺、宗鏡寺(すきょうじ)。 いつもは商売を営む経営者に会う為に、お店のブランドそのものの意味を持つ「のれん」をくぐるのですが、今回は山門をくぐりました。 臨済宗、圓覚山宗鏡寺現住職、小原様に【絆】のお話しをうかがいます。   出石城から徒歩10分のところに宗鏡寺があります。 戦国大名、山名氏清公の菩提寺として1392年に創建され、江戸初期の禅僧沢庵宗彭が再興。 現住職は、14代目、小原游堂様(43歳)です。 ー笠原 「小原さんは、このお寺で生まれた方ですか?」 ー小原さん 「いえ、熊本出身です。」 ー笠原 「熊本のご実家もお寺だったのですか?」 ー小原さん「いえ、それも違って両親は天ぷら屋を営んでいました。」 今回この取材をするきっかけになったのは、ご実家のてんぷら屋さんののれんのデータデザインを使って、 そのデザインの上に宗鏡寺の別名沢庵寺の「たくあん」という文字をいれたTシャツの制作依頼がきっかけでした。         ー笠原「そもそもどうして僧侶になろうと思われたんですか?」 ー小原さん「それは、私はちょっと変わった子供でしてね。幼い頃から死に対して畏怖の念を抱いていて、 おもちゃが壊れても悲しくなってお墓を建てるような子供でした。 でも壊れたからといって新しいものを買って欲しいとは不思議と思わなかったんです。 また、両親が共働きということもあって、おばあちゃんと過ごす時間が多く、一緒に毎日お地蔵さんに手を合わす環境で育ちました。 母親がお茶の稽古をしており、京都大徳寺と縁ができて、お土産話に小僧さんの話を聞くうちに自分も出家したくなり、願い出ました。両親は最初一時的なものと思っていたみたいですが、あまりにもしつこく私が言うので、『大徳寺の厳しい修行を目の当たりにすれば諦めるだろう』と連れていかれました。 結果、13歳で臨済宗の大本山大徳寺聚光院で得度。 —笠原 「修行生活はどうでしたか?」 —小原さん「これが、楽しかったと言えば語弊があるのですが、苦になりませんでした。帰りたいとは一度も思いませんでした。ただ、そうは言ってもまだ中学生ですから、親の声を聞きたくて毎日電話しては泣いてました。」 その後、仏教系の花園大学を卒業、大徳寺専門道場で修行。29才で宗鏡寺の住職に就任。   ■【命の循環プロジェクト】   —笠原「宗鏡寺はどういうお寺でしょうか。」 ー小原さん「スピード重視、合理性重視の世の中の流れの反対をいくお寺といいましょうか。 今、【命の循環】プロジェクトというのを進めています。 宗鏡寺は400年の歴史があるお寺ですが、やはり老朽化が進んでおり去年から全面改築工事をスタートしました。 改築に使う木材は、外材ではなく、3代前の住職が植林したものを伐採して使います。 現在、自然乾燥しているところです。この乾燥は非常に時間がかかります。 年末に伐採した檜を、葉をつけたまま放置して水分を蒸発させます、それから翌年の梅雨入り前に搬出して製材です。 僕の生きているうちに工事が完了するかは分かりませんが、大切な技術の継承や但馬の自然環境を次世代への財産として繋いでいきたいと思っております。 過去の人と出会うことはないですが、伝統技術を通して過去の人と会話できる、そして過去と未来をつなぐ中継ぎのような感じのお寺です。」 ■200年前というと江戸時代。江戸の宮大工の伝統技術に出会える場所   ー小原さん「そういう意味でも、過去と未来のつなぐ接点としての宗鏡寺でありたいと思います。」 ー笠原「今とても壮大なプロジェクトを行われているんですね。過去の人との絆を感じます。未来に対してはどうですか? どんなお寺を目指しておられるのですか?」 ー小原さん「そうですね、お寺が、最先端にならないように気をつけております。 テクノロジーのように時代の先を行くというより、社会の受け皿のような存在でありたいです。 足の悪い人やお寺を参拝されたいということで、色んな人に楽に参拝できるようバリアフリーの話しも出たこともあり、実際にその足の不自由な 方を招き案内しましたところ、 「一生懸命に坂道を登って、段差のあるところも乗り越えてやっとお参りすることができた。有り難いことです。」と言われました。 お寺は修行する道場だと改めて気付かされました。 やはり、ある程度はアナログでなければなりません! 社会の価値観に当てはまらない人も一緒に修行出来る、そんなところが私の理想です。」   ■目の前のことに一生懸命になること ー笠原「人は、生きるか死ぬかを経験しないと一生懸命にならないですね。 僕も勤めていた会社が倒産、借金して起業した矢先に病気になり余命宣告されたんです。 このことがきっかけで、困難な事が起っても、命まで取られることはないと開きなおって挑戦してます。」 ー小原さん「そうですね、私も若い頃、生死の境に得るものがあるのでは?と崖に登ったことがあります。 でもその時に思い浮かんだのは母に対して申し訳ない気持ちでした。死を自らが作ってはだめです。 今を生きること。何か大きな事を成し遂げるよりも今を懸命に生きる事が大事です、 そして感謝の念を持つことじゃないでしょうか。」 圓覚山 宗鏡寺 〒668-0217...
キズキ商店
【絆のカタチ】No. 59キズキ商会 木築基弘様
豊岡市にある大正15年創業の(株)キヅキ商会。 建築資材を取り扱う商社です。   ■新しいことをやるにはスピードが大事 今回は、代表取締役の木築基弘さん(55歳)に話しを伺いました。 ネットニュースや電子書籍といったデジタル媒体が情報収集の主流となる社会で、新聞や本屋さんが大好きという言い切る木築社長。 何やら興味深い話しが聞けそうです。 -笠原 「お父さんからいつ事業を引き継がれたのですか?」 -木築さん「20年前ですが、継ぐというのは社員さんに対し失礼な言い方、転職であり、入社ですね。」 -笠原 「どんなお父さんでしたか?」 -木築 「とにかく嫌いで関わりたくなかったですねw。子どもは視野に入ってない感じ、邪魔もの扱いですね。その分、勉強しろ的な事も全く言われませんので、今思えば自由だったかも。」 -笠原 「僕の父の口癖は『勉強しろ』でした。」 -木築さん 「食事も、商売人の食卓という感じ。必ずニュースが流れ、会話もビジネストーク。実は、密かにこんな家庭は嫌だなって心の中では思っていました。だから家庭を持つようになって僕は、子供とは一緒に遊ぶのが大好き。休みの日は子供たちの様子を見ているだけで幸せなくらいです。」 -笠原 「最高の学びは、反面教師であることですね。」 -笠原「御社は専門商社ですが、具体的にはどんなものを扱っておられますか?」 -木築さん「人が住まう、暮らしのインフラ全般、といっても分かりにくいですね。創業は、コンクリート製造でした。その1年前の大正14年(1925年)5月23日に北但大震災が起こり、まさにコンクリートビジネスが、復興ビジネスになりました。そして、平成23年(2011年3月11日)には東日本大震災が起こりましたが、その年には、再生可能エネルギーである太陽光発電システムに関わり始めました。新しいことをやるには、スピードが大事。他を多少犠牲にしても太陽光発電にシフトしました。」 -笠原「お爺さんといい、木築さんといい、なんだか時代に合わせてうまくビジネス転換をされておられますね。 まさにフロンティア。常に時代の波のアンテナを張って危機に対してすばやく反応できる人という印象です。」 -木築さん「振り返ると、創業当時にやっていたことは今はほとんどやっていないんですよね。常に時代の変化に合わせていこうと思っていますが、その時に邪魔になるのが『計画』でもあります。落合陽一も『半歩先を読む思考法』という本を出してますが、コロナに限らず、半歩先のことしか私達には分からない。」 -笠原「ニューノーマルになるということですね。アジャイルに物事を進めていくというか。」 -木築さん「そんな意味でも僕は細かい経営計画を立てたことがないです。単にめんどくさがりの言い訳かも。」 -笠原「様々な会やプロジェクトの役をされておられますから、めんどくさがりではないと思います。」 -木築さん「頼まれると断れないというか、そこで自分に進化のためのプレッシャーをかけてるのかもしれませんけど、新しい事や人と出会うのはとても好きですね。僕の結婚式であちこちから来てくれた友人同士が共感で盛り上がってたのが「木築は転勤すると全く連絡してこない」という事。確かに、新しい場になじむことに意識も時間も奪われてしまい結果的に、過去と接することがなくなってしまうw。」 -笠原「太陽光発電の未来はどうですか?」 -木築さん「豊岡は、2050年までにカーボンゼロを目指して「地球温暖化防止対策室」が立ち上がりました。豊岡市は現在放棄農地での太陽光発電を導入していますが、これをもっと拡大していくことが大切だと思います。自然災害はコントロールできませんが、エネルギーの蓄電や調整は可能です。   今、大手企業が土地を借りて太陽光発電を積極的に取り組んでいますが、地元の人が事業者なのが大切。行政とも連携して災害に対して強い街づくりも目指していければと思っています。」 -笠原「太陽光発電の未来を含めてフロンティアとしてどう時代を見据えていますか?」...
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