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【男の財は友なり】No.40 出石手打ち皿そば『甚兵衛』 会長 渋谷勝彦様

渋谷勝彦様

渋谷勝彦様

 

 

宝永3年(1706年)、出石藩の松平氏からバトンタッチで国替えになった信州出身の仙石氏。藩主についてきた蕎麦職人によって広まったのが出石そば。
50軒近くの蕎麦屋が軒をつなげる出石の町に、昭和51年創業、今年で創業41年目になる出石手打ち皿そば「甚兵衛」があります。今回は、創業者の渋谷さんに話しを伺いました。


渋谷さんは若い頃、織物業の父親の跡を継がれます。
出石は当時、400人もの女工さんたちが織物工場で働いており、「(織機を)ガチャンと織れば万の金が儲かる」と言われるほど出石は“ガチャ万景気”に湧いていました。

しかし次第に着物の需要も減少。さらに追い打ちをかけるようにオイルショックによって織物業は大打撃を受けます。もともと蕎麦が大好きだった渋谷さんは、お蕎麦の店をやろうと決意。
「周りは、“素人がそば屋をやって大丈夫か?”と反対されましたね。」
渋谷さん33歳の時でした。 

 

絆工房の絆のカタチ 出石そば甚兵衛

ー笠原  「反対されたということで大変じゃなかったですか?」
ー渋谷さん「不思議とそれはなかったですね。苦労もそれほどありませんでした。何より蕎麦が好きでここまでやってきましたから。この店のモットーは、“ 美味しい蕎麦を、掃除の行き届いた処で、気持ちよくいただいてもらう”こと。今まで利益が入るとすぐに増築と改築を繰り返して店作りをしていました。」

取材にうかがった時はちょうど開店前の朝の時間。
すでにお店全体の空気がお客様を気持ちよく迎える空気に変わっています。
店には優雅に泳ぐ大きな沢山の錦鯉が目を楽しませてくれます。
耳を澄ませると水の流れる音。

ー渋谷さん「最初は、BGMとして音楽を流していたんですが、どうも味気ないので、水のせせらぎの音が一番しっくりとしました。」

そして、暖簾をくぐって奥に進むとお茶を嗜む渋谷さんの「もてなし」と「しつらえ」の美しい中庭。炉もあった茶室を改造したお座敷を含めて席に着くまでに歩く路地の左右には150年もの夫婦杉や鹿威しがあり、とても情緒豊か。
目で楽しみ、耳で楽しむ、店先から店の奥まで一貫してお蕎麦を五感で楽しむ渋谷さんの仕掛けづくりが随所にちりばめられています。

 

絆工房の絆のカタチ 出石そば甚兵衛

■男の財は友なり

ミシュランガイドで『ビブグルマン』を獲得したのをきっかけに2、3年前から外国人客も増えてきた甚兵衛。
そして、3年前に法人化した時に同時に社長職をお婿さんにバトンタッチ。

現在は、会長職として、“蕎麦”という食文化と違った側面から出石の町の街の仕掛けづくりに東奔西走。
但馬國出石観光協会の顧問、「いずし落語笑学校」校長、大向う鸛の会会長、NPO出石町家再生プロジェクトA理事長としても忙しい毎日。
いずし落語笑学校では、アマチュア落語家として永楽館で落語も披露。

 

絆工房の絆のカタチ 出石そば甚兵衛

ー渋谷さん「同じ蕎麦店経営者であり仲間でもある「花水木」の店主を含め、仲間4、5人でいつも、これからの出石について語り合っています。少人数での話し合いが一番コミュニケーションがとりやすくスピーディーです。何よりも一体感があります。」

集合場所は、喫茶店もある「花水木」。そこで、出石の未来の議論が熱く飛び交っています。
さらに、娘さんの順子さんも、「楽しも!出石」をコンセプトに活動している女性グループ「すいっち」のメンバーとして活躍。
4月には経王寺のライトアップされたしだれ桜の下で、 但馬のおいしいお料理、かわいい雑貨を出店するココテラスを企画されました。

お父様である渋谷さん曰く「女性の方が行動力が早い!」。
親子で出石を盛り上げます。

絆工房の絆のカタチ 出石そば甚兵衛

—笠原 「最後に絆を感じたエピソードがあれば教えて下さい。」

ー渋谷さん「ほとんど苦労という苦労はなく順調にきましたが、全くなかったわけでもありません。若い頃から2人3脚でやってきた女房がガンになった時はどうしようかと思いましたが、今はおかげさまで元気です。その時も家族や周りの人の支えで乗り越えてきました。そう考えるとやっぱり人との繋がりが大切なんだと改めて思いますね。」

ー渋谷さん「今まで何か行動を起こした時は必ずそこには友達の力がありました。お店を持つ時も友達が応援に駆けつけてくれて手伝ってくれましたし、今の仲間もそうです。『男の財は友なり』と私は思っています。世の中は絆で動いているんじゃないかと思いますね。」

丸い顔に優しい眼差しの渋谷さんは知らず知らずのうちに人を惹きつけ周りに人が集まってくるような幸せを呼ぶ福相の持ち主。沢山の友を財産に、仲間達と太くて永い出石の明日をこれからも打っていただきたいと思います。

出石手打ち皿そば  『 甚兵衛 』
〒668-0256 兵庫県豊岡市出石町小人14−16
TEL 0796-52-2185

絆工房の絆のカタチ 出石そば甚兵衛

 

【自分の意志で生きることは選択できます】No.36『かじか窯』陶芸家小田垣かすみ様

絆工房とかじか窯
絆工房とかじか窯

神鍋高原の麓にある観音寺という集落。村の真ん中に兵庫県指定文化財である観音寺仁王門が建立するこの村に、陶芸家小田垣かすみさんの陶芸工房があります。
陶芸の道を歩まれた彼女の生き方や想いなどを『かじか工房』でうかがいます。
会長笠原と同じ地区でお互いに幼い頃から知っているということでざっくばらんな会話でスタート。


■発想によって色んな使い方ができる焼き物が好きです

ー笠原「高校卒業してすぐに陶芸の道に進んだけど迷いはなかったの?」

ー小田垣さん「そうですね。自分の中では焼き物づくりというものがごく自然で当たり前のような存在でしたからね。21歳で結婚、それから子育て、母の介護、さらには、13年前に叔父であり但馬焼きの師匠でもある山根毅が亡くなってからは、無我夢中の毎日でした。」

ー笠原「途中で辞めようとは思わなかった?」
ー小田垣さん:「それは全く思いませんでしたね。やはり好きだったからでしょうね。私も私の周りの環境も自然と陶芸の道を歩むものと思っていましたから。そして今年でちょうど40年。一つの節目として、この工房を開きました。

工房のすぐ横に流れる清流のせせらぎを聞きながら創作に没頭できる『かじか窯』

ー小田垣さん「かじかの鳴き声が聞こえるんですよ♩」

 

絆工房とかじか窯小田垣様

 

日本一美しい鳴き声でなくと言われる清流に生息するカジカガエルの名前にちなんだ工房。

ー小田垣さん「1つの使い方しかできないっていうものや、すでに完成されたものはあまり好きじゃなくて、
発想によって色んな使い方ができる焼き物が好きです。
人とは違ったものを作ろうというのが焼き物作りの前提にあります。”こんなの見たことないわ”って言って下さるのを聞くとやはり嬉しいですね。」

絆工房とかじか窯小田垣様

 

ー笠原「人とは違ったものっていうのは商売する上では大切だよね。お互い負けず嫌いだよね、そうじゃないと商売はやっていけない。僕は借金した状態でスタートした商売。よくブレたらダメって言われるけど、じゃあ何をブレたらいけないのか?僕の場合は、やはり『絆づくり』というのが軸にあって、オリジナルTシャツはあくまで絆作りのツールであって手段として捉えている。今後もそれはブレないと思う。」

■売り手と買い手が融合するようなモノづくり

絆工房とかじか窯小田垣様

ー笠原「今回かすみさんを取材しようと思ったのは、まだ世に知られていない、いいものが埋もれていると感じたから。この世界観をもっと発信するようなことを何か考えている?例えば、豊岡はコウノトリの住む町だからコウノトリをモチーフにした作品やコラボ品を作ったりとか。」

ー小田垣さん「コウノトリそのものずばりの焼き物というのではなく、それを感じられるようなコウノトリの羽や全ての生命体の象徴である卵をモチーフにした焼き物を作っていきたいですね。日常生活で、毎日使っても飽きない、使いたいという焼き物を作っていきたいと思っています。”土のものは使いこめば使いこむほど時代が出る”といますから。」

ー笠原:「ベクトルが自分の方に向いているのが趣味、相手に向いているのが仕事。かすみさんの世界観を世に発信していくには、とにかく提案していく。「こんなものが欲しかった!」って言ってもらうには要らぬお世話をどんどんすることで、実のある利益が生まれる。失敗しても他人は全然気にしてないから!恥ずかしいのも一瞬。否定されたとしても、人間性を否定されたわけでもないんだから、どんどん提案していくこと。」

ー小田垣さん:「そうですね。失敗も勉強ですね。楽しいことは忘れずに前に進んでいきたいと思っています。」

絆工房とかじか窯小田垣様

 

■「自分の意志で生きることは選択できます」

 

ものづくりの道を歩まれている小田垣さんだけあって、彼女の庭も情緒溢れる独特の世界観がにじみ出ている庭です。木漏れ日の差し込む樹木の中に、彼女の焼き物が見え隠れしています。
落ち葉や苔までも彼女の作品を味わい深いものにしています。さらに先月にオープンした母屋のギャラリー一室も見せていただきました。透かしの麻の着物が初夏の光と風を差し込み、古い蓄音機の上に作品である一輪挿しの山野草が揺れてます。焼き物に盛られた手作りのよもぎ餅、きなこ棒、甘酒もご馳走になりました。

動画でかじか窯をお楽しみ下さい。

 

「オープンガーデンにも参加して、色んな方々と付き合ってます。経験や知恵をいただき焼き物の幅を広げていこうと思っております。染色とか織物といった手仕事にもチャレンジして、そこから今までにない新しい焼き物を作ることができたらと思っております。同じ世界にいるとどうしても暗くなるから、色んな年齢の人や職業の人との交流を楽しんでいます。人は、生まれるのも死ぬのも自分では選択できませんが、生きることは選択できます
明日や来年のことはわかりません。今日の”今”を楽しむことにしています。「今でしょ!」っていう言葉、あれ本当ですね。(笑)
友達とのお付き合いも「今から〜にするけど空いてる?」って今日を大切にしてます。」

「迷いも不安も沢山経験し、迷いながら”何とかしないといけないことを何とかしてきた。これからも何とかなる!”だからこれからも不安はもちろんありますが、何とかしていこうと思っています。」


学校を卒業して自分の生きる道を見つけ、選択してきた小田垣さんの「生きることは選択できる」という言葉は説得力のある言葉です。 
 

自然との絆、作品との絆、仲間との絆の「今の」生活をていねいに暮らされている陶芸家小田垣さんでした

かじか窯
〒669-5354 兵庫県豊岡市日高町観音寺671
http://www.eonet.ne.jp/~kajikagama/

【勝手知ったる他人のペンション】No. 35ペンションてるてるぼーずオーナー野村征伸様

 

視線のピントを瞬間に合わせてしまうようなエネルギーを蓄えた緑で覆われた神鍋高原。
神鍋高原道の駅の裏手にたたずむチャコールグレーの建物が今回取材する「ペンションてるてるぼーず」。

神鍋の空気と自然に惚れて大阪より移住したというオーナーの野村さん。
チェックシャツにジーンズ姿で太陽のような笑顔で現れた野村さん。大柄な体型に口ひげを生やしてまさに「森のくまさん」のような風貌。

「実家が無駄のないシンプルな家具屋だったので、ペンションの外観もシンプルにこだわりました」という野村さん。そのペンションの1階ロビーで話しをうかがいました。

■大自然神鍋への大いなる旅立ち

 

ー笠原:「まずは、どういったきっかけで大阪から移住されたかその経緯を教えて下さい。」

ー野村さん: 「兄から紹介されたペンション北村のオーナーと一緒にお酒を飲む機会があったのですが、初対面でいきなり説教されましてね。頭にきて喧嘩になりました。
「おっさん喧嘩売ってんのか!」と僕が言うと
「喧嘩なら神鍋で売れ!」と言われました(笑)。
そして、彼との出会いがきっかけで「ペンションくるみの木」の手伝いを紹介され、冬の毎週末に神鍋に来てました。手伝う代わりに食事付きでスキーが出来る、こんな楽しいことはなかったです。
冬以外は、大阪日本橋にある家業の家具屋を手伝う生活が5年間続きました。そしてちょうど親父が病気で倒れた時に、神鍋の土地を買わないかという話が出たんです。5年間でペンションのオーナーの生き方に魅力を感じ、同じ人生なら楽しく生きてみようと。28 年前の1988年、25歳の時からペンション経営をスタートしました。」 

 

ー笠原:「奥さんとはどういうきっかけで知り合ったんですか?」

よく通る大きな声で話すオーナーとは対照的に物静かな奥様雅代さん。
笠原会長主催のおひねり勉強会メンバーのお一人。

ー奥様:「川西市出身で地元で歯科衛生士として働いていたんです。ボーとして何も考えずについてきたという感じですね。家族も反対はしませんでした。2人の息子も独立して、今は時間的に余裕もできておひねり勉強会にも参加しているんですが、久しぶりの勉強は楽しいですね。勉強すると今まで気づかなかったことがあるんですね。まだまだ出来ることもあるんです。また、出来るようになると楽しいですね。」

ー笠原:「モノの見方が変わるきっかけになるし、気づくこと、発見することが大切ですね。都会から移住してみて苦労とかありましたか?」

ー野村さん: 「苦労という苦労は感じたことはなかったですね。”郷に入っては郷に従え”です。
もちろん、最初の頃は、”隣保”という言葉すら知りませんでしたが、とにかくいろんなところに顔を出すようにしました。誰かに道で出会ったら必ず「こんにちは!いい天気ですね。」と挨拶しましたね。おかげさまで(都会から移住しても)苦労や違和感はそれほど感じませんでした。」

神鍋の自然と隣保にすぐに溶け込んだ野村さん。今は、沢山の役を引き受けておられます。

ー野村さん:「役を引き受けすぎちゃってます。(笑)でも値打ちつけて役をなかなか受けたがらないのはダメですね。役を引き受けるのも、やはり地域全体が活性化してほしいからです。うちだけ儲かっても仕方がないです。」

■てるてるぼーずの由来

ー笠原:「時代と共にお客様も変わってきましたか?」

ー野村さん:「昔は、予約される電話の向こうのお客さんとの声や、やり取りを通してどんなお客さんか分かりましたが、今は、ほとんどがネットから夜中に予約されるんですね。ですから、実際に来られるまでどんなお客様かわからないです。お客さんの数も減ってきています。求めるニーズがどこにあるのか、見極めが難しいですね。
ただ「焦らず、騒がず、一喜一憂せず」でいこうと思ってます。楽しんでやってます!」

ー笠原:「人口動態は確実に減ってきている中で便益、すなわち安さだけを追求する時代は終わりました。これからは、お客様の感性に響くもの、要は人生を豊かにできる特徴あるものを打ち出している会社のみが生き残るんじゃないでしょうか。それを実践している会社とそうでない会社の格差はますます広がっていくと思いますね。」

ー野村様: 「私も色々と考えています。夢は、この空間を出会いの場にしたいなと思っています。旅行者同士、見知らぬ人同士がつながりがもてるようにしたいですね。”勝手知ったる他人のペンション(^^)”として気軽に利用していただきたいです。普段着で来て自分の別荘のように泊まって下さい。」

最後に、てるてるぼーずのペンション名の由来をうかがいました。

「僕の頭を見ていただいたら分かるでしょ〜!。”見て忘れない、聞いて忘れない。”です。人に忘れられないでいることです。」 

絆工房も、お客様に忘れられないでいてもらうためのツールとしてこのニューズレターを2ヶ月に1回のペースで発行しております。

緑の野に花の黄色いの庭を蓄えた神鍋高原。
その森林の中に静かに佇む
「ペンションてるてるぼーず」。

そこのオーナーは心も風貌もまさにまんまるいハートの方でした。

〒669-5371  
兵庫県豊岡市日高町太田157−14
℡ 0796-45-1052

以上

【2世代で新たな商いに挑戦するスポーツウェア店 】No. 34 『マルマツスポーツ』橋本 安雄様

 
絆工房とマルマツスポーツ

 

■ 表現し、発信し続けることの大切さ 

 
JR江原駅のすぐ前にあるスポーツウェア販売店『マルマツスポーツ』。
その店主である橋本さん。27歳でお父様から店を引き継いだのが40年前。
その時に会社のシャッターの絵や内装を手掛けたのが絆工房会長笠原。
それ以来の付き合いである橋本さんと、さらに今回は、そのお父様の片腕となって一緒にお店を切り盛りされている
娘さん和加子さんを交えて「これからの商い」について対談しました。

 

 

 

絆工房とマルマツスポーツ

 

ー和加子さん:「そうですね、人脈作りですね。実は、父の知り合いでもあり、フェイスブックつながりでもある北井さんが企画された日高町内のオープンガーデンの企画に参加する予定なのですが、オープンガーデンのお宅をノルディック・ウォークで歩くコラボ企画の話があがっているんです。
今の時代は健康志向で、例えば、ノルディックウォーキング用のポールも1回は売れる。でもそれは、1回で終わるんですよね。それを1回で終わらせないで、そこからリピーターにつなげていくことが大切だと思うんです。
スキーやゴルフの時代の好景気時代は去っても基本となっている健康志向はかわらない。しかも、今は健康ブーム。
そこでどんどん地域の人達との絆を広げてコラボしていけたらいいなと思っています。」



笠原:「いいねー!!和加子さんには是非頑張っていただきたいね。応援したい。モノだけ売る時代はもう終わったからね。
やはりモノ+人=心の豊かさを実現する為の商品。人にからめて考えないとモノは売れない時代だと思う。」
 

■ 看板は変わらず、形態は変化していくビジネス

 

ー橋本さん:「先日、江原の電車待ちらしき親子がお店に入って来られたんですね。話かけると、驚いた顔ばかりして通じないんです。すると「台湾、台湾」と言われて、そこでやっと台湾からの観光客だとわかりました。時代は変わりましたね。スキー観光客から外国人観光客にかわってきたのかもしれません。そして、豊岡のベッドタウンの日高でモノを売っていくには、これからは、県外や外国から但馬に来てもらえるような戦略が必要ですね。
ー笠原 「但馬地域を巻き込むことが大切だね。そういう意味で、和加子さんのコラボ企画というのはとてもいいと思う。また、お店の前に、外国語で「We’ve got ○○!」って書くとかね。」
絆工房とマルマツスポーツ
ー橋本さん:「地域の良さは一度外に出てみたら分かる、出たことがない人は気づかない。但馬人特有のねばりのある人材は沢山いると思うから、その人たちを巻き込んで但馬地域を盛り上げるような商売が肝要。田舎であっても、プライドがあるお店でありたい。存在感のあるお店。スポーツ商品を売っているお店はやはりスポーティーで清潔感のあるお店でないとだめ。」
ー笠原:「リスクを取って是非挑戦して下さいね! 最後にお父様から娘さんへのメッセージはありますか?
ー橋本さん:「時代の波とともに歩んできたわけで、これからも目の前のことをきちんとやってもらいたい。二世代でクロスオーバーできる部分を共有していきたいですね。(娘は)積極性があるからどんどん地域の人とつながりをもって商売をしていってもらいたいね。」
絆工房とマルマツスポーツ
親子で共有しあうところは共有しあいながら、新しい絆のカタチへ脱皮しようとするマルマツスポーツです。

以上

【絆のカタチ】No. 未来の自分を作るものに関心を持って投資するおいしいお豆腐 『蘇武の里』様

未来の自分を作るものに関心を持って投資する

 

      おいしいお豆腐 『蘇武の里』川田 恵美子様


 

蘇武岳から長い歳月を経て浄化された蘇武の縄文水という天然水を使ったお豆腐屋さん、蘇武の里。
親が決める人生のレールに猛反発し但馬を飛び出したオーナーがなぜ再び但馬に戻りこの地でお店をオープンしたのか?
その理由と半生を伺います。

■ 「自分の人生は自分で決めて 切り開く!」

養父市八鹿の高柳で鞄屋さんを生業とした両親のもとで高校まで過ごした川田さん。結婚する年頃になると「生野より向こうには出さない。」、「舅、姑のいる家に嫁がせる。」など川田さんにとっては理不尽な条件を突きつけてくる父親に猛反発。

 

「ここにいると自分の人生が歩めない。女性も経済力がなければ、どんな男性でも我慢して黙ってついていくだけの人生になる。」と、勘当同然に但馬を飛び出します。

「親に勘当された?いえいえ私の方が親を勘当したんですよ。」と朗らかに笑う川田さん。そして友達を頼って神戸に出ます。

「私は、結婚には縁がないと思っていましたから、家庭の事情で親と住めない、また親がいない子供達の世話をする児童施設で働こうと思っていましたが叶わず、結果的には神戸市職員(保育士)として働きました。」

25歳で但馬屋食品の伊丹本社で働いていた同郷のご主人四郎さんと結婚。

「お父様の反対はなかったのですか?」の問いに「私には双子の兄がいて、主人はしょっちゅう家に遊びにきていた幼馴染でしたからそれは反対はなかったです。」

結婚を機にご主人は会社を辞め、西宮甲子園近くの商店街でオリジナルのお豆腐屋として独立。

 

「商店街は皆で子育てするという感じの雰囲気で、私も育児ノイローゼにかかることもなく本当に楽しく娘達を育てることができました。

その後、引越した伊丹中野西では手作りフードショプの店「にんじん」を開業。

「いつかスイーツ、パン、サンドウィッチのお店を開きたいなと思っていたんです。商店街のお豆腐屋をたたんでから再び但馬屋食品に勤めた主人には反対されましたから私1人でお店の設計等を大工さんとかけあったりしましたよ。ストレスで胃が痛くなる時もありました。周りからは「そんな住宅街の中にあるお店なんて売れるわけない。」とも言われたんですが、2人の娘がお店のチラシを作って近所に配ったり協力してくれました。お客さんの「お惣菜も作ってほしい。」というリクエストに応えていくうちにお客さんも増えてきました。一緒に働く仲間や近所のみなさんにも恵まれ13年間楽しく働きました。もちろん苦労もありました。一番は、阪神淡路大震災で家が半壊、店もメチャメチャになり、その補修に時間も大金もかかり本当に大変でした。でもお客さんに支えられなんとか再開が出来た時は嬉しかったですね。お客さんに「待ってたよ!」と言われた時は苦労も吹っ飛びました。」

 

■ 「食の絆を次世代に伝えていく」

 

−都会でのご商売が順調だったにもかかわらず何故但馬に戻ってこられたのですか?

 

「昔からいつか田舎で、主人の手作り豆腐と私の料理とコラボできる店を起業したいという想いがあったんです。そして、ある日ラジオから聞こえた、「人間が新しい環境に馴染めるリミット年齢が55歳」という言葉に後押しされ、とにかく美味しい豆腐に欠かせない美味しい水のある田舎の土地を探し回りました。岡山や園部、いろんな地方の田舎を探し回りましたよ。その中で業者に紹介してもらった神鍋のロケーションに惹かれて、ここに決めよう!と思いました。偶然、蘇武トンネル開通を機に蘇武の縄文水が湧き出した幸運にも恵まれました。」

そして、見事ラジオの言葉通り55歳で日高町に移住。

56歳の2006年に『蘇武の里』をオープン。

「一生働きたいという私に対して、主人は定年を過ぎて働きたくないと言っていたんですが、都会での不規則な生活で体調を崩して歩くのも息切れしていた主人が早期退職してこちらに来てから健康になりました。ご近所やお客さんにも恵まれ、ここ以外にはなかった、本当にここで良かったと思っています。大満足です。

オープンして今年で10年。

「豆腐には旅をさせるな」、という言葉があるとおり豆腐は作りたてが一番美味しいんです。うちのこだわりは、その日作った豆腐しか売りません。うまみを逃してしまう加熱殺菌をしていない昔ながらの「生の」豆腐です。もちろん原料の大豆は、国産大豆100%。」


–日本は大豆消費量世界一なのに国産大豆生産量が少ない現状の中での大豆価格の高騰、消費税増率といった中で、それでも美味しいお豆腐にこだわる理由は?

「これからの若い世代の人や子供達に本当に安全で美味しいものを食べて欲しいからです。出来るだけ食べ物は生産者の顔が見えるものがベストだと思います。私は今日食べるものは明日の自分を作るだけでなく、未来の自分を作るもので最も重視し投資すべきものと思っています。」

 

一生働くことを胸に都会でも田舎でもリスクを恐れない川田さんの生き方に、始めはリスクを背負う店舗開業に二の足を踏んでいたご主人も賛同、さらには娘さんご夫婦もお豆腐カフェ(豆Cafe)を開業するなど、4人5脚で次世代に本当に美味しいものを伝えようとされています。スリムな体型から想像できない行動力と想いを実現するパワーのある川田さんですが、その物腰はお豆腐のようにふんわり。

「お金には恵まれなかったけど家族、周囲の人には恵まれました(笑)。そして今色んな経験が生きています。人生の中で無駄なことはないんですよ。」

人生のヒントとなる言葉をたくさんいただいて、あっという間に取材終了の時間となりました。

 

蘇武の里

〒669-5376 兵庫県豊岡市日高町万劫190−1

tex/fax 0796-45-2692


【絆のカタチ】を読まれたお客様の声

(株)絆工房

笠原 会長 さま

 貴地も、何かと春の兆しが満ちていることでしょう。

 さて、「絆のカタチ」33号 ありがとうございました。

 コメント差し上げます。

 

◎全体に、感銘深く拝見できました。

○今回も写真がニクイですね。→会長のお孫さんの表情とぬいぐるみ?

 「蘇武の里」?の風景も絵になってますね。

○「川田恵美子様」のインタビュー記事にはウルウルきてしまいました。

  ご苦労の末、健康を損ねて貴地に来て健康を取り戻したなど・・・

  だから「ふ・る・さ・と」なんだなぁ!

○ハシモトさんのクッションづくり物語を読んで、表紙のお孫さんが抱いてる

 ものがそうなのかなぁ?と思ったりして。

▲唯一大疑問は、会長さんの「巻頭言」の処理

  なにこれ?勘亭流の太文字使って、まともに読めないようにしているんやね。

  「文字を潰しているから(隙間なくベタにしたから)、勘を働かせて読め」というわけね。

   私には、どうかと思わざるを得ないなぁ  「ワクワク」でなく「カリカリ」が相応しいよ。

皆さんに宜しく・・・。

絆工房御中
笠原様
昨日に引き続きメールさせていただきます。
今回もまたお仲間?と言わせていただけるのかわかりませんが、
おひねりでご一緒の川田さん。
あの20年前の震災を経験されてたんですね。
さらっと読むには壮絶すぎるくらいの歩みだったことかと。
でも、だからこそあのパワーがおありなんでしょうね。
本当に見習うことばかり。
実践してこられた上にさらなる挑戦、そう考えると本当のお手本になる人って
身近にいらっしゃるんですね、実は。
今回もこのようなお話を送っていただきありがとうございました。
次回おひねりは必ず顔を出します。
これからもいろいろ教えてやってください。
また「まちゼミ」もよろしくお願いします。
ありがとうございました。
☆☆☆(有)河西ふとん店☆☆☆

他の取材も見る

ニューズレター 絆のカタチ

2016/03/18

【人生で無駄なことはないんですよ】No.33美味しい豆腐のお店『蘇武の里』川田恵美子様

蘇武岳から長い歳月を経て浄化された蘇武の縄文水という天然水を使ったお豆腐屋さん、『蘇武の里』。
親が決める人生のレールに猛反発し但馬を飛び出したオーナーが、なぜ再び但馬に戻りこの地でお店をオープンしたのか?
その理由と半生を伺います。

■ 自分の人生は自分で切り開いていく!

養父市八鹿の高柳で鞄屋さんを生業とした両親のもとで高校まで過ごした川田さん。
結婚する年頃になると
「生野より向こうには出さない。」、
「舅、姑のいる家に嫁がせる。」など川田さんにとっては理不尽な条件を突きつけてくる父親に猛反発。
「ここにいると自分の人生が歩めない。女性も経済力がなければ、どんな男性でも我慢して黙ってついていくだけの人生になる。」と、
勘当同然に但馬を飛び出します。
「親に勘当された?いえいえ私の方が親を勘当したんですよ。」と朗らかに笑う川田さん。
そして友達を頼って神戸に出ます。
「私は、結婚には縁がないと思っていましたから、家庭の事情で親と住めない、また親がいない子供達の世話をする児童施設で
働こうと思っていましたが叶わず、結果的には神戸市職員(保育士)として働きました。」
 25歳で但馬屋食品の伊丹本社で働いていた同郷のご主人四郎さんと結婚。
ー笠原 「お父様の反対はなかったのですか?」 ー川田さん「私には双子の兄がいて、主人はしょっちゅう家に遊びにきていた幼馴染でしたからそれは反対はなかったです。」   結婚を機にご主人は会社を辞め、西宮甲子園近くの商店街でオリジナルのお豆腐屋として独立。
ー川田さん「商店街は皆で子育てするという感じの雰囲気で、私も育児ノイローゼにかかることもなく
本当に楽しく娘達を育てることができました。その後、引越した伊丹中野西では手作りフードショプの店「にんじん」を開業。
ー川田さん「いつかスイーツ、パン、サンドウィッチのお店を開きたいなと思っていたんです。
商店街のお豆腐屋をたたんでから再び但馬屋食品に勤めた主人には反対されましたから
私1人でお店の設計等を大工さんとかけあったりしましたよ。 ストレスで胃が痛くなる時もありました。周りからは「そんな住宅街の中にあるお店なんて売れるわけない。」とも言われたんですが、2人の娘がお店のチラシを作って近所に配ったり協力してくれました。 お客さんの「お惣菜も作ってほしい。」というリクエストに応えていくうちにお客さんも増えてきました。
一緒に働く仲間や近所のみなさんにも恵まれ13年間楽しく働きました。
もちろん苦労もありました。
一番は、阪神淡路大震災で家が半壊、店もメチャメチャになり、その補修に時間も大金もかかり本当に大変でした。
でもお客さんに支えられなんとか再開が出来た時は嬉しかったですね
。お客さんに「待ってたよ!」と言われた時は苦労も吹っ飛びました。」

■食の絆を次世代に伝えたい

絆工房と蘇武の里
−笠原 「都会でのご商売が順調だったにもかかわらず何故但馬に戻ってこられたのですか? 」
ー川田さん「昔からいつか田舎で、主人の手作り豆腐と私の料理とコラボできる店を起業したいという想いがあったんです。
そして、ある日ラジオから聞こえた、「人間が新しい環境に馴染めるリミット年齢が55歳」という言葉に後押しされ、
とにかく美味しい豆腐に欠かせない美味しい水のある田舎の土地を探し回りました。
岡山や園部、いろんな地方の田舎を探し回りましたよ。その中で業者に紹介してもらった神鍋のロケーションに惹かれて、ここに決めよう!と思いました。偶然、蘇武トンネル開通を機に蘇武の縄文水が湧き出した幸運にも恵まれました。」
絆工房と蘇武の里

 

そして、見事ラジオの言葉通り55歳で日高町に移住。
56歳の2006年に『蘇武の里』をオープン。
ー川田さん「一生働きたいという私に対して、主人は定年を過ぎて働きたくないと言っていたんですが、
都会での不規則な生活で体調を崩して歩くのも息切れしていた主人が早期退職してこちらに来てから健康になりました。
ご近所やお客さんにも恵まれ、ここ以外にはなかった、本当にここで良かったと思っています。大満足です。 オープンして今年で10年。「豆腐には旅をさせるな」、という言葉があるとおり豆腐は作りたてが一番美味しいんです。
うちのこだわりは、その日作った豆腐しか売りません。
うまみを逃してしまう加熱殺菌をしていない昔ながらの「生の」豆腐です。
もちろん原料の大豆は、国産大豆100%。」
絆工房と蘇武の里
蘇武の里ミニ厚揚げ
–笠原 「日本は大豆消費量世界一なのに国産大豆生産量が少ない現状の中での大豆価格の高騰、
消費税増率といった中で、それでも美味しいお豆腐にこだわる理由はなんですか?」
ー川田さん「これからの若い世代の人や子供達に本当に安全で美味しいものを食べて欲しいからです。
出来るだけ食べ物は生産者の顔が見えるものがベストだと思います。
私は今日食べるものは明日の自分を作るだけでなく、未来の自分を作るものを最も重視し投資すべきものと思っています。」

一生働くことを胸に都会でも田舎でもリスクを恐れない川田さんの生き方に、始めはリスクを背負う店舗開業に二の足を踏んでいたご主人も賛同、さらには娘さんご夫婦もお豆腐カフェ(豆Cafe)を開業するなど、4人5脚で次世代に本当に美味しいものを伝えようとされています。 スリムな体型から想像できない行動力と想いを実現するパワーのある川田さんですが、その物腰はお豆腐のようにふんわり。 「お金には恵まれなかったけど家族、周囲の人には恵まれました(笑)。そして今色んな経験が生きています。 「人生の中で無駄なことはないんですよ。」
人生のヒントとなる言葉をたくさんいただいて、あっという間に取材終了の時間となりました。 
『蘇武の里』 〒669-5376 兵庫県豊岡市日高町万劫190−1 tex/fax 0796-45-2692
絆工房と蘇武の里
絆工房と蘇武の里
冬になると雪に埋もれるお店

【人ー企業ー地域を結ぶのはやはり人との縁】No. 32 画流有限会社 代表取締役清 水寛様

 

画流清水

縁が縁を呼び、いつしか人の縁で成長してきたという画流有限会社。
ウェブデザイン事業、ITコンサル事業はもちろんのこと、但馬の特選素材を産地直送する但馬地域に特化したネットショップ “あるまま”や但馬情報発信事業の運営を手がける清水さんの会社は、言わば、但馬版Yahooサイト。

「財産は人の縁」と言う他称イベントプロデューサー清水さんに話しを伺います。

■『人の縁だけで会社が成長してきました』

絆工房と画流清水さん

15年前に画流有限会社を設立。


ー笠原 「会社を設立したきっかけは何ですか?」

ー清水さん「人との絆、言いかえるなら人の縁だけでこの会社は成長してきました。仕事も従業員の採用も全て縁。
うちは100%縁故採用です(笑)。
会社を設立する前は公務員でした。もちろん充実した公務員時代でしたし、そこで世間というのを知ることも出来ました。ただ、行政という枠から外での経験やネットワークをもっと広げたいと思い会社を立ち上げました。
この会社で15年間で得たものが、そのまま公務員として15年を過ごして果たして得られたか、と考えた時に、やはり得がたいものがありますね。」


そして、2年前から商工会と連携した「まちゼミ」、「日高バル&スイーツ」、「てtoてtoマーケット」等のイベント企画にも参画。
但馬空港フェスティバルや地域振興事業等など数多くのイベントに携わり、公務員時代から培った企画力、立案力、運営力で、少人数スタッフでスピーディにイベントを運営。

 

■イベント成功のカギは“人”

絆工房と画流清水さん

ー笠原 「ずばり、イベントを成功させる秘訣とは?」 

ー清水 「記録に残るものをイベントに残し、次のイベントに生かそうとする姿勢です。次のイベントが円滑に運営していくためにはどうすればいいのか、それを常に繰り返し考えていくことです。

“今回のイベントではトラブルが起こらなかったから今後も何も起こらないだろう”と備えを怠るのはダメ
後手に回らない為に入念に準備をし、運営のマニュアル化を徹底すること。ただ、イベントの裏方で大事なのは意見をいい合える仲間。
そう考えるとやはり人に尽きますね。
スタッフ自身が楽しんでいるかどうか、それがイベントを成功させるカギにもなります。楽しくなければそこには学びもないですからね。
社員にも攻めの姿勢で自分達が仕事を楽しむよう常に言っています。
ゼロベースで考えて携わった人と、引き継いだ人とは明らかに経験の幅が違いますから、やるんだったら1から徹底的にやることです。」

 

■地に足をつけたローカル化を

画流

社名のルーツである『我流』。

常識に囚われず何事もチャレンジすることで、発想の幅が広がっていくという清水さん。

ー清水さん「積極的に異業種と交わって幅広い情報をキャッチすることです。情報には、本物と偽物とがありますから、正しい情報を見極めることも大事です。じゃあ、情報って何か?やはりそれも人。地域の情報というのは、結局、誰が、どこで、どんなことをしているのか?といういうことになります。」

ー笠原 「これから会社が目指す方向性とは?」

ー清水さん「最近は、ローカルVSグローバルと二極化現象が起こっていますが、完全に地に足をつけて活動できるのがローカルの強み。但馬で事業する意味は、そこにあります。それを極めたい。そして、但馬にあるこの会社を通じて様々な人や物が集まり、それぞれが目的地へ広がっていくような会社にしたいですね。ハブ空港のようなね。」


ローカルあってのグローバル。

人ー企業ー地域を結ぶのはやはり人との縁、絆を再確認した取材となりました。

 

以上

地に足をつけたローカル企業を目指すイベントプロデューサー

地に足をつけたローカル企業を目指すイベントプロデューサー

画流有限会社 代表取締役

清 水 寛 様


 

縁が縁を呼び、いつしか人の縁で成長してきたという画流有限会社。

ウェブデザイン事業、ITコンサル事業はもちろんのこと、

但馬の特選素材を産地直送する但馬地域に特化したネットショップ  “あるまま”や 但馬情報発信事業の運営を手がける清水さんの会社は、言わば、但馬版Yahooサイト。

「財産は人の縁」と言う他称イベントプロデューサー清水さんに話しを伺います。

 

15年前に画流有限会社を設立。

ー会社を設立したきっかけは何ですか?

 

「人との絆、言いかえるなら人の縁だけでこの会社は成長してきました。仕事も従業員の採用も全て縁。うちは100%縁故採用です(笑)。会社を設立する前は公務員でした。もちろん充実した公務員時代でしたし、そこで世間というのを知ることも出来ました。ただ、行政という枠から外での経験やネットワークをもっと広げたいと思い会社を立ち上げました。この会社で15年間で得たものが、そのまま公務員として15年を過ごして果たして得られたか、と考えた時に、やはり得がたいものがありますね。」

 

そして、2年前から商工会と連携した「まちゼミ」、「日高バル&スイーツ」、

「てtoてtoマーケット」等のイベント企画にも参画。

但馬空港フェスティバルや地域振興事業等など数多くのイベントに携わり、

公務員時代から培った企画力、立案力、運営力で、少人数スタッフでスピーディにイベントを運営。

 


 

■ イベント成功のカギは“人” 

ーずばり、イベントを成功させる秘訣とは?

「記録に残るものをイベントに残し、次のイベントに生かそうとする姿勢です。次のイベントが円滑に運営していくためにはどうすればいいのか、それを常に繰り返し考えていくことです。“今回のイベントではトラブルが起こらなかったから今後も何も起こらないだろう”と備えを怠るのはダメです。後手に回らない為に入念に準備をし、運営のマニュアル化を徹底すること。

ただ、イベントの裏方で大事なのは意見をいい合える仲間。そう考えるとやはり人に尽きますね。スタッフ自身が楽しんでいるかどうか、それがイベントを成功させるカギにもなります。楽しくなければそこには学びもないですからね。社員にも攻めの姿勢で自分達が仕事を楽しむよう常に言っています。ゼロベースで考えて携わった人と、引き継いだ人とは明らかに経験の幅が違いますから、やるんだったら1から徹底的にやることです。」

 


 

■ 地に足をつけたローカル化

社名のルーツである『我流』。常識に囚われず何事もチャレンジすることで

発想の幅が広がっていくという清水さん。

 

「積極的に異業種と交わって幅広い情報をキャッチすることです。情報には、本物と偽物とがありますから、正しい情報を見極めることも大事です。じゃあ、情報って何か?やはりそれも人。地域の情報というのは、結局、誰が、どこで、どんなことをしているのか?ということになります。」

 

ーこれから会社が目指す方向性とは?

 

「最近は、ローカルVSグローバルと二極化現象が起こっていますが、完全に地に足をつけて活動できるのがローカルの強み。但馬で事業する意味は、そこにあります。それを極めたい。そして、但馬にあるこの会社を通じて様々な人や物が集まり、それぞれが目的地へ広がっていくような会社にしたいですね。ハブ空港のようなね。」

 

ローカルあってのグローバル。

人ー企業ー地域を結ぶのはやはり人との縁、絆を再確認した取材となりました。


今回のニューズレターを読んでいただいた方からの声が届きました♩

ご紹介します。

絆工房御中

笠原様

 今回も楽しく読ませていただきました。

ちょっと驚きました。

意外や意外、清水くん初めてでしたっけ?

 この年末に、オオトリで登場ですね。

 もうすっかりおなじみですよね、彼のことは。

これからもいろいろ彼に教わりながら進んでいこうと思います。

そして「あるまま」でもこれまで以上にお世話になろうと。

 しかし、IT関連の仕事を生業としてる彼は仕事とは真逆で、とっても人間くさいですよね。

本当に繋がりというものを大事にされてる彼だと思います。

 あと、彼に教わった中でいちばんの言葉は「やるかやらないか、だよ」

という言葉です。

 今年も残すところあとわずかですが、お体には気を付けてお過ごしください。

今回も勉強になりました。ありがとうございました。

 ☆☆☆(有)河西ふとん店☆☆☆

〒669-5305

兵庫県豊岡市日高町祢布998

tel0796-42-5228/fax0796-42-5102

kawanishi998@hera.eonet.ne.jp

代表取締役 河西 栄治


 

【関連記事】

過去の絆のカタチインタビューはこちら

 

【お金よりも“有難う“を集めたい】No.31朝日新聞サービスアンカーASA日高西村英治所長 

大学卒業後大阪で就職。父親の病気をきっかけで31才で帰郷。
『戻ってきたばかりの頃は、携帯に入っている地元の友達の登録件数はたった3人だった』と笑う西村所長が、故郷で働くことを通して、どう地域との絆を築いていったのかを伺いました。

■ 新聞を届けるだけの存在からの脱却

絆工房と朝日新聞サービスアンカーASA日高西村 英治

ー西村さん「新聞販売店の主な収益は、配達、折り込みチラシ作業、集金の3本柱で成り立っています。父の後を引き継いた頃は、新聞業務だけをするつもりでした。しかし、仕事をするうちに、また、笠原さんの主催するおひねり勉強会に参加するうちに、もしかして、新聞販売店って新聞業務だけでなく他にもやれる事があるんじゃないか?と思うようになりました。」

34才で正式に所長に就任。

ー西村さん「所長に就任した時は、仕事を“お金もうけ”の手段としてしか捉えていませんでした。もちろんそれも大事な事ですが、何でもできるということに気づいてからは、新聞配達業務以外の事業も手掛けてみようと思ったんです。仕事を“お金もうけ”から“地元の人に喜んでもらうきっかけづくり”という視点に変わった瞬間でした。」

—笠原 「具体的にはどういったことをされたのですか?」

ー西村さん「暮らしに役立つクーポンチラシの“あさまるクーポン”や日高広報誌『HIDAKA EMOTION』の発行、そして、“まごころサポート”等です。まごころサポートでは、“床下に狸がいる”、“旅行中、配達の時に猫に餌をやってもらえないか?”といったリクエストがあります。
毎日のちょっとした困ったこと、こんなサービスがあったらいいな、をお手伝いさせていただいております。」

地元に小さなハッピーを!

絆工房と朝日新聞サービスアンカーASA日高西村 英治

新聞販売店のイメージ戦略にも取り組んだ西村所長。

一般的に磨りガラスの向うの薄暗い作業場で黙々と折り込み作業を男性がしているといったイメージが強い新聞販売店。しかし、江原新聞販売店は、明るい日差しが差し込む窓際にずらりと並ぶスタンドライトがトレードマークのお店。人が集まるような販売店にしたかったという言葉通り、店内は、一見すると喫茶店のようなレイアウト。
実際、「お茶飲める?」と喫茶店と間違って入ってこられた人もいたそうです。

「気軽にお茶を飲んでもらうような憩いの場所にすることこそ僕の目指すところです。」

西村さんを含む男性スタッフ2人の他に2年前から女性スタッフも採用。
スタッフTシャツ制作のためにお打ち合わせにも以前来社して下さった女性スタッフのお二人。

オリジナルユニフォーム作成商談

ー西村さん「そりゃあ、むさ苦しいおじさんより若い女性に集金してくれる方がいいでしょ!新聞のイメージを良くするのも悪くするのも、新聞社というよりも私達新聞販売店です。
新聞販売店のCSR(企業の社会的責任)を意識しないといけません。新聞を届けるだけの存在から脱却することが必要です。
まごころサポートをしていると、利益とは別に“有難う。助かったわ。これ持って帰りんせ~”と畑でとれた手作りの野菜などの差し入れをよくいただきますが、地元の人達からの喜びの声を聞くと、新聞業務以外のこともやってきて良かったのかなと思っています。
お金よりもこの“有難う”をもっと集めようと思っています。今後も、こういった“小さなハッピー”を提供するコミュニティービジネスを重視していきたいですね。
これからは『仕組みと仕掛けづくり』といった事業化が大切になってきます。売り上げはこういった現場の仕掛けづくりの上で生まれた付加価値の中から生まれてくるのではないでしょうか。」

 

■ IT vs 新聞は本当か?

絆工房と朝日新聞サービスアンカーASA日高西村 英治

地元の人の絆を大切にして仕事への付加価値を追求し続けていこうする西村所長。

—笠原 「最近は、生まれながらにITに親しんでいるデジタル・ネイティブ世代が増えてきていますが、この世代の活字離れは本当に起こっているんですか?また西村さんにとって新聞とは何ですか?」

ー西村さん 「新聞はもはや40才以上のシニア層の嗜好品です。活字離れというよりは、紙離れは確かに起こっています。ただ、決して若い人が新聞に興味がなくなったというとそうではありません。
先日、地元の小学校に朝日小学生新聞を無償で提供したところ“新聞ってこんなに面白いんだ!”って言った子供達がいるんです。新聞は事件を追うものではなくなってきています。電子ペーパーやスマートニュースの誕生で新聞はインターネットに駆逐されるのではないかと言われているんですが、私は新聞の未来は明るいと思っていますので地域を知り尽くした新聞販売店が地域に根ざすコミュニティーボックスになれたらと思っています。」

【絆のカタチ】 新聞販売店のイメージ脱却を図る若き所長

【絆のカタチ】 新聞販売店のイメージ脱却を図る若き所長

    朝日新聞サービスアンカーASA江原 まるにし 西村 英治 様

 


 

大学卒業後大阪で就職。父親の病気をきっかけで31才で帰郷。

『戻ってきたばかりの頃は、携帯に入っている地元の友達の登録件数はたった3人だった』

と笑う西村所長が故郷で働くことを通して、どう地域との絆を築いていったのかを伺いました。

 

 

■ 新聞を届けるだけの存在からの脱却

 

「新聞販売店の主な仕事は、配達、折り込みチラシ作業、集金の3本柱で成り立っています。

父の後を引き継いた頃は、新聞業務だけをするつもりでした。しかし、仕事をするうちに、

また、笠原さんの主催するおひねり勉強会に参加するうちに、もしかして、新聞販売店って新聞業務だけで

なく他にもやれる事があるんじゃないか?と思うようになりました。」

 

34才で正式に所長に就任。

「所長に就任した時は、仕事を“お金もうけ”の手段としてしか捉えていませんでした。

もちろんそれも大事な事ですが、何でもできるということに気づいてからは、

新聞業務以外の事業も手掛けてみようと思ったんです。

仕事を“お金もうけ”から“地元の人に喜んでもらうきっかけづくり”という視点に変わった

瞬間でした。」

—具体的にはどういったことをされたのですか?

 

「日高産こしひかり米の宅配販売や北海道の特産品の販売、暮らしに役立つクーポンチラシの

“あさまるクーポン”や日高町の暮らしを伝える広報誌『Hidaka Emotion』の発行、

そして、“まごころサポート”等です。

まごころサポートでは、“床下に狸がいるので何とかして”、“旅行中、配達の時に猫に餌をやって

もらえないか?”といったリクエストがあります。

毎日のちょっとした困ったこと、こんなサービスがあったらいいな、を

お手伝いさせていただいております。」

 


 

■ 日高町に小さなハッピーを!

 

新聞販売店のイメージ戦略にも取り組んだ西村所長。

一般的に磨りガラスの向うの薄暗い作業場で黙々と折り込み作業を男性がしているといったイメージが強い新聞販売店。
しかし、ASA江原まるにしは、明るい日差しが差し込む窓際にずらりと並ぶアンティークランプがトレードマークのお店。

人が集まるような販売店にしたかったという言葉通り、店内は、一見すると喫茶店のようなレイアウト。
実際、「お茶飲める?」と喫茶店と間違って入ってこられた人もいたそうです。

「気軽にお茶を飲んでもらうような憩いの場所にすることこそ僕の目指すところです。」

 

西村さんを含む男性スタッフ2人の他に2年前から女性スタッフも採用。

「そりゃあ、むさ苦しいおじさんより若い女性が接客してくれる方がいいでしょ!

新聞のイメージを良くするのも悪くするのも、新聞社というよりも私達新聞販売店です。

新聞販売店のCSR(企業の社会的責任)を意識しないといけません。新聞を届けるだけの存在から脱却することが必要です。まごころサポートをしていると、ご利用料金とは別に“有難う。

助かったわ。これ持って帰りんせ”と畑でとれた手作りの野菜などの差し入れをよくいただきま

すが、地元の人達からの喜びの声を聞くと、新聞業務以外のこともやってきて良かったのかなと

思っています。

お金よりもこの“有難う”をもっと集めようと思っています。今後も、こういった

“小さなハッピー”を提供するコミュニティービジネスを重視していきたいですね。

 

これからは既存事業の枠を超えた『仕組みと仕掛けづくり』といった事業化が大切になってきます。

売り上げはこういった現場の仕掛けづくりの上で生まれた付加価値の中から生まれてくるのでは

ないでしょうか。」

 

■ IT VS 新聞は本当か?

 

地元の人の絆を大切にして仕事への付加価値を追求し続けていこうする西村所長。

—最近は、生まれながらにITに親しんでいるデジタル・ネイティブ世代が増えてきていますが、

この世代の活字離れは本当に起こっているんですか?また西村さんにとって新聞とは何ですか?

 

「新聞はもはや40才以上のミドル、

シニア層の嗜好品です。活字離れという

よりは、紙離れは確かに起こっていま

す。ただ、決して若い人が新聞に興味

がなくなったというとそうではありま

せん。先日、地元の小学校に朝日小学生

新聞を教材として無償で提供したところ

“新聞ってこんなに面白いんだ!”って

言った子供達が沢山いるんです。

 

新聞は事件を追うものではなくなってきています。電子ペーパーやスマートニュースの誕生で

新聞はインターネットに駆逐されるのではないかと言われているんですが、私は新聞の未来は

まだまだ明るいと思っています。配達網、集金網、営業網というネットワークを持ち、地域を

知り尽くした新聞販売店が地域に根ざすコミュニティーボックスを築く拠点になれたらと思って

います。」

 


ニューズレターを読んでいただいておられる方からコメントが届きましたので

ご紹介させていただきます♪

いつもご丁寧に有難うございます。

もう風邪は治られましたでしょうか? どうぞご自愛下さい。

絆工房御中
笠原様

今回も楽しく読ませていただきました。
いろいろ活動されてるんですね。
大学との連携プロジェクトもすごいですね。
さすがの一言です。

少しでも近づけたら、などと、、、とんでもない(^_^;)すみません!!!

今回の絆のカタチですが、
よく知ってる顔ですから。。。

同じ「えいじ」でも大いに違う彼。
まちゼミから商工会からいろいろと活動を同じくさせていただいていますが、
本当に刺激になる彼です。

これからも彼には要注目ですね。

今回もいい勉強をさせていただきました。
ありがとうございました。

※昨日のおひねりはすみませんでした。。。さすがに風邪には勝てませんでした<(_ _)>

☆☆☆(有)河西ふとん店☆☆☆
〒669-5305
兵庫県豊岡市日高町祢布998
tel0796-42-5228/fax0796-42-5102
kawanishi998@hera.eonet.ne.jp
代表取締役 河西 栄治


 

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過去の絆のカタチインタビュー
ニューズレター 絆のカタチ

 

 

2015/10/15