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【日本一浴衣の似合う町づくりを目指す】No.45「いろは」系谷 瞳様  

絆工房といろは

絆工房と浴衣販売レンタルのお店「いろは」系谷 瞳

日本の温泉100選のトップ10に有馬温泉と城崎温泉2つの温泉がランクインする兵庫県。
志賀直哉をはじめ多くの日本の文豪に愛された城崎温泉。
ここ最近は、海外からのインバウンド旅行客が急増し、5年で36倍にもなったこの温泉地の目抜き通りにあるのが今回取材した浴衣販売レンタルのお店「いろは」。
老舗の温泉旅館が立ち並ぶ中で去年オープンした理由、将来のビジョン、絆のエピソードを若女将である系谷さんにお話をうかがいました。
浴衣の着方をイラストと英語で説明した「手ぬぐいBOOK」を絆工房が印刷させていただいたご縁で今回の取材が実現しました。
いろは てぬぐい帯

 

■ 高校3年 海外から見た日本と自分

 
絆工房と浴衣販売レンタルのお店「いろは」系谷 瞳

 

—笠原:「海外観光客はやはり多いですか?」
—系谷さん:「確実にそうですね。今日も午前中、アジアからの女性観光客が浴衣を利用され今お出かけになったところですよ。」
ちょうど取材の為お店に向かう途中ですれ違った浴衣姿の東南アジア女性二人組。
日焼けしたエキゾチックな雰囲気に、浴衣がよく似合っています。
普通、海外の人が日本の着物や浴衣を着るとコスプレになったり、バスローブのような感じになりがちですが、
『いろは』では、着付けのプロの着付けスタッフが常時。
へアーセット込みの嬉しいサービスをしておりあっという間に着崩れしないしっとりした大和撫子にスタイリング変身させてくれます。
瞳さんご自身も京都で着付けを学ばれ、体に馴染んだ美しい着物姿で接客しておられます。
—笠原:「はじめにこの城崎温泉でお店を立ち上げた経緯を教えていただけませんか?」 —系谷さん:「17歳の時に、母の着物の着付けの先生からギリシャ・アテネで行われる10日間の着物ショーに参加してみないかという
お話しをいただきました。現地の人たちから矢継ぎ早に
「日本では着物は毎日着ているの?」
「あなた舞妓さん?」と質問されたのですが、そこですぐには答えられない自分がいたんです。

ちょうど進路で大学に行くかどうか迷っていたんですが、大学で特にこれを学びたい!というものもなかったので、
そういう状態で進学して果たして何かを見つけることが出来るのかな、と思ったんですね。

ちょうど進路を決める時期に海外の着物ショーに参加したことでもっと日本文化や着物のことを学びたいという思いが強くなりました。

まずは、京都で2週間ほど着付けを学び、高校卒業後に母のお店「きものサロンけいたに」で働きはじめました。」 同級生の多くが進学する中、その流れに飲み込まれることなく、「自分の人生を自分で決めて」着物の世界に進んだ系谷さん。

お母様のもとで働いていく中で、自分の経験を活かしたお店を展開したいと思い始めました。
それは、日本人だけでなく海外の方々も気軽に楽しめる和装専門サービスをと考え、
城崎温泉に去年の2月にゆかたの販売レンタルのお店ゆかた専門店「いろは」をオープン。
現在に至るまで約3500人のお客様がいろはの浴衣で情緒豊かな城崎での散策を楽しまれたとのことです。
取材の日は、秋の日差しが暖かく感じられる11月末。
既に二人組の若い女性が店内で好きな柄の浴衣を選んで着付けの真っ最中。
普段着でお店を訪れて、ヘアセットも着付けも店内で全てコーディネートできる「いろは」。
―系谷さん:「お友達同志やカップルのお客様が多いですね。
インスタ映えする浴衣と町並みを楽しみ思い出を作りたいから、というリピーターの方もいらっしゃったりと、嬉しい出会いが沢山あります。
城崎温泉に訪れる方の笑顔を沢山残したいと思っています。それはきっと、浴衣が繋ぐ絆作りのツールになっていると思います。」
絆工房と浴衣販売レンタルのお店「いろは」系谷 瞳

■Sightseeing (観る観光)からSightdoing (体験型観光)へ

 

—笠原:「これからは、城崎温泉に来て温泉に入って観光した、というだけではなく、
【体験型の観光】が主流になってきますね。自分が観光地で何がしたいのか、
単に、観光して、美味しいものを食べて、温泉に入って楽しかったという従来の観光ではなく、
好きな柄の浴衣を選んで、それを着て町を観光したという【体験】が大事だと思います。
見る(see)ではなく、行動(do)する観光。自分が主人公になるストーリーのある観光です。
ところで、「いろは」というお店の名前の由来を教えて下さい。」

 

—系谷さん:「物事の基本や基礎を意味する“いろは”から来ています。
お客様には浴衣を通して和装のいろはを知るきっかけを作っていただければとデザインしました。
お店のロゴマークの丸、三角、六角形は着物の和柄でよく使われています。
店の名前もロゴマークも、シンプルでないと伝わらないと思い、漢字ではなく平仮名にしました。」
—笠原:「わかりやすくて、日本的でとてもいいですね。最後にこれからのビジョンがあれば教えて下さい。」
—系谷さん:「日々の生活にもっと和装を浸透させていきたいと思っています。」
絆工房と浴衣販売レンタルのお店「いろは」系谷 瞳

 

週に何回かお手伝いに来られる瞳さんのお母様。
「仕事が忙しく子育てはおばあちゃんに任せていましたので、
娘とゆっくり時間を過ごしたのは高校生の時に連れていった着物ショーが実は初めてでした。」

それまではなかなか親子の時間がとれなかったのが同じイベントに参加し時間を共有することで今までの時を埋めるように急速に親子の絆を深めていかれた系谷親子。 「一卵性双生児よね。」とお互いに微笑む二人。 日本の文豪たちに愛された城崎温泉が、海外の現代の文豪達に愛される日がもうすぐ来ています。 浴衣レンタルのお店 『いろは』   (10:30~18:00 20:00~22:00 定休日 木曜日)   〒668-6101 兵庫県豊岡市湯島449    TEL / FAX:0796-32-0168

【次世代が戻ってきたいと思える町に】No.44大島興産株式会社 常務取締役 大 島 康 弘様

絆工房とトマト大島常務
絆工房とトマト大島常務
絆工房とトマト大島常務

「絆さんとは24年前に幟をやってもらったのが最初だったかな。」


お客様との打ち合わせ電話が終わり,そういいながら、奥の部屋から現れた大島さん。
幅の狭いラインが上品なペンシルストライプ柄のズボンとベストがスタイリッシュな大島常務。

若い経営者が取り組む絆の話しを伺いました。
 


■ 多くの出会いを通して経験を重ねた経営者

 

絆工房トマト大島常務

 
笠原「24年前からの付き合いになるんでしょうか。最初は幟で、広告、今はチラシですね。どうですか?(当社担当者は)ちゃんとやっていますか?(笑)」

—大島常務「もちろん!こういうやり取りはコミュニケーションが大事。業界では当たり前のことをどうきちんと伝え、それをチラシに反映できるかが大事です。伝わりにくいところを伝える難しさはあります。」

—笠原:「何事もそうですね。ところでいつからここで働いておられるんですか?」
—大島常務:「若い頃は伊丹にいたんですが、成人式に参加する為にお正月に帰省したんです。ちょうどお正月は人手不足ということで手伝うはめになり、結局成人式も参加できませんでした。(笑)
そしてそのまま働くことになり現在に至ります。 30代はがむしゃらに寝ずに仕事して、本当にしんどかった。子供たちのがお風呂に入る時間帯も働いていましたから、子供たちともっと一緒に入りたかったなっていうのが唯一の後悔でしょうか。今思うと、30代というのは空回りの30代というのかな、ずっと背伸びをしていたので壁にぶちあたってもジャンプする力もなかったですね。でもその中で、いい出会いやいい経験があったんですね。そういう人たちのおかげで、乗り越えられたと思います。」

 
—笠原:「いい出会いと言うと?いわゆる人生のメンターにあったわけですね。どんな方ですか。」
—大島常務:「おやじと野村監督ですね。おやじは僕の原点です。『世の中に完璧はない。あったらトラブルという言葉はない。トラブルがあるからメンテや掃除をするんだ。』『都会の100円と田舎の100円は同じ。でも田舎はもっと重みがある。田舎で信用をつくるのは大変なことだ。田舎を舐めたらあかん。』が口癖。野村監督は、彼の本は全て読みました。読んでみると、ほぼ同じことを伝えていますね。 “人の値打ちは失敗するかどうかではなく、失敗から立ち上がれるかどうかである”とかです。答えをもらったというか、癒されましたね。」
忙しい日々の中で読書家の大島常務。事務所には沢山の本が置かれています。いつかは自分の自叙伝を書いてみたいという熱い経営者。

 

絆工房トマト大島常務

 

■ 町の発展と共に歩む会社づくりを目指す

 
—笠原:「大島さんにとって絆とはなんだと思いますか?」

—大島常務:「絆というと、引っ張りあったら切れるもの。お互いにいい感じで引き合うものではないかと。田舎で商売をしていると、地域との絆も非常に大事ですね。但馬はどんどん人口が減っていっています。(都会に)出ていく子ばっかりで、戻ってくる子も住みたいと思える町にしたいです。その点で自分に何が出来るか、但馬の子供たちのために一回やったら終わりじゃないことをしたいと、飛び出し坊や注意の看板を作っています。去年やったからもういいというのではなくこれからもその活動は続けていきたいと思っています。」
 
大島常務の“見えないところで地域活動をやりたい”というポリシーは、現在では但馬という枠を越え、日本や世界の未来をよくする為に研究する人たちをサポートするまでに広がっています。
日本の将来を但馬から応援する地域密着の経営者、大島常務でした。
 

 
 それにしてもこの斜め45度からくる2人の立ち姿、、すごいなぁ〜 byライターの独り言

絆工房トマト大島常務
絆工房トマト大島常務
元担当者も取材途中でチラシ確認でお邪魔しました

【技能でなく礼儀を重んじる子育て】No.43 嶋崎 学様

絆工房と嶋崎学、嶋崎玖

絆工房と嶋崎学、嶋崎玖
 
4才でスノーボードを始め、数々の大会で入賞した後、今年の6月、弱冠10才にして最年少タイ記録でハーフパイプのプロ認定を受けた天才スノーボーダー嶋崎玖。

スノーボードメーカーのトップブランドBurtonとスポンサー契約を結ぶなど、
”プロ顔負け?いやもう既にプロ”の恐るべし小学6年生がここ豊岡にいます。
今回は、スノーボードで脚光を浴び、夢を実現するために親元を離れ海外で厳しいトレーニングに励む息子玖君を日本で温かく見守るお父様の学さんにスポットライトを当て、人との絆、親子との絆など伺います。    

 


■黒く輝く宝物 「玖」

 

絆工房と嶋崎玖くんの父親学さん



ー笠原:「玖君って珍しい名前ですがお父さんが付けられたんですか?」
 
ー嶋崎さん:「僕が野球をやっていたので、最初は「球」という漢字にしようと思いましたが、最終的には黒く輝く宝物という意味のある「玖」にしました。玖がスノーボードを始めたきっかけは、夫婦でスノーボードのインストラクターをボランティアでしておりまして、神鍋のナイターで滑っているうちに夢中になったようです。」
 
ー笠原:「学校の先生をされていらっしゃるということですが、最近の生徒さんはどうですか?
なにか苦労などあれば教えて下さい。」

 
ー嶋崎さん:「そうですね。こちらが良かれと思ってやることが果たして本当に生徒が求めているものかどうかを常に自問しないといけないと思っています。例えば、もっと学力をつけさせたい!って思うと、必然的に宿題が多くなるのですが、そうなると学校から帰って寝るまでのわずかな時間がすべて宿題に充てられてしまう。「もうやった?もう出来た?」という親の声に子供達は常に追い立てられ、余裕がなくなってしまうんですね。
ですから学力は宿題でカバーするのではなく、授業重視でやっていくことが必要だなと思いますね。また最近は自尊心が低い子が多いような気がします。自信がない事ははじめから自制してしまうんですね。本来、子供は認められたがっているんです。 でも悪いレッテルを一度貼られるといい事も出来なくなってしまう、そんな子が自信をつけることが出来るような場の設定や、僕なりの応援が出来たらと取り組んでいます。」
 

■ 教師と経営者の共通項

 

9890嶋崎玖君

 
ー笠原「そうですね。ある一点だけを見て「あいつは悪い奴だ」とこちらの価値観で判断してその人の全人格までも否定してしまおうとする場合がありますね。人は、親や上司といった上の人間からの指導の仕方によって人間形成されます。商品でも同じです。例えば壊れた商品でもそこに価値を見出すことで売れることがあるんですよ。
お話を伺うと、「人をどう活かしていくか」という部分では先生も経営者も一緒だなと思いました。


子供って好きなゲームがあると親に隠れてでも何時間でもやりますよね。一つ一つクリアしていくゲームの楽しさがあります。同じように勉強も仕事もゲームのごとくすると楽しくなるものです。がむしゃらに何かに没頭するというのは達成感があります。その達成感を体感できることがつまり楽しみになります。人は何によって成長するかというと成長が体感できた時です。

絆工房は、ゲーミフィケーションといって、ゲームをするが如くに仕事をするという経営理念があります。普通、人は休み明けの月曜日は仕事に行くのが憂鬱になりますが、月曜日が待ち遠しくなる会社になるよう環境づくりを整えることを経営者として常に考えています。
嶋崎さんのところはご夫婦で決めた子育てのルールなどあるんでしょうか?」
 

 

■ 目的と目標は違う。人生において大切なこととは

 

9890嶋崎玖君

 
ー嶋崎さん:「そんな大げさなことではないのですが、何か一つのことをこつこつと続けることが自信にもつながると思いますから、4才からずっと日記をつけています。まだ字が書けない幼稚園の頃は、妻がそばで一緒に書いていましたね。
時間がない合宿は終わってからまとめて書いてますが、自分がその日何をしたかを振り返って記録していくという日記は続いてますね。 それから、出来る、出来ないといった技能レベルでは叱りませんが、挨拶や感謝の心を忘れた時には叱ります。


例えば、リフトを降りる時はスタッフの人に「有り難う」と挨拶すること、ボードをぞんざいに扱わない、といったことです。今の息子を育てたのは、なにも私たち親だけでなく色んな人たちが育ててくれました。

多くの人の支えによって自分の今があるということを忘れずにいるということです。夢はオリンピック出場のようですが、そこに至るまでの人との絆を大切にしていって欲しいと思います。オリンピックが目標にはなってほしくないと思います。外国での合宿で出会った様々な国の友達との絆を大切にして欲しいです。そういう友達は玖の人生で本当に財産になると思っています。」

絆工房と嶋崎玖くんの父親学さん


ー笠原:「目標と目的は違いますからね。目標はあくまで通過点に過ぎません。そして人と人との絆は、本能だと思います。脳のクセに” 生きたい”、” 知りたい”、” 仲間になりたい” というのがあるそうです。生きたいと知りたいが結びついて発生したのが科学、知りたいと仲間になりたいで発生したのが文化、そして仲間になりたいと生きたいが結びついてうまれたのが宗教です。

これからの時代は人間力が今まで以上にものをいう時代になります。玖君のように若い時から海外に出て違う価値観を持っ帰ってきてくれる若者がどんどん増えて欲しいと思います。井の中の蛙にならず、よそ者、馬鹿者、変わり者、そして若者が地方や日本の意識をどんどん変えていって欲しい、玖君も是非世界で活躍してそこで学んだ異 文化価値観を日本に持ち帰って新しい風を吹き込 んでほしいですね。有り難うございました。」                       

絆工房 嶋崎玖君

 

皆さんも、応援よろしくお願いします!

 
 

【教育は自分づくりが大事】No. 41日本アウトワード・バウンド協会 教育事業部部長 田中裕幸様

大学卒業後、ゼネコン、国会議員の秘書、企業コンサル業を経て日本アウトワード・バウンド協会(以下略OBJ)に就職。7年間の勤務後、自らの会社、『アウトドア・エデュケーションセンター(現)エッセンシャル・エデュケーション』を設立。また、『国立淡路青少年交流の家』の所長就任と多方面から人材育成をプロデュース。現在は会社を息子さんに譲り、2016年OBJで再び教育事業部部長及び関西校ディレクターに就任。2017年4月、旧豊岡市立西気小学校にOBJ関西校が開設。高原の涼しい風が吹き抜ける窓際で話しを伺いました。

会長笠原と同じようにこんがりと日焼けされているのはテニス仲間とのこと。
納得の褐色。

■『冒険活動の中で普段の自分の姿が表れる』

絆工房とアウトワードバウンド田中さん

― 笠原 「OMJはどんな活動をされているんですか?」
― 田中さん「創始者はイギリスのパブリック・スクールの校長クルト・ハーン。
大自然を舞台にロッククライミングやカヤックといった普通の学校では体験できない冒険活動を通して自分を振り返る、
こうありたいという自分の発見しようという活動をしている内閣府認定の公益財団法人です。」

実は、同じ神鍋高原にある植村直己冒険館の登山家植村直己氏の生前アメリカのアウトワード・バウンド協会で
犬ぞりインストラクターを務めたことがあるとのこと。
植村氏も帯広に冒険学校を設立する夢を持つほど青少年育成に情熱をかけていたと言われています。

遠いアメリカのアウトワード・バウンドでインストラクターを務めた植村氏の植村直己冒険館と
OBJ関西校が同じ神鍋高原にあるのは不思議な縁。
この縁を生かし、神鍋高原をどう活性化させるか。


― 田中さん「ロッククライミングやマウンテンバイクといった冒険活動の中では普段の自分の姿がよく見えてきますね。
日常生活でどうにかして壁をよけてやり過ごそうという人(大人でも子供でも)はロッククライミングでもそういう登り方をしています。またマウンテンバイクで限界まで足をつけずに登るチャレンジを子どもたちにさせて、どのような時に足をついたか尋ねてみると、他の子供が足をついたのを見た時といいます。
自己限界が他者との比較になるんですね。様々な場面で『私』という主語で語れない、「私はこう思う。」が言えない子が多いですね。周りの様子を見ながらの発言や行動が多く見られます。」

― 笠原 「出る杭は打たれるからみんなが周りの顔色をうかがって自分の行動を決めるところがありますね。
ただ、ちょっとだけ出ると打たれるけど、思いっきり出てしまったら打たれないと思うよ(笑)。
神鍋高原を含めて地域産業の活性化を考える時に、一番投資効果が高いものは何かというとそれは教育じゃないかと思うんです。ただこの教育が(実を結ぶのに)時間がかかるんですよね。
だからOBJの主な活動を自然豊かな神戸高原からどんどん発信して若者を育てていくことがこれからは大事じゃないかな。」

■ なぜ 底辺 x 高さ÷2なのか?地頭力を育てる

 

― 田中さん「日本の学生は、公式はよく知っている、正解も知っている、でも正解のない答えを導き出すことは苦手。
三角形の面積を求める公式は、テイヘン カケル タカサ ワル 2は知っていても、なぜ2なのか?
自分なりのロジックで説明することが出来ない。不登校キャンプというプログラムの中の若者達が
『学校や大人に「なんで?なんでダメなんだ?」ってこっちがダメな理由を聞いても「ダメなものはダメ」「校則だからダメ」という納得ができない返答ばかりが返ってくる』と言ってます。
自分の発見したり感動がない。
世界一教育水準が高いのはやはり北欧ですが、その中で幼児の自然体験や環境教育、森のようちえんといった活動が盛んです。子どもたちが森の中に入っていろんなことを学ぶのですが、例えば、森に入った時にたまたま動物の死骸に遭遇すると、子どもたちは頭を寄せ合って、なんで死んだんだろ?からはじまって、土に埋めた方がいいんじゃないか?いや、他の動物の餌になるようにこのままにしておこうと色んな意見が飛び交い、延々と話している、
そんな子供たちを先生は何も言わずただ見守っているんです。
本当は、子どもたちは別の目的で森に入ったはずなんです。
先生にそのことを尋ねると、『デモクラシー(民主主義)ですから』という答えが返ってきます。
教育はなんの為にあるのか徹底しているんだと感じました。日本だと、「あー汚いから触っちゃダメ。先に言っておきなさい。その間に先生がお墓を作っておくから後で皆で手を合わせましょう」というふうになるんじゃないでしょうか。」


― 笠原「常に先生や親が答えを用意してお膳立てしてしまっている。転ばぬ先の杖を親が立てすぎて子供が身動きとれなくなってしまっています。出来るだけ杖を立てないことですね。」

 

■ 強調と同調は違う

絆工房とアウトワードバウンド田中さん


ー田中さん 「日本の学生は、公式や正解はよく知っているけど、問題が起きてエラーを自分でリカバリーする力がないですね。野外活動で飯ごう炊さんをした時、ある班がお米を地面に落としてひっくり返してしまったんです。
『ご飯を落としました!』って言いに来たもんだから
『それで?』って言うとびっくりするんですよ。
しばらくするとまたやって来て『代わりにお米はありませんか?』と言うから
『ない!』(笑)というとまたびっくりして今度は
『他の班のご飯を分けてもらってもいい?』と聞くから
『いいよ、先生のところにはないけど』。


問題が起こった時にどう解決していくかを自らの力で考える機会をもっと体験を通して学んでいくことが必要です。
転んだらどうやっておきあがったらいいか、それを家庭も学校も教えていないから問題が発した時に、ヘルプメッセージが出せない、声を出せない、そして周りも声をかけない。
その結果、せっかく一流大学を卒業し、一流企業に就職したのに会社にいけなくなってしまう。
3年以内の離職率が30%ですよ。会社を辞めた後の方が人生長いんですがね。」

― 笠原 「企業に求められるのは人間力。教育までを会社が教えるわけにはいかないから、
社会に出る前にこういう田中さんのような活動の場で若者が自活、自力することを学んでいって欲しいと思いますね。」


― 田中さん 「学校の教室によく壁に『仲間づくり』と掲げられていますよね、でも本当は『自分づくり』なんですよ。
まず、自分というものが大事
『私はこう思う』『私はこうする』という、【色んな私】が強調していけるような仲間づくりなら大事なんですが、
そうではないですよね。皆と同じことをすることを求められる。ずっと学校では同調しろと言われ、社会に出た途端にいきなり自分で考えて行動しろと言れる。
『そんなこと学校で教えてもららってませんけど』って話になる。人間館kネイのストレスを他人のせいにしてしまったりね。日本の学力は低下していると言われていますが、僕は基本的な学力はいぜんとして日本は高いと思っています。
保有能力はある。ただ発揮能力がない。それをOBJのようなところで発揮できる、そんな場を提供できたらと思います。」 

アウトワードバウンド

若者を社会という大海原にもうすぐ送り出そうという意味をこめたOBS のロゴマーク。
学校で教えられることと社会や会社で求められる人材や人間性の間を、大自然というツールを使って限りなく縮める。

学びと実社会のギャップを埋め、本当の自分自身に気づき自分がどうありたいか、そのことを社会の中で実現しようとする強い気持ちをもった人を養う活動。これが田中さんの目指す活動です。
経営と教育、実は密接につながっています。

以上

 

【絆のカタチ】No.52 AC播磨イーグレッツ運営事務局代表 岡田隆人様

イーグレッツ岡田監督

イーグレッツ岡田監督

『ジャイアント・キリングになれ』

 
1993年にユネスコ世界遺産に登録された姫路城。その姫路城のお膝元に今回取材するAC播磨イーグレッツ運営事務局があります。
バスケットボールチームとフットサルチームの2本柱で地域リーグに所属。
姫路で唯一の女子フットサルチーム。イーグレッツのイーグレットegretは、白鷺という意味。
真っ白な漆喰の壁が美しい姫路城は、まるで天を舞う白鷺のように見えるということで、別名白鷺城とも言われています。その白鷺にちなんでチーム名が誕生。天高く羽ばたくべく、日々練習に励んでいます。

 
その白鷺女子のチーム活動を支えているのが岡田代表。
20代でイベント音響関係の会社を立ち上げて現在58歳。
バスケットボール経験者で、家族も野球、バスケに打ち込んでいるスポーツ一家。
2012年に女子サッカーチーム「ASハリマアルビオン」を、翌年にバスケットチームを立ち上げそのオーナーに就任。ちょうどその頃、インカレベスト4に入る実力者で日体大卒業後、姫路の日ノ本短大に在籍中でもあった小平キャプテンが、フットサルも是非設立して欲しいという要望を受けて誕生したのがフットサルチーム。「日本一を目指すには、まずは「日本一を決める試合に出られるようにならないといけない。」と岡田代表。
「彼女達はポテンシャルがあるのですから、もっと果敢に試合を攻めて欲しいですね。でも、尻込みして守りに入ろうとする時もあり、歯がゆく感じます。」
代表が悔しそうに話されるのには理由があります。それは取材日の直前に先月(6月)に行われた試合結果。
 

普段は選手に直接指導をしないという代表ですが、その時は、思いを抑えきれずに「遠方から応援に来てくださった親御さんやスポンサー各社の方も応援に駆けつけて下さった。
他にも多くの方に支えられてフットサルが出来ている。そのことに本当に感謝しなければならない。
それに答えるには、勝つこと、一生懸命にやっている姿を見ていただくことである」と、熱く選手に伝えたそうです。
もどかしくても、歯がゆくても、常に選手達の『日本一になりたい』夢の実現に向け、選手の住むところ、働く会社も斡旋。
 

—笠原「なかなか仕事も紹介してくれるところは少ないですよね。苦労があるのではないでしょうか。」
—岡田代表「そうですね。せっかく紹介しても仕事の方が続かなかったりする選手もいますし、しっかりとバランスのいい食事を心がけるように言っていますが、彼女たちはまだまだ若いですからつい食費を削ってしまうんですよね。アスリートは体が基本ですからしっかりと食べて欲しいので、たまに焼肉に連れていったりします。」
―笠原「ほぼボランティアでやっているサポートですが、そこまでされる代表の思いは何ですか?」
―岡田代表「沢山の苦労をしても、試合に勝った瞬間というのは、何とも言えず嬉しいものです。その瞬間が忘れられず、その瞬間の為に彼女たちのサポートをやっているという感じです。」やはりとても嬉しいとガッツポーズをとられて言われた岡田代表。
何としても日本一を決める試合会場に出場させてやりたいという親心のようなものが苦労してもサポートし続ける原動力となっています。
その原動力こそが、代表と彼女達との絆の核であると感じました。
事務所での取材の後は、近くの体育館に移動。
雨の降りしきる午後7時にJA体育館の扉を開けると、既に仕事を終えたフットサル女子5人がウォーミングアップ。
今春ユニフォームの打ち合わせに来社した際に『日本一を目指します!』と力強く言われた小平キャプテンの姿もあります。彼女達の出身地は様々。
北海道、東京、大阪、佐賀と、全国から集まっており、ほぼ毎日仕事が終わってから練習に励んでいます。
 

—ウェアサプライヤーとしての絆工房に期待するものとは?
—岡田代表「是非、試合会場に応援にきて下さい。選手のモチベーションがあがって張り切りますよ。それから、手足の長い選手のユニフォームの他にも、背の低い選手用の丈の短いパンツも欲しいですね。体育館でスライディングしても破れないソックスも欲しいです。」
今回実際に取材してみて、選手の生の声も頂くことが出来、今後の商品開発に活かしたいと思います。



 

 

 

インタビュー記事  

男前小平キャプテンにインタビューしました!

 

 

【絆のカタチ】No.39仕事は夢であり希望『ふれりあ』 代表 田原美穂様

先々代から江原駅前に花屋を営んでおられる田原花店。
1998年に日高町イートバリュー近くのフラワーショップ『ふれりあ』をオープン。
家族それぞれが得意分野を生かしながら経営していましたが、2年前から店舗業務を担当している若奥様、
田原美穂様に生花店を切り盛りする苦労や今後の夢をうかがいました。

■ターニングポイントは”かっこ悪さ”

 

絆工房の絆のカタチとフラワーショップ ふれりあ

ー笠原「最初に、この職業を選んだ理由を教えて下さい。」

ー田原さん「お花が好きだったからです。」

その言葉通り、結婚前までは芦屋の花屋さんに勤めておられた美穂さん。
長身でふわりとしたロングヘアーの似合う女性。偶然にも生花店を営むご主人と知り合い結婚。
当時は、華道に代表される和風中心の生花を営んでいた田原花店ですが、より手軽に買えるようスーパーにも卸すようになります。
お客様を待っているだけでなく、営業もこなします。

ー田原さん「『ふれりあ』は営業にも行く花屋さんです。このネーミングは気に入ってますね。営業でお会いした方との会話の中からビジネスアイディアが浮かんだりします。営業で出会う方は、皆さん優しく色んなことを教えて下さいます。」

しかし、時代の流れと共に、生け花人口の減少、生活環境の変化に伴い売り上げが減少、それにともなってスタッフも減り、『ふれりあ』にとって厳しい時期がやってきます。

その状況を打開すべく、2015年、商工会の経営支援を受け、新たに事業計画を打ち出します。

ー田原さん「ここ数年の自分を一言で表すとしたら、”かっこ悪い”。かっこ悪いけど、勉強しよう、かっこ悪いけど教えてもらおう、かっこ悪いけどお客様に意見を伺おう。何事も初めての連続、失敗の連続でした。でも、何度も失敗を繰り返していくうちに、次第に出来るようになってくるんですね。不思議なものです。」

 

■仕事は夢であり希望

絆工房の絆のカタチとフラワーショップ ふれりあ
前列左から達富さん、清田さん、後列左から垣口さん、田原代表、田中店長

魅せるフラワーショップは、だんだんと人気フラワーショップとなっていきました。

「ふらっと気軽に立ち寄れる様なお店づくり、男性のお客様にも見てもらえるようなHPづくりもやっています。そのためにも、やはり改めて、経営の勉強の大切さを学んだ気がします。」

ー笠原 「美穂さんにとって仕事とは何ですか?」

ー田原さん「仕事は夢であり、希望であり、そして楽しいものです。スタッフにも恵まれ彼らと一緒にする仕事が楽しくてしかたがありません。とはいえ、数字面ではまだまだ支援立て直し途中です。目標は地域外(街)から豊岡に売り上げをとってくる人になりたいですね。」

絆工房の絆のカタチとフラワーショップ ふれりあ

 

絆工房の絆のカタチとフラワーショップ ふれりあ



地方にいながらにして、都会のお客様にも対応できるようなフラワーショップにしたいという夢をもつ美穂さん。
そのためには、シェアの取り合いではなく、より個性的な専門店でありたいと奮闘。

■今いる場所で花を咲かせる

 

ー田原さん「晩婚化時代結婚式自体が少なくなってきていますし、まだまだ大変なことが多いですが、ここ但馬発信でやっていきたいですね。花で生活をお洒落に、そしてワクワクする但馬にしたいです。

花贈りというのは、絶大な幸せ感が持てます。花一つでそんなにっていうくらい喜んでもらえることを、もっと多くの人に知ってもらいたいです。貰った人が幸せで、それを見てあげた人もまた幸せになるという素敵な絆が出来ます。大層な贈り物でなくていいと思うんです、ちょこっとさらっとプレゼントや手土産、挨拶代わりに花を贈って欲しいですね。」

文字通り、そこに居る場所で花を咲かせようとする『ふれりあ』の代表田原美穂さん。
スタッフとの絆も強く、ここ但馬の地で『ふれりあ』という大きな花が開花。

美穂さんの仕事は素敵な花を通しての絆づくり。
これからの益々のご活躍を期待しております!

フラワーショップ  『 ふれりあ 』
〒669-5305 兵庫県豊岡市日高町祢布988
  tel&fax 0796-42-3366

 

【絆のカタチ】No38 朝倉商事株式会社 代表取締役社長 朝倉裕登 様

朝倉商事

朝倉商事

 

昭和24年、「朝倉瓦屋」からスタートした朝倉商事株式会社。
昭和36年には、「朝倉セメント工業」と名称変更して、ブロック製造業も携わります。
昭和55年からここ但馬の老舗の石の総合商社として浅倉地区で商いをされておられます。
当社のご近所さん企業です。


 
―笠原:「先代の亡きお父さんはどんな方でしたか?」
―朝倉社長「父は、行動派の人でした。韓国語、中国語といった外国語を喋れなくても、いい石を求めて、ためらいなく海外に飛ぶといった非常に行動力のある人でした。
僕も海外に対しては、どうにかなるという思いがあり、その点は父と似ているのかな、と思います。」

—笠原:「違うところ(国)に飛び込んでいくのは冒険ですね。でも、普通と同じ事をやったら、結果も普通。
やはり発展的なことに取り組むのには勇気が必要。そう考えると、仕事って、食わんがために働くのではないんですよね。
食うために働くのは動物と同じ。人間は、物質の豊かさではなく、心の豊かさの実現の為に働かないといけないと思いますね。」

—朝倉社長「そうですね。行動派の父にしてもそうでしたし、僕もいつしかどうせ社長をするなら20代でやってみようという思いや、母にいつまでも頼る訳にはいかないという思いが強くなり半ば強引に社長業を引き継ぎました。
会社に入ってからは自分の顔と名前を知ってもらおうと商工会や消防団といった地元の組織に積極的に出席しました。
地元で会社経営していく上では、やはり”顔”を知ってもらうことが大事です。
そうすることで道で会っても気軽に挨拶ができる関係が築けます。
早くに父が亡くなり、当初は「若い社長だな。」と言われましたが、今となっては若いうちに社長業を経験できて良かったなと思っています。」
 

 

■シャイな社長が打ち出した社員とのコミュニケーション技とは!?

 
—笠原:「(社長業は)やってみてどうですか?」
—朝倉社長:「実は、僕は、話す事があまり得意じゃなくて、社員に何かを伝える事がどちらかというと苦手なんですよ。」

―笠原「そうなの?そういう風には見えないけど?」
―朝倉社長:「そこで、僕のように話す事が苦手な人でもコミュニケーションが円滑できるようにと、“見える化ボード”を作ったんです。ボードに業務の進捗状況や伝達事項を書くようにしたんです。耳に入ってくることはすぐ(左から右へ)流れてしまいますが、ボードを壁に貼ると目につくじゃないですか。また、情報の共有化ということで、以前は営業部内だけ共有していた情報を全社員が見えるようにメーリングリストも作成しました。初めから上手く機能するとは思いませんが、少しでも僕の思いというのもそこに書き込んでいって社員と共有できたら思っています。」

社内の環境をより良いものにしたいという思いを語る朝倉社長。


—笠原:「いやいや、よく話されているよ!(笑)」
—朝倉社長:「そうですか?他にも各社員の入社日が近づくと毎週月曜日の朝礼で勤続年数と入社日を発表したり、誕生日が近づいた社員にはお祝いの言葉を伝えています。でも、僕自身が、社長たるものあまりべらべら話すものじゃないって気負いがあるのと、社員が、社長である私と話しするのって萎縮しないだろうかと、つい気になってしまうんですよね。」
—笠原:「それは僕もあるよ。」
—朝倉社長:「やはり社長が発する一言っていうのは、軽い一言でも重い意味を持つことがありますからね。」
—笠原:「そう。でもやっぱり言っちゃうんだよね。言わずにはおれないというかね・・。」
 

■地元に愛される会社であり続けたい

 
朝倉商事は、「季節のたより♩」という名前で年4回、絆工房と同様に定期的にニューズレターを発行。
夏の近隣の花火大会の開催表は絆工房でも掲示板に貼って大活躍です。
他にも「ASTONE通信」は今月で106号(約9年)を迎えます(※2017年時)。
 

―朝倉社長「最初は、業務命令だった「季節のたより♩」や「ASTONE通信」も今では社員自らが積極的に作成し、私の手元に原稿が上がってくるのをみると「あ、もう通信を発行する時期なんだなと気づかされています。逆に社員から尻を叩かれ、こちらもやらねば!という気持ちになりますね。見える化ボードの作成、「季節のたより♩」、「ASTONE通信」を発行することが、売り上げに直結しているかどうかはわかりません。でも、こういった絆づくりを続けていくことが大事なんだと思っています。お客様カードを書いてくださった方へは、誕生日月にメッセージカードを送ります。出来るだけメッセージ、住所は手書きにこだわっています。」

絆工房でも、ニューズレターを社内の情報発信だけでなく、絆づくりのツールの一つとして、また人の記憶に残ってもらう目的で発行し続けています。

—朝倉社長:「話すのが苦手といっても、会議の後は、必ず社員と一緒にご飯を食べたり、年に一回、BBQ大会を開いています。今の社員やその家族、会社を辞められたOBの方々も必ず招待しています。自分の家族ももちろんですが、社員の家族やその子供たちも僕にとっては家族です。昔、私が若い頃、いろんなことを教えてもらったOBの方々には今も感謝しています。たくさんの人の助けでここまでやってこれました。これからもその恩を忘れずに、地元で愛され続ける会社、笑顔のたえない明るい会社でありたい、それが僕の夢であり目標です。僕にとって、社外の人から、自分の会社の社員のことを褒めてもらう言葉を聞くのが一番嬉しいものです。」
取材中終始おしゃべりは苦手とはにかみながら話す朝倉社長。しかしながら、「会社も私自身も知ってもらうことが絆作りの一助になる。」と、ブログやFBでは、会社の事だけでなく、社長自身のプライベートなこともオープンに発信。その大胆さに、寡黙な人柄の中にも、社員を愛し、地元を愛し続ける石のように固く揺るぎない経営者の想いがあり、それが溢れた取材となりました。

 

最後になりましたが、
朝倉商事様は、笠原の誕生日近くになりますと必ず誕生日カードを送って下さいます。
手書きのメッセージにちょっとしたプチプレゼントを添えて・・

2017朝倉粗商事様誕生日カード

とても大切なご近所絆仲間です。


兵庫県豊岡市日高町浅倉30-3
朝倉商事株式会社
Tel:0796-42-3707
Facebook:朝倉商事株式会社
ブログ : 幸せいっぱい♩縁起物の朝倉ブログ
社長Facebook: 朝倉裕登A
社長ブログ:Aのブログ

 

【小さなことをチャレンジすることもまた冒険である】No. 37『植村直己冒険館』館長 吉谷義奉様

植村直己冒険館吉村館長

植村直己冒険館吉村館長

平成6年に設立された植村直己冒険館。
登頂前に現地の人達と触れ合い、同じ物を食べ、同じ生活をし完全に溶け込んでから登頂したと言われる植村氏。
デナリ(旧マッキンリー)に消えて32年経った今でも彼の業績や生き様を知ろうと訪れる人が多い冒険館。
その冒険館に平成8年に業務に携わり、15年に館長に就任した吉谷義奉館長。

人と人との心の絆を大切にした植村氏の心を通して、現代の私たちがどう人や仕事と繋がっていったほうがいいのか、
銀杏が紅葉したおしゃれなテラスで話しを伺いました。

■失った大切な心を取り戻す

ー笠原「植村直己冒険館」の存在意義とはなんでしょう?

ー吉谷さん 「まずは、植村氏の冒険を正しく知ってもらうこと、2つ目は、こんな素晴らしい日本人がいたという彼の人となりを伝えること、そして3つ目は、物事にチャレンジする大切さを伝えることです。
世の中にはその人その人なりにチャレンジがある。例えば、冒険というと高い山に登った、長い距離を歩いたこと等が冒険と言われがちですが、そういうのではなく大病したけど自分なりにこういうチャレンジをした、例えば小さい山を登ってみた、これも一つの冒険です。
こういうその人なりのチャレンジを発信できる場が冒険館です。冒険館は、冒険者だけではなく、チャレンジャーも応援するところです。」

ー笠原 「ずばり植村氏のどんな人柄を伝えたいですか?
 
ー吉谷さん「生前の植村氏を知る人に取材やインタビューすると、皆さん、彼の業績よりも彼の温かく謙虚な人柄を必ず語られます。彼は、世界初の五大陸最高峰登頂、北極点犬ぞり単独行など、ものすごい偉業を成し遂げましたが、
必ず現地の人の生活に溶け込んでいました。常に周りの人を大切にし、何事にも一生懸命に現地の人達と接し、
その生活から色んな事を学びながら強い心を育んだからこそ、高い業績を成し遂げられたと思います。」

ー笠原 「強い心とは?」
ー吉谷さん「例えば、人はよく最後まで諦めたらいけないって言いますね、誰も諦めようと思って諦める人はいないんです。
諦めざるをえない心になってしまうのです。それが心の強さの1つと思います。では、どうすれば、諦めなくなるのか、心を強くできるのか?
それには色んな方法があると思いますが、植村氏の行動を見ていると、
「感謝の心」と「思いやりの心」、この2つを高めていくと強い心が育むように思います。
僕は今の日本人が忘れつつある絆、植村氏のそんな”心”を残していきたいと思っています。」

 

■A地点からB地点へ行く道すがらC地点を発見する

 

絆工房と植村直己冒険館吉谷館長

−吉谷さん「昔は、長いスタンツで仕事をしていました。例えばA地点から一生懸命やってB地点にたどり着く途中でC地点という別の地点を発見することがある。
「あ、自分がやりたいことはC地点なんじゃないか」と発見することがあったんです。一生懸命やるからこそ見えてくる世界がありました。」

−笠原「僕の座右の銘があって、「透明ガラスに当たるハエにはなるな」というものがあります。ガラスを通して透けて見える向こうの景色へハエは行こうとガラスと格闘する。その時に知恵のあるものが”(ガラスのない)脇にそれたらと向こうに行ける”とアドバイスします。
その時に、素直に聞くハエと頑固に聞けないハエがいる。素直にアドバイスを聞いて飛ぶ方向を変えてみると、新たに見えていない世界にたどり着くことができます。だから動かないとダメです。」

−吉谷さん「今の世の中はともすればソツのない仕事をします。確かにそれも大切なことですが、昔は“あの人優しいね。”、“あの人親切だね。”がはじめにあって、その上で“あの人賢いね。”という人柄が重視されてました。我々50代〜70代がそういう世の中にしてしまった責任でもあるのですが、この「やさしさ・親切・一生懸命」が大切にされる世の中に戻したいと思っているんです。今はそういう絆が失われているのが残念でなりません。感謝と思いやりの心があれば、大抵はうまくいくものです。」

–笠原「商売の本質は、つまるところ“親切”。」

 

絆工房と植村直己冒険館吉谷館長

−吉谷さん「それから、これからの企業や社会は、誰も想像つかない発想ができる人、そしてその実現に向けて行動に移せる人を求めていると思います。
じゃあ、発想力はどうやったら作られるのか?それは、どれだけ経験、体験したかで決まってきます。
ですから若い人は何でも体験することです。植村氏は、「マイナス50℃を体験すれば、マイナス20℃は温かく感じる」と言われたそうですから(笑)。
厳しさの基準というのは、体験の深さによって大きくかわってくるんですね。
そうなると、実践力の違いも生じてきます。実践力とは“やるか、やらないか”です。
情報も知識も全くない白紙の状態から何かをやる人はいません。
誰かの意見であったり、本からの情報、知識であったりして経験値に基づく発想が生まれるんです。
この発想が多い人ほどいいモノが作れます。
今までしたことがないこと、それが冒険です。植村氏のような極地に挑むことも冒険と言いますが、小さなことでもチャレンジすることも冒険です。」

—笠原「人の成長というのは、昨日と同じようにやっているようでは成長にならない。昨日やらなかったことを今日やってみる、新しいことに挑戦することが成長です。」

植村氏の“心”を残したいという強い想いの吉谷館長。

ー笠原 「若い人たちへのメッセージをお願いします。」

絆工房と植村直己冒険館吉谷館長

ー吉谷さん「ここを、日本の冒険館にしたいなと思っています。チャレンジする人を応援しようとする場所。若者たちが、ここ(冒険館)に来れば、私たちの声を聞いてくれる、力になってくれる、心が癒されると思ってもらえるような場所にしたいです。チャレンジする人、冒険者の聖地になればと思います。とにかく色んなことにチャレンジして下さい。」
            

絆工房と植村直己冒険館吉谷館長

以上

 

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【絆のカタチ】No.51アドバンス株式会社 取締役支配人 樋口正輝様

アドバンス株式会社 取締役支配人 樋口正輝様

 

「神鍋を非日常生活を提供していく場に」

 
冬はスキー、夏はトレッキングやニジマス釣りと四季折々のアウトドアの楽しさを提供してくれる神鍋高原。2018年には、目線を大地から空に向け、360度広大な高原を上から楽しめる熱気球体験アクティビティーもスタート。関西一の名門スキー場というポジションに甘んずることなく様々な角度から高原の魅力を掘り起こそうとする若き仕掛け人、樋口正輝様に、3月末とは言えまだ肌寒くストーブを炊いた事務所でお話しを伺いました。
 
 

 

■ 「経営は始まってからが一年生」

取締支配人ということで年配の方を想像していたのですが、現れた人は少年のような方。

−笠原 「樋口さんはお幾つですか?」
−樋口さん 「33歳です。」
−笠原 「どういった経緯でこの神鍋スキー場経営に携われたのでしょうか?」
−樋口さん 「愛知県生まれですが、父親が新潟ということで幼い頃からスキーは慣れ親しんだスポーツでした。大学もそういうわけで北大に進みました。」

−笠原 「卒業後すぐにスキー場経営に携わったんですか?」
−樋口さん 「いえ、商社に就職しました。僕は大学では工学部に在籍していたのですが最初、ODA関係の仕事に就きたいなと思っていたんですね。ところが『理系こそ文系に就職すべき』という兄、そして、IT出身でありながら三菱商事でオリンピック通訳をした大学の先輩の影響もあって、伊藤忠商事に就職しました。『ラーメンからミサイル』まで扱う商社では、とにかく色んなことを学びました。」

商社で3年ほど働いた後、自分の得意とするスキーを活かすスキービジネスで起業するという夢を実現すべく、ネットでスキー場経営を検索。
そこで検索にヒットしたのが㈱クロスプロジェクトグループの代表取締役、辻さん。
−樋口さん 「すぐに辻さんに連絡をとって相談すると、『経営は始まってからが1年生。さらにスキー場経営は10年かかる。起業は早ければ早いほどいい。』ということで商社を26歳で退職しました。」
 

−笠原 「若くしてスキー場経営者になられたわけですが、どうでしたか?」
−樋口さん 「最初のスキー場の職場では、ごっつい指輪した、いかつい兄ちゃん達がいるわけですよ。そんな彼らに26歳の経営者がいきなり現れ、トイレ掃除一つ出来ない僕に現場の人はついてきません。『役職なんて意味ないな。』と気づきました。(経営者として)最初の挫折です。」
 
−笠原 「樋口さんにとって経営とは?」
−樋口さん「売り上げだけでは人はついてこないということ。ベクトルを揃えて全員がハッピーでないとダメだということです。絆ですね。それには(自分自身の)普段の言動の積み上げが本当に大事だと気づきました。」
−笠原 「事業を続けていく意味はなんでしょうか?」
−樋口さん「利他の精神でしょうか。言葉としては分かってはいてもなかなか大変なことも多いものですが、利他の精神でいくと基本的には物事は上手くというのが僕の考えです。」
−笠原 「樋口さんにとって大変なことって何ですか?」
−樋口さん「倫理と経済とのバランスでしょうか。健全な事業はこの2つが両立していますね。また、伊藤忠商事では、事業というのは売り手よし・買い手よし・世間よし、これが絶対であるとことを学びました。」
−笠原 「三方よしですね。」
−樋口さん「まさにそうです。」

 

■ フルパワーで生きても追いつかなかった海外留学

自分の生きる軸の基準をすでに確立し、その軸に沿った働き方、生き方をされているように見える樋口さん。
その軸にも話しが及びました。
−笠原 「ところで樋口さんの人生のターニングポイントはありますか?」
−樋口さん 「アメリカ留学ですね。留学の動機は、英語が喋れるようになりたいとかではなく自分を試す為でした。生活は本当に大変でした。まず、オリエンテーションの英語がさっぱり分からない。でも説明が終わると周りの学生は行くべき場所が分かって散らばっていくわけです。僕一人どこに行けばいいかわからない。そこで、見るからに優しそうな人を捕まえてどこに行くべきかを身振り手振りで訴えました。ようやくその日から生活する学生寮にたどり着いたのですが、着いたら着いたで部屋の扉がオートロックであることを知らない為閉め出されたり、、。朝の7時半に授業ということで寮を出ても、外は真っ暗、不安になって自分の腕時計を見ても本当に正確な時間であることすら怪しくなってくる。サマータイムがありますからね。おまけに語彙力が圧倒的に少ないので、ものすごく偉いに違いないであろう教授に対しても命令口調で言ったりと、まあ本当に大変でした。フルパワーで生きても生活が送れない。あの留学経験のおかげで怖いものがなくなりました。かっこつけてもしょうがない。」

 

■ 「死を意識することが大事」

−笠原 「開き直りですね。」
−樋口さん 「そうですね。僕は、基本ポジティブシンキングなので、失敗や不幸というのも後からラッキーと思えれば今の不幸もラッキーと捉えています。また、人生の価値は、死んだ後も分からないと僕は思います。そう思うのは、僕は8年前にスキー骨折し東京の病院で手術を受けた体験からもきています。麻酔から目を醒ますと『日本が変わっていた』んです。実は、手術したのは3月11日の東日本大震災が起こったまさにその時間だったんです。目が覚めると病院は、帰宅難民の人で溢れ、病院は、野戦病院状態。そこで、骨折したのが不幸だったのか、病院で建物の設計上一番地震の揺れに強い場所である手術室で震災の難を逃れたので運が良かったのか、どちらをとるかです。現実をどう捉えるかです。ただ言えることは、(人生において)死を意識することは大事であるということ。そういう体験をしないとトラブルがあった時の判断が甘くなるんじゃないかと思います。」
 
 

■ 仕事場はアジア

今の神鍋高原は、グラススキー、サマーキャンプ、そして関西初の熱気球体験が出来る夏も遊べるスキー場。


−笠原 「今後、この神鍋スキー場をどう経営されていかれますか?」


−樋口さん 「神鍋の人口は減少していっています。それは確かです。民宿経営する親の世代も子供に継承を強いていません。ですから人口減少を、衰退ととるか進化ととるか。新しい秩序に移行しているであれば人口減少を悲しんでそれを無理にくい止めようとする必要はありません。どの秩序に向かっているのか?僕は、この場所を非日常を提供していく場にしていきたいと思っています。雪にも可能性を見出しています。雪の降らない海外の人からみると、ここは非日常を体験できる場です。雪体験そのものに可能性があると思っています。ですから僕の仕事場は神鍋高原というよりもアジアですね。」
 
学生時代は、留学だけでなく、インドでストリートチルドレンに朝食を提供ボランティア活動の為、通勤ではドアがなく落ちたらすぐ死ぬという満員列車の体験もした樋口さん。
「文明と引き換えに日本は何を捨ててきたのか、日本で当たり前のことが実は当たり前でない」と言う樋口さんは、幸・不幸、生・死、日本の外・中といった進むべき方向の決定をする軸を、既に経験されている方という印象を受けました。
今後の活動が楽しみです。

 

【絆のカタチ】No50エンドー鞄株式会社 代表取締役社長 遠藤玄一郎様

エンドー鞄株式会社 代表取締役社長 遠藤玄一郎

エンドー鞄株式会社 代表取締役社長 遠藤玄一郎

 

豊岡市と言えば、国の特別天然記念物であるコウノトリの街、そして鞄の街として知られています。
日本一の鞄生産量を誇るこの街に、エンドー鞄株式会社があります。柳行李(やなぎごおり)発祥の地、豊岡で最も古い鞄メーカーということは、最も古い鞄メーカーということになります。エンドー鞄は今から196年の文政7年(西暦1825)創業した鞄メーカー。2つの世界大戦、世界恐慌、オイルショック、そして平成数々の自然災害など時代の荒波を乗り超えて今なお存続する会社。そこには継続していく上での大切な何かがあるはず、ということで今回はそのあたりも含めて8代目代表取締役社長である遠藤玄一郎さんに話しを伺いました。

■ 『経営ははじまってからが勝負』

絆工房と遠藤鞄

エンドー鞄は、女性が好むような甘いテイストのカラーはほぼなく、黒、グレーといった、どちらかというとマニッシュな雰囲気が特徴。


ー遠藤さん 「昔は、レディースも取り扱っていました。でもある日「なんでも出来ますよ。」とお客様に言うと、「何でも出来るということは、何の特徴もないんですね。」と言われたんです。そこで、男性用のビジネスバックに特化した商品を作ることに決めたんです。」

−笠原 「一点突破全面展開ですね。 順調に来られたんでしょうか?。」
ー遠藤さん 「そんなことはありません。大学卒業して入社早々に取引会社2社が倒産しその煽りを受けました。修業のために大阪営業所にいたのですが、すぐに本社に呼び戻されました。会社が経営難に陥ったことはすぐに噂が広がるものです。人の不幸は蜜の味でね(笑)。家のお風呂が壊れてしばらく銭湯に通っていたら「遠藤さんのところは家を売ったらしい」と噂がたったり、父と道で立ち話をしていると、「あれ夜逃げしたんじゃなかったの?」と言われたり、、、、。何とかしなければという思いから、親父や先輩達にああしよう、こうしようと提案しました。親父が「右だ!」と言ったので「いや左だ!」と反対しました。でも、従業員は親父の方についていくわけですよ。え〜右なの?って(笑)。難しかったです。あまりに私が吠えるので、「それじゃあ、お前がやってみろ」って親父に言われまして、30歳の時に専務に就任しました。」

ー笠原 「(就任されてみて)どうでしたか?」

ー遠藤さん 「起死回生を図ろうと睡眠時間3時間で働きました。それまでの付き合いは全て断ってひたすら働きました。でも、ある時、寝る時間以外の16時間働いても人の2倍しか出来ないことに気づいたんです。それに気づいてからは、他の人にどんどん仕事を振っていきました。」

 

■ 『人の困りごとをソリューションには力がある』

 

絆工房と遠藤鞄

ー笠原 「鞄作りでご苦労されたことはありますか?」

-遠藤さん 「人に伝えることが難しかったですね。例えば、ロフトやハンズの旅行かばん売り場では、軽さや静かさを謳っている鞄は山ほどあります。たとえ重たくても、です(笑)。どんなに音が静かな旅行用キャリーケースです!って言っても理解してもらえませんでした。そこで騒音体験ボードを売り場に置こうとしたんですが、今度は売り場からそんなもの置けないと言われました。そんな中、名古屋ハンズだけが目をつけてくれ、売り場でお客様に体験してもらったところ瞬く間に売れたんです。そのことがきっかけでロフト店はもとより、小売店でも取り扱ってもらえるようになりました。鞄に限らず、モノは簡単には売れません。どうやって伝えていくかが大事です。」

旅行は早朝や晩に空港へ出発することが多いことをヒントにご近所の迷惑にならない世界一音が静かな旅行用キャリーケースが誕生しました。

■ 朝令暮改OK!


ー笠原 「旅行用キャリーケースはうるさい、という概念を払拭したわけですね。」

ー遠藤さん 「人の困りごとを解決するソリューションに力を入れています。僕は若い頃ファッションに無頓着な方でしたが、当時の鞄には内側に収納ポケットがなく、入れたものが中でぐちゃぐちゃになるんですね。それが嫌で、鞄の内側に収納ポケットを付けてくれるように職人に頼むと、「そんな手間がかかるものは作れない。」って言われました。それでも、とりあえず試作品だけでも、と無理を言って作ってもらったところ大ヒットしたんです。」


エンドー鞄のブランド商品の1つ『プログレス』が誕生した瞬間。


ー笠原 「どんな時に商品開発のアイデアが浮かぶのですか?」
ー遠藤さん 「四六時中常に考えています。特に旅行や出張にいった時に人の持っている鞄をチェックしますね。」

伝統を守りながらも変化に対応していかないと生き延びることは出来ない、だから朝令暮改OK!と言い切る遠藤さん。今ある伝統も、誕生した当初は、前例がないもの。柳行李からファイバー素材の鞄、そして歴史を重ねていくごとに生まれ変わっていくエンドー鞄。鞄の伝統と進化のリテラシーが柳の細工のようにしなやかに織り重なっていきます。
現在65歳になった遠藤さん。今後の会社経営、そして絆について伺いました。

絆工房と遠藤鞄

 

■ 『人の困りごとをソリューションには力がある』

 

絆工房と遠藤鞄

ー遠藤さん 「ルールづくりですね。時代に合ったルールを作っていきたいです。今後も変化に対応して生き延びていく会社を目指したいと思います。以前は、創業から194年もの長きにわたって会社が存続していることに重きを見いだしてはいませんでしたが、でもこれはある意味すごいことなんじゃないかと思えるようになりました。続けてこられたのも先輩との絆、従業員との絆があったからだと思います。縁を大切にしていきたいと思います。社員を大切にする会社、社員の雇用を守る為にもこれからもしっかり儲けることが大事だと思っています。それが私の使命です。」

ー笠原 「儲けることは手段であって、社員を守ることが使命だということですね。またさらに伝統も、ただ守るものではなく、革新していくもの。それを人の絆で未来に繋げていく。そう強く感じるお話でした。有難うございましたた。」


世界の創業100年以上の老舗会社の半分以上は日本企業というまさに世界一の老舗大国。その老舗がひしめく国、日本で生き残っていくには、何を守り、何を大切するのかを学べた取材となりました。

 

以上