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【絆のカタチ】No30 三尾商店の漁師さん前田保様

No30 三尾商店の漁師さん前田 保様

故郷を捨てた男が今、故郷の再生のために立ち上がる

日本海の荒々しい白波が打ち寄せる断崖に囲まれた小集落、兵庫県新温泉町三尾地区。

平家落人伝説の地の1つとしてもあげられる農山漁村で脱サラして漁師として生きる

前田保様に故郷に寄せる心の絆を伺いました。

 

生き馬の目を抜く東京に15才で上京

絆工房と三尾商店 前田保様

下荒洞門や世界最大級の洞門、釣鐘洞門をはじめ日本海の荒波によって侵食されて出きた

数多くの洞窟、洞門、奇岩がパノラマビューで楽しめる但馬御火浦(たじまみほのうら)。

そこにある小さな集落、三尾地区。

景色の素晴らしさ、新鮮な魚介類といった海から恩恵を受ける一方で、冬場の大波や爆弾低気圧の被害を受けてきた地域でもあります。

そんな自然と常に対峙している故郷で育った前田さん。
外の世界を見たいという思いで中学卒業と同時に上京。

時代は大都市への人口流入がピークの高度成長期時代。
東京オリンピックが開催された年のことでした。

「生き馬の目を抜く東京なんて人の住むところじゃない。それでも行こうとするならお前は死んだものと思う。」

小学1年で父を亡くし、いわば父親代わりで育ててくれた祖父の言葉を背に東京池袋の自動車関連の町工場に就職。

そこは夜になると三味線の音色が聞こえ、ネオンきらめく歓楽街。
見るもの全てが故郷三尾とは全く違う生活環境。
ふるさとの親や家族と離れた東京での生活は、思いの外15才の少年には辛いものでした。

そして、上京したその年のお盆に帰省。
その時に、それまで一度も参加したことなかった村の盆踊りにはじめて参加。
そこで感じたことは、「ああ、ふるさとって何ていいもんなんだ。」

東京に戻る日に感じた郷愁感は、今もしっかりと心に留めておられます。

しかし、“これからは自動車の時代。絶対潰れない。”と中学の先生が進めてくれた会社が不良品を多数出し、入社してわずか1年足らずで倒産。
その後は、高校に通いながら住み込みの新聞配達、和歌山あった製鉄会社で働き、昭和44年に帰郷。
翌年から電電公社(現NTT)で32年間のサラリーマン生活がスタートします。


山陰海岸ジオパーク認定ー“過疎化を食い止める突破口に”


サラリーマンとして再び故郷三尾地区で生活をスタートさせた前田さんでしたが、時代と共に三尾も人口流出が否応なく進んでいきます。

限界集落とは言わないまでも、社会的共同生活の維持が大変になってくるのを目の当たりにします。

「三尾の人はとにかく働き者。女の人も腰が曲がってしまうほどよう働きますよ。そうやって皆が必死に生きてきました。過疎化、高齢化の進む故郷で、自分には何ができるか?そう考えた時に、三尾でこれからも生きていくには海の潮水を体に浴びて生きてきた父と祖父と同じ漁師になろう。」

そして、32年間のサラリーマン生活に終止符を打ち54才で漁師に転向。

若い時、故郷を捨てた前田さんが、地域の活性化を推進する但馬御火浦村おこしグループにも参加。

平成22年山陰海岸ジオパークが世界ジオパークネットワーク(GGN)への加盟が認定されたのを機に、積極的に三尾という町の自立と活性化に携わりはじめます。


「三尾には海がある」

絆工房と三尾商店 前田保様

かっては100軒いた三尾地区も現在は 60軒足らず。
また、近年の漁獲量減少と漁師の高齢化、後継者不足も深刻化。

どうしたら何もない三尾に若者を呼び寄せることができるのか?

 

昔、今の若者と同じように故郷を去った前田さんに相談にくる人に対して言うことはいつも


「三尾は何もないところじゃない。三尾には海があるじゃないか。」

例えば、わかめ。澄んだ海水と荒波の中で育った三尾の天然わかめは歯ごたえ抜群。
歯ごたえがある分、酢の物といった脇役に甘んじることなく、しゃぶしゃぶ、水炊きといった主役のおかずにもなれる三尾の天然わかめ。
そして、近年は珍しくなったその天然わかめを瞬間冷凍することで一年中風味があるわかめを販売することに成功。

前田さん自ら店長も務める村で唯一の生活雑貨店「三尾商店」でも売られています。


SNSで情報発信

更に多くの人に三尾の魚を知ってもらおうとFACEBOOKを活用。          
ほぼ毎日、採れたて鮮魚の写真を投稿。

「釣った魚はすぐに組合を通して競りにかけてしまうのですが、それでも沢山の人に三尾の魚を知ってもらいたいと写真を撮って投稿しています。」  

また、美しい三尾の海を堪能しながら磯釣りが楽しめる渡し船(前田渡船)も運航。

二度とふるさとには帰らないと心に決めて都会に出た少年時代。

しかし、外に出て初めて三尾の良さに気づき戻ってきました。
そして、若い頃には見えなかった故郷との絆を形に、それを伝えるツールを活用して情報発信。

マクドもゲームセンターもない地域でもその魅力を発見し形にし、そして伝えていくことで、

あたらしい三尾の未来を創ろうと日々忙しい前田さんです。

                               


【この記事を読まれたお客様からの声】

(株)絆工房 笠原 泰蔵 さん

残暑お見舞い申し上げます。ウッチーで~す。
そちらも酷暑でしょう。今日・明日から夏季休暇に入られることでしょう。

さて、「絆のカタチ」30号をお届け頂きありがとうございました。
ますます垢抜けてきて、記事の立体感がたかまりましたね。

なかでも三尾の前田さんインタビューが注目でしたね。
ただ、記事全体のフォントがあまりに小さいので、読みきれませんが・・・。

また秋に向かって頑張ってください。
当方もへこたれていませんよ!  

<笠原です>

お世話になります。
お返事ありがとうございます。
フォントが小さくてすみませんでした。
感想をいただけると励みになります。

内池先生もお身体ご自愛して頂きお元気でお過ごしください。
先生は元気でしたね!
小さな親切、大きなお世話でしたね(*^_^*)

————————————————————————————–

絆工房御中
笠原様

いつも絆通信ありがとうございます。
今回の前田さんはfbでその様子を少し見させていただいておりましたが、
やはり奥が深いですよね。そのお元気な、さらには活発な行動には本当に頭が下がる思いです。
僕も24年ほど前、もう帰っては来ないだろうと思いながら福岡へ行った記憶があります。
でもこうやって帰ってきて生きてる、生かされてる、ということはやはり故郷のありがたみかな、と。
福岡に居たらもう沈没?埋没?していたのかも知れませんから。。。(笑)
これからもっともっとここの良さを発見してさらに発展させられたら、、、と僕なりに思います。

またひとつ勉強になりました。ありがとうございました。

(有)河西ふとん店 代表取締役 河西 栄治様より

<笠原です>

お世話になります。
お便り有難う。

いろいろ河西くんにもストーリーがあるんですね。
それが糧になるといいですね!


 

【お祭り娘 x I LOVE スタバマグ x 小山理論】No. 29道の駅『神鍋高原』様

「錦織圭選手と同じユニクロPOLOにしたら売り上げがあがった♪」という真っ赤なスタッフTシャツを着て現れた3名の道の駅「神鍋高原」スタッフ。

 

ー笠原 「皆さんの人生で起こった絆お聞かせ下さい。」
 
まずは、イベントや広報担当の川辺麻紀さん。

 

絆工房と道の駅「神鍋高原」


終始笑顔で、いるだけで周りの人を明るくさせるタイプの女性。
前職の介護の仕事や、観光客を含めて年間多くの人が訪れる道の駅のような接客業では川辺さんのような笑顔は欠かせません。

ー川辺さん「離れて住んでいる弟が帰省する時とか、友達とのつきあいで絆を感じますね。仕事は大変ですが、お祭りやイベントを企画するのは楽しいです!」

イベントでMCも務めるお祭り娘。
最近おりたたみ自転車ダホンを購入。
「歩くことが大好き。」という川辺さんは近いうちにダホンに乗って神鍋高原をサイクリングするのを楽しみにしているそうです。

 

絆工房と道の駅「神鍋高原」

 次に2年近く道の駅に隣接するゆとろぎ温泉で働き、現在は道の駅、飲食部門で店長を務める小西健太さん。

ー小西さん「仕事の幅が広がって充実してますが、、、僕は、家族とか友達との絆っていうのはあんまり、、、、。僕は、1人が好きなんです、、、。」

「何かあるだろう!」と他の2人に突っ込まれても、動じることなく、「あんまり。ないですね、、、、。」
ある意味インタビューしがいのある小西さん。

 

しびれをきらして「じゃあ僕いきます!」と上田直義駅長。

 

絆工房と道の駅「神鍋高原」


香住奥佐津生まれ、小学4年の時に神戸須磨区に引っ越し。
その1年後に阪神淡路大震災に遭遇。
地震直後に家から外に飛び出して目に飛び込んできた光景を見て、「戦争が起こった。」

幸いにも、神戸でも山側に家があったので家族や知人、同級生で亡くなった人はいませんでした。

 

■ 震災を経験して見えてきた、見えない人の絆

 

−上田さん「神戸で暮らした2年間は、常に僕の人生の心の中心にあります。被災後すぐに自衛隊やボランティアの人からの物資の支援や、”がんばろうKOBE”のスローガンで住民自らも立ち上がりました。
復興していく中で、色んな場面で見えない人の絆を痛感しました。あの震災を体験したからこそ、今生きている有り難さを感じます。」 

 上田さんの前職は建築会社。
−上田さん「造形が好きなので建築の仕事は楽しかったですよ。細かな規定が多い行政建築を担当してからは、更に責任とやりがいを感じましたが、途中からお酒大好きな上司のお目付役も会社から任されたんですよね。最後は、その上司と共同生活も頼まれてしまって、こちらが先にダウンして辞めました(笑)。」

 旅行が好きで、求職中も色んな場所の道の駅を訪れていたという上田さん。
ちょうど「神鍋高原」道の駅の募集を知り応募したのが7年前。 

「地元の人達と一緒になって新しい文化を取り入れていこう!」 と、お酒大好き上司がいない職場で駅長として忙しい毎日。

 

■ 負けない法則を確立できれば、勝ちはコントロールできる!小西理論

 

絆工房と道の駅「神鍋高原」

ー笠原 「皆さんのこれからの夢を聞かせて下さい。」

ー川辺さん「ダホンに乗っておでかけ!」

ー上田さん「バックパッカーで世界旅行! 僕はスターバックスのマグカップを集めるのが趣味なんですが、日本だけでなく世界のスタバの限定マグカップを揃えてみたいですね!」

さて、プライベートが見えてこない孤独を愛する小西さんはというと?


実は、話しをしていくうちに1人でも出来るパチンコ(スロット)が好き、ということが判明。
トータルで損をしていないそうです。

ー上田さん「パチンコは奥が深いんですよ。要は、確率の問題。その確率というのは、実はコントロールできるんですよね、、。」


「できるんか??!!」皆が驚きの表情を浮かべていると、
ー上田さん「パチンコは、話せば長い奥の深いものなんです、、。やっていると、パターンが見えてくるんですよね、、。」


「見えるんか??!!」皆に矢継ぎ早に質問されるても冷静に確率論を展開する小西さん。

完全確率を理解しているかどうか。
確率ゲームであるパチンコもその確率や統計に沿ってやっていれば勝てる、と。
日常生活でも確率論は溢れています。
降水確率、当選確率、合格率。それと本質的には同じだそう。

「ということは、その小西理論の本質を仕事に転用させたら、レストランの人気メニューが見えてくるはず!」と半ば強引に結論づける他のスタッフ。


「そうでしょうか、、、、。」と乾いた笑いをする小西さんに、上田さんが、
スタッフはどんどんやってみたことのないことにチャレンジしたらいいと思う。体験しないと見えてこないものや分からないことがある。例えば、色んな場所に行って、伝統工芸、建築物から昔の人の鋭い感性を学んでいくこと。大事だと思う。それを仕事にエンターテイメントさせていこう!

個性豊かな道の駅「神鍋高原」の若手スタッフ。


今年28日に開催されるキャベツ祭りでは、ダホンに乗って忙しく動き回る川辺さん、ライブ感を大切にする上田さんの姿、そして小西理論に基づいたメニューが登場する(?)かも知れません。

 

以上

【絆のカタチ】No28アメリカ西海岸の匂いのするカスタムカー制作会社ナイスドリーム 今井様 

絆工房とナイスドリーム

絆工房とナイスドリーム

アメリカ西海岸の匂いのするカスタムカー制作会社

株式会社 ナイスドリーム 今井 慶様


今回の気になる会社の絆のカタチを聞く取材先は、

但東町にある株式会社ナイスドリーム。

 

会社の敷地には、キャデラック等の外車が所狭しと並んでいます。

もちろん日本車もあります。何だかアメリカの雰囲気がする会社。

「アメリカという国が大好きなんです。それもアメリカ西海岸。

アメリカの車も好きで、小さい時はプラモデルをよく作ってましたが、

目立つ車が好きで、それがアメ車だったんです。」

列車か自動車で分かれるも、男の子なら誰もが通るプラモデル作り。

今井さんは自動車派。

最初のお給料で買ったのも300万円もするアメリカGMの屋台骨であるシボレー、

カプリスワゴン。

低燃費、小回りの利く軽自動車が人気の現代で、それに真っ向から対峙する大排気量、

ローライダーの大型ボディー。

 

■この会社を立ち上げた理由を教えて下さい。

 

絆工房とナイスドリーム

 

「小さい頃から”早く独立したい”、 ”色んな世界を見てみたい”という思いが強かったので

これまで色んな仕事に就きました。

23才の時には、大阪枚方市でショットバーのお店を開業しました。

大阪外大が近くにあったので、多くの留学生がお店に通ってくれました。」

そして、4年後の27才の時に、但東町でナイスドリームの前身である

インスピレーションを設立。

たった一人でアメリカまで車の買いつけにも行かれました。

「でも、いくらショットバーで留学生と英語でコミュニケーションしていた

経験があったとはいえ、やはり無謀でした(笑)。」

 

終始、静かに話しをする今井さんの行動力(大胆さ?)に驚きです。

 

■ ナイスドリームってどんな会社ですか?

 

お客様の個性を追求できる会社、一人一人の個性を車で表現できます。

出回っている汎用品は使いたくありません。手間暇かけて一から創り上げたいです。」

 

苦労もありました。内装の貼り替えや、ヘッドライト、テールライトのデザインまでもカスタマイズ。

「以前は、何から何までお客様に合わそうとしていましたが、

次第に何かちょっと違うな、と思うようになりました。

こうした方がよりお客様の個性が出せる車が出来るという場合もありますからね。

それに気付いてからは、自分の世界観をもっと出していこうと思いました。」

 

■ 自分の世界観で勝負を賭ける若きメカニック・ビルダー

 

絆工房とナイスドリーム

ー具体的に何かされていることがあれば教えて下さい。

「”自分のしつらえで勝負して、ナイスドリームの世界観をもっと広めたい”という

思いが強くなって、現在会社のHPを含むプロモーションビデオを作っているところです!」

今井さんのエネルギーの核は、なんといってもアメリカ西海岸の匂いがする雰囲気の中で

オリジナルカスタムカーを作る会社であること。

普通の車屋さんとは一線を画します。

そして、そのモデルロールとなっている会社が、

同じく西海岸のカリフォルニアにあるWest Coast Customs (ウェストコーストカスタムズ)。

最初は、自宅のガレージからスタートし、今や世界的に有名になったカスタムカー制作会社です。

「彼らは、自分達のことをビルダーと呼んでいます。その点も共感できるところです。」

確かに、手間暇かけて一から創り上げて車をカスタマイズしていこうとする

今井さんにとっては、ビルダーの方がしっくりくる呼び名です。

 

 

最後に、事務所に流れている音楽は、2Pacというヒップホップ。
「2Pac (トゥパック)が大好きなんです。」

世界中のあらゆる人種から絶大な支持を受けているラッパーで、

1991年デビューし、わずかその5年後、25才で銃弾で亡くなった伝説的ラッパー。

多くの名言も残し、今なおファンが増え続けています。

彼の残した数多くの名言の一つ「生きているうちは、決して夢見ることを止めるな。

誰もお前の夢を奪い去ることはできない。」

日本の但東町の静かな山あいの里にあるナイスドリームは、

アメリカンドリームに向かって歩んでいこうとする要注目会社です。

絆工房とナイスドリーム

 

〒668-0351
兵庫県豊岡市但東町畑山971
TEL 0796-20- 4049
FAX 0796-20-3148株式会社
ナイスドリーム

 

 

 

 

ニューズレター発送後、早速FAXとメールでうれしい便りが届きましたので

ご紹介します。

 

絆工房御中
笠原様

いつもいろいろお世話になっております。
ありがとうございます。

今号の絆のカタチ、今井君。

そういえばずいぶんと会ってないです。
というより僕が「おひねり」に行けてないだけですね・・・。

彼を知りたかった僕には本当にタイムリーでした。
いつも遠いのにおひねりに来られる彼をすごいと思ってました。(密かに・・・)
何が彼をそこまで突き動かすのか?
彼の姿勢ってのは何からくるのか?
その答えが全部書いてありましたね。
「夢」ですね。

以前笠原会長とお話しさせていただいた中に、やはり「怒り」ってパワーはすごいですよね、

それがきっかけだったりする、とありました。
多分起業された時の笠原会長も、そのように当時のエピソードを語られたように記憶しています。
僕も近年同じ思いで僕なりに動いていますが、
彼は違うんですね。

彼が何か違うと思っていたのはそこですね。
「夢」でそれを叶えようと。。。

またひとつ勉強になりました。
ありがとうございました。

他の取材も見る

ニューズレター 絆のカタチ

 

2015/04/30

【絆のカタチ】孤独と壁をつきやぶれ!No.27置き薬きくや豊岡下田明浩様

きくや豊岡

 

今回お話しを伺うのは、神鍋万場で置き薬業の仕事をされている下田明浩様。
韓国や中国では四千年以上も愛用されている漢方薬の高麗人参を取り扱っておられます。

笠原会長の主催する月二回のおひねり勉強会の常連メンバーの一人。
絆工房と同様下田様も、2ヶ月に一回お客様にニューズレターを発行されておられるそうです。

■トップセールスマンからの独立

神鍋の万場生まれのUターンの下田様。
置き薬の会社を設立するまではコンピューター会社の営業マン。

転勤族で、東京、名古屋、大阪といった都会で働き、1994年、35歳の時に家を継ぐため生まれ故郷の万場に帰郷。

ー下田さん「でも、田舎ではコンピューターの営業は需要がないですから、田舎で出来る仕事を探しました。」 

たまたま友達の紹介で、 ”一年間営業成績がトップだったら、のれん分けして豊岡で販売してもいい。”という大阪の置き薬の会社に転職。
泉北ニュータウンという難しい営業地域を割り当てられましたが、「負けず嫌いの性分」で1年間、
常にトップの営業成績をキープ。

そして、1年後の平成15年、地元で置き薬、きくや豊岡を開業。

絆工房と置き薬きくや下田様



ー笠原 「トップセールスマンのご主人が田舎に戻って事業すると言われた時はどうでしたか?」ご主人の片腕となって精力的に事業を手伝っておられる奥様にも伺いました。
ー奥様「反対よりも賛成でした。地元の人と深くつきあえるのが魅力でしたから。でも、この仕事は人に仕える仕事ですし、地味な仕事でもあります。とても人格が鍛えられましたね。」

■ 経営には、孤独と壁がつきもの

絆のカタチで話しをうかがう会社や組織を経営される方からよく耳にするのが、
『経営は大変』という言葉。

下田さんも独立して1年目の平成16年に起きた台風23号による水害に見舞われました。

ー下田さん「損害も損害、大損害。倉庫に保管している薬が水没し全部使いモノにならなくなりました。あの時は本当に困りました。」

また、同僚が大勢いる社員という立場から一人で営業から販売までこなす立場は、肉体的なことよりも精神的に大変だそうです。

ー下田さん「モチベーションの維持が課題でしたね。大阪にいた頃は、私の他にも50人近くの営業マンがいましたから共に戦えましたし、例えば”あいつにだけは負けたくない。”といったトップセールスマンとしての意地が明確にありました。けれども、田舎で一人で事業をしていると、”今日は雪も降っているし寒いから早めに帰ろう。”って思う時もあるんですよね。
高いモチベーションを持ちながら仕事をしていく苦労はありますね。情報収集のために沢山のセミナーにも参加しました。かなりお金をつぎ込みましたよ(笑)。ですから笠原会長が近くで無料のおひねり経営勉強会を開いていただいて本当に感謝しております。」 


経営者としての悩みを共有できる仲間達にも出会え、また薬箱を通じて一生涯、家族のような絆を作ることができる仕事にやりがいを感じておられるそうです。

開業5年目にはお客様と行くバスツアーを企画し、23人のお客様と一緒に丹波篠山日帰り旅行をされました。
また、趣味の自転車で色んな場所を走りそのことをニューズレターに掲載すると、以前は話題をこちらからふっていたのが、お客様の方から尋ねてくれるようになったそうです。

 



更に、ガーデニングの得意な奥様は、毎年春に開催される『とよおかオープンガーデン』に参加。
長年愛情を注いだ家の庭を一般公開。
半鐘ズル、姫シャラといった控え目で奥ゆかしさを感じる山野草が中心の小川の流れる下田様の庭。
人気の庭の一つだそうです。

 

絆工房と置き薬きくや下田様
絆工房と置き薬ガーデン



ー奥様「オープンガーデンをやり始めたのも、お客様との垣根をとりたい、家族的なお付き合いをしたい、という想いがあったんです。遠方からも見に来られた人が珍しい山野草を見つけて感動されている姿をみると本当に嬉しいですね。たまに朝カーテンを開けると知らない人が庭におられるというハプニングもありますが(笑)」。 


ニューズレターを通して、またガーデニングを通してコミュニケーションの場を作ってお客様との絆を育んでおられる下田様。控えめで、それでいてその力強さで人を魅了する山野草のようなご夫婦でした。

〒669ー5378 兵庫県豊岡市日高町万場334
きくや豊岡

 

【創業30周年感謝を込めて】No.26(株)絆工房 会長笠原 泰藏

今年(2015年)、絆工房は創業30周年を迎えます。
今月の『絆のカタチ』は満を持して会社創設者笠原泰藏会長が登場。
30周年を迎えた想い、そして、これからの夢を語っていただきます。

 

■起業に必要なものは、反骨精神

 

 

多くの若者が起業するIT時代。
資本金0円からでも会社設立できる時代に、時代の波に飲み込まれることなく、会社を継続していく事は会社を起こすより難しいと言われています。

ー会社を起こそうとしたきっかけは何ですか? 


ー笠原「特別大きな志を持ってというわけではないです。20代に大病をした上に、就職した会社が倒産。それなら自分で会社を起こそうと親父に言うと『一つ、商売はそんな甘いもんじゃない、一つ、お前には無理、一つ、世間をなめとんか。それよりも立派な百姓になれ!』と反対。立派な百姓って何やねんそれって話だよ(笑)。」

それでも、自分の夢を描いた未来地図に[会社を設立する]が入っていたため、借金からの会社設立スタート。



ー笠原 「起業するのに大事なことは、不安よりも怒りや反骨精神が大事。」

これは、LEDでノーベル賞を受賞した中村修二氏もスピーチで
「怒りだ。それが全てのモチベーションを生み出す。」と言っています。

若い頃、画家になりたかった(これも「画家では飯は食えん。」と親が反対)という絵の巧さを仕事に活かして会社設立当初は、自らTシャツの柄をデザイン。
会社が成長した今、絵のDNAをしっかり受け継いでいるお嬢さんも当社専属デザイナーとして活躍。

自身はさらに経営に集中。

 

■ オリジナルTシャツ作りは絆づくり 

 

 

絆工房は、オリジナルTシャツプリント制作会社。

ー笠原「Tシャツはもちろん作るけれども、その先にそれを買ったお客さんがそのTシャツを着てどれほど幸せな気持ちになれたか、お揃いのオリジナルユニフォームを着て晴れの舞台に仲間と絆を深く築いてもらえたか、そこがこの会社の目指す到着点。商品を売って終わりじゃなくて、その先が本番。」 

だから、お客さんが喜んでくれた結果としての報酬は有難いものであり、多くの報酬があることは恥ずべきものではない、と言う持論の持ち主。

ー笠原 「商売の感動、充実感は、お金が手に入った時ではなく、お客さんが喜んでくれた時、人のために自分の仕事が役に立てたと感じられた時である。そして感動は多ければ多いほど幸せな人生であり、だからこそ「仕事は嫌々歯を食いしばるってするのではなく、心から仕事を楽しまないといけない。そしてそんな会社で絆工房はあり続けたい。会社を大きくするのは、副産物に過ぎない。」

 

■ 臨終を習って他事を習う

 

若い頃の会長笠原は自己否定型。

大阪で就職した時も責任のあるような仕事は自分には無理、と仕事から逃げていたそう。
また、人前には出たくないタイプだったそうで、それは今でも変わらず人前でのスピーチは苦手。

しかし、[会社を設立して独立すること]であった第二の人生を歩んで今年で30年。

絆工房



「将来は、何か新しい事に取り組んで第三の人生を歩みたい。」と、未来地図で描いた夢に向けて第3の人生を構想中。
 
ー笠原「僕の人生の大きな目標は、人生最後の臨終の時に「ああ、いい人生だったな」って思える人生を送ること。そう思えるようになるためには、そこに立って今何をすべきか考えてみると、自ずと今すべきことが見えるくるんだよね。だから遊びも、趣味のテニスも、一生懸命やる。それは、仕事においても同じ。失敗は誰でもあるからそれは構わない、ただ、しなければいけないことを適当に流したり、うやむやにしておくのはダメ。」 


人生の限られた時間の中で仕事が占める時間は大きく、同じ時間を過ごすなら仕事を”作業”として捉えるのでなく楽しいものにしようと、またそうあるべきと考えています。多種多様なスタッフが集まって、真に楽しく仕事をするために、『社員のコントロールの放棄』と『徹底した情報開示』を掲げています。

「感動や幸福感、心の豊かさの追求の結果として儲けて会社を成長させていくことが使命なのかな、と思う。」
熱く語る絆伝道師、会長笠原でした! 

  

【ここをコミュニケーションの場にしてほしい】 No.25ログリゾートかんなべオーナー 今村則子様 

ログリゾートかんなべ

ログリゾートかんなべ

 

神鍋高原中部に位置するブランコのある「ログリゾートかんなべ」
ログハウスの周りに咲いた花々がさわやかな秋風に揺れています。

オーナーの今村様と絆工房との出会いは約3年前に遡ります。
元絆スタッフであった藤原さんにひまわりのタペストリーの製作を依頼したのがきっかけ。
その後、豊岡市商工会が主催する経営者対象のおひねり経営勉強会「本当に楽しんで儲けることができる方法がある ワクワク系マーケティングから学ぶ」(講師は笠原支部長)という広告に目が留まり「楽して儲けられるなんて!」と即参加。
結果、「もう〜楽などころか苦しいやん!(笑)」。
とてもお話しが上手なので、ペンションオーナーに至るまでの経緯を伺ったところ、納得の笑顔、納得の会話力の理由が判明しました!

■”大阪で美人の所長がいる店舗”と評判になったトップセールス・ウーマン

絆工房とログリゾートかんなべ

3人姉妹の末っ子でお嬢様としてのんびり育った今村さん。
お姉さん達が経営するブティックを手伝うという道もありましたが、何かもっと違うことがしたいと学校卒業間近の2月に就職活動を開始し、大手製薬会社の採用試験を受験。

見事、一番で合格し、女性の花形職種である受付嬢として働きます。
その後結婚し、主婦として母として忙しい日々を送っていましたが、三十二歳の時に大手保険会社に就職。
そこで持ち前の明るさと巧みな話術で人を惹きつけ、あっという間にトップセールス・ウーマン。

店舗一つを任されるまでになり、「大阪で美人所長がいる店舗」と評判になります。
57歳の時には、営業職から若手の教育指導を担当。
「10年は1つの会社で働いてみること」
「何でもトップになってみようという心意気が大事」
「人の三倍は働くこと(時間ではなく)」
「人がしていること以上のことをしてみること」等、長年トップセールス・ウーマンとして走り続けて培った自信に満ちた言葉の数々は、仕事以外にも通じる格言です。

 ”トップセールスマンには、共通の言動なり習慣がある”と言われることがありますが、弁舌さわやかに話す今村さんもまさに、引きの営業力を知ってる方です。

「保険の話なんてしなくても契約はとれます。」ときっぱり。
それは、売り上げにならなくても顧客のためにさらには顧客の周りにいる人にも何ができるか、何が喜んでくれるかを常に考えて仕事をされたそうです。

前回のヘルメース上田社長さんの「仕事は自分でつくりだすもの、動くもの」に通じるものがあります。

■カナダ産ログハウスに溶け込む日本の絵画 

絆工房とログリゾートかんなべ

12年前に前オーナーから引き継いだ『ログリゾートかんなべ』は、オールカナダ産の木で作られたログハウス。
広々としたリビングで一際目を引くのが横に延びた太い柱。
その見事なカービングの技は、今はもう日本には100人ほどしかいない宮大工さんが作られたそうです。

また、ログハウスの随所に飾ってある絵画は今村さんの自作。
「1つのことに10年は続けてみる」という言葉通り、学生時代から日本画を学び、今も指導を受けている絵画は、趣味を越えたものです。四季折々の花々を和紙に描かれたということで、ログハウス全体がしっとりした落ち着いた雰囲気に包まれています。

絵画の他にも、ゴルフ、書道、ガーデニング、陶芸、ジャズ、全て10年以上続けておられるそうで、それらが今村さんの人生を色鮮やかにかつ活動的にしています。

絆工房とログリゾートかんなべ

■「遊ぶことだけの人生は送りたくない」


保険会社を定年退職した後は、今村さんの家族は悠々自適の生活を送ると思っていたそうですが、それを見事に裏切ってのペンション経営。
住み慣れた大阪から単身神鍋に移住します。
「家族には事後報告!だって遊ぶだけの人生を過ごしたくないわ。」
「40代の時に、”21世紀の私”という夢を書いたんです。その時にホテル経営って書いたの。ホテルではないけれど、ペンション経営しているんだから、何だか不思議よね。経営に、趣味の活動に忙しいけれど楽しいわ。」 

1日5組ほどの少ないお客様との絆を大切にしている『ログリゾートかんなべ』。

「ここをコミュニケーションの場にしてほしい」と言われるように、自然との絆、仲間との絆を大切にしています。
人が多い都会から来られたお客さんにゆったりとした時間をここ神鍋で過ごしてもらいたいと、あえて客数を少なくしています。
ピアノもあり、プロ並みの歌唱力を持つ今村さんのジャズが聴けるかも知れません。
神鍋の自然を背景に、但馬牛のバーベキューを楽しめるウッドデッキもあります。

絆工房とログリゾートかんなべ


『ログリゾートかんなべ』で仲間との会話はもちろん、軽快なテンポで話しをされる美人オーナー今村さんの会話も楽しんでみて下さい。
取材日も、今村さんの話術に吸い込まれるように聞き入ってしまい取材時間が大幅にオーバー。
それでも、「もう終わり?まだ話したいのに。」

ここは、都会の人だけでなく、訪れる人皆さんの心も体も元気にしてくれます。   

 

                 

【縁と絆が幾重にも絡み合って誕生したお店】No.24合同会社ヘルメースかどの駄菓子屋 代表 上田 隆嗣様                     

絆工房と上田社長

絆工房と上田社長

今回登場される方は、絆工房会長の二十年来の旧友、上田隆嗣氏。
上品な淡い紫色に髪を染め、ピンクのYシャツをお洒落に着こなされた、“ダンディ”という言葉がぴったりな紳士。

二人の出会いは、上田氏が、豊岡市商工観光課在職中に豊岡をPRするTシャツを作ることになり、Tシャツ屋さんを探していたところ、当時はマジックという名前であった絆工房を知りTシャツを依頼。

若い頃は画家を目指していたほど絵の才能がある会長自ら描いたデザインTシャツを約一〇〇〇枚作成。
『だから、絆工房が大きくなる基礎を築いたのは、何を隠そうこの僕なんですよ。』とユーモアたっぷりの上田氏。

ビジネスを通しての付き合いから、次第にテニス、スキーとプライベートでも絆は広がっていきました。信州赤倉のスキー旅行では『元はとらないと!』と、帰りのバスが出発するギリギリまで滑走。
出発しようとするバスを停め、走って乗車したという、
『3日間滑りっぱなしの、疲れに行くようなスキー旅行』を敢行。

笠原と二人、懐かしい思い出話に花が咲いた取材です。

■『仕事は自分で作るもの』

お店の看板商品である黒糖ドーナツ棒との出会いは、
高校の同窓会で豊岡出身の幼馴染み吉田高成さんとの再会がきっかけ。 

その彼が経営する㈱フジバンビの商品の一つである黒糖ドーナツ棒を食べてみると、『美味しい。これを城崎でも売ってみよう。』と思いつきました。 

 市役所時代はもとより、定年後務めた老健の事務長時代も “仕事は自分で作るもの”と色々なことに積極的に取り組み、ここでも介護関係の人達と新たな絆が生まれ、そこから会社設立に日夜東奔西走。

そして、去年6月28日、合同会社ヘルメース設立、店舗の改装浩司も友人の工務店の突貫工事によって8月1日、かどの駄菓子屋をオープンさせました。

■最後にモノを言うのは、熱い想いと絆

『しかし仕事は何でもそうだけど、経営っていうのはなかなか大変なもんですな。』
と商売していく苦労もありました。

城崎は、観光の街。そこでのビジネスは、ゴールデン・ウィーク、夏休み、祝日といった観光客の休みの波に否応なく飲みこまれます。その波をいかに乗り切れるか。

上田氏は、城崎オリジナルの商品化、手作りプレゼント商品を次々に開発。

『それでも、困った時は、必ず上田社長の人柄を慕って応援してくださるお客さんが不思議と現れるんですよ。これこそご縁ですね。お客さんの中には高校時代の女性ファンが多いんですよ。上田社長は、人徳と人脈のある人なんです。』と、それまで静かに話しを聞かれていた女性店長笹本さんが上田氏の人柄を語ってくれました。

上田氏の片腕となってエネルギッシュにお店を切り盛りされている店長さん。
時にお店の運営について熱く上田社長と議論されるそうです。

取材当日も、絆工房会長も加わりまさに議論百出。
どちらが取材する人、される人か分からなくなるほど。
上田氏以上に熱い店長、絆工房会長の白熱談義に上田氏、最後に小さな声で一言、『あ〜しんど。』

 
上田氏も、店長も、会長も、皆がお店に熱い視線を注いでいます。
上田氏と店長笹本さんとの絆。
上田氏の人徳によって応援してくれる上田氏の同級生でもあるフジバンビの吉田社長との絆。
そして、同じ経営者で旧友である絆工房会長との絆。

縁と絆が幾重にも絡み合って誕生したのが、かどの駄菓子屋。
温厚でダンディな社長とハリのある明るい声で迎えて下さる店長さんのいるお店に一度ふらりと訪れてみて下さい。

観光地のお店でありながら、ほっとできる雰囲気のかどの駄菓子屋で、また一つ素敵な絆ストーリーが生まれるかも知れません。

 

 

【あなたはよそ者、若者、馬鹿者になれるか】No.23トヨオカ・カバン・アルチザン・アベニュー 林健太氏

去る4月19日、豊岡カバンストリートに豊岡鞄のショップと鞄職人育成スクールでもある
「トヨオカ・カバン・アルチザン・アベニュー」がオープンしたのをご存知でしょうか?

海外や京都のような街が碁盤の目の通りを縦横交差させストリート×アベニューと示すように、
カバンストリート内に垂直方面の「通り(アベニュー)」がアルチザン・アベニュー。

アルチザンとは“職人”という意味のフランス語。
アルチザン・アベニューとはまさに技を極めた鞄職人が通る道。

今回、このプロジェクトマネージャーである林健太さんに絆ストーリーを伺いました。

いつの世もイノベーションは「よそ者、若者、馬鹿者」から

林さんは、大阪生まれ。
建築設計を大学で学んだ後、大阪の街づくりや設計照明のコンサルタント会社に就職。
そこで数々の町の再生事業に従事。

同じ時期、豊岡では、全国一の鞄生産シェアを誇りつつも、近年海外生産に押され気味になっているのを改めて世界的な鞄産業へとブランド再生化しようという計画が持ち上がります。
そこで若干30歳の若さ、しかも、他府県の林さんに白羽の矢が当たります。

抜擢の理由は関係者曰く、
「よそ者、若者、馬鹿者だから。彼に賭けてみよう。」

林さんは、会社を辞めて豊岡に移住。

—笠原「永住されるのですか?」
ー林さん「分かりません、色々な展開が今後も必要になってくると思いますので。ただずっと関わっていきたいと思っています。」 

—笠原「会社を辞めてまでこのプロジェクトに携わろうとした動機は?」
ー林さん「物にあふれた都会と違って、豊岡と言えば鞄でしょ?それです。例えば、マグロと言えば大間、大間と言えばマグロ。同じ様に、いい鞄といえば豊岡、豊岡といえばいい鞄。僕は、豊岡鞄のブランドをそのように思ってもらえるようにお手伝いをしたいです。」


豊岡で作られているからこその豊岡鞄。林さんは、豊岡鞄を単なるファッションブランドとしてではなく、地域ブランドとして位置づけて戦略を展開しています。

■地域ブランド その強いネットワークと高い技術力

トヨオカ・カバン・アルチザン・アベニュー 林健太

 

豊岡の鞄メーカー、職人さん達と一緒に仕事をしていく過程で、彼らの横の繋がりの強さと細部までこだわりぬく高い職人技術に驚かされた林さん。
地場産業の強みである地域の分業体制のすごさを目の当たりにしたそうです。

−林さん「普通、ライバル会社と何か一つのモノをつくり上げるのにこんなに熱くなるなんてありませんよ。豊岡鞄のすごいところはそこです。それに、職人のおじちゃんなんて、こちらが提案してないのに「ここは破れないように生地を貼っておいたよ。座席シートは汚れているから鞄が汚れたらあかん。だから外側に収納ベルトつけておいたよ。ワインも収納できるポケットもいるな。あ、ワインと言ったらフランスパンも入れるポケットも付けとかないとな!」と、長年蓄積している高い技術を一つの鞄にとことん注ぎ込んでいく腕はさすがです。」

高い技術力があるからこそ、豊岡鞄は一つ一つの鞄にメーカー名と永久保証書を付けることができます。
豊岡鞄、最大の特徴です。

—笠原「そんな世代の上の方達との仕事はどうですか?プレッシャーは感じますか?」
ー林さん「感じないようにしてます。(笑)意見の衝突、もちろんあります。でもそれを恐れてはいません。全てがエキサイティングです!」

 

■「技術の流出? いいじゃないですか!」

トヨオカ・カバン・アルチザン・アベニューのもう一つの顔に一年で鞄のプロを育成するスクールがあります。
現在6人の次世代鞄職人の若者が現役職人からみっちりと指導を受けています。

—笠原「生徒さんは、豊岡出身の方がやはり多いですか?就職はやはりここ豊岡になりますか?」
−林さん「豊岡鞄の技術は世界レベルです。それを豊岡だけに留めておく必要はあるんですか?ないですね。どんどん外にその技術を発信していって欲しいです。そして、スクール卒業生が、いつか海外で活躍して「私の作ったこの鞄、実は豊岡鞄の技術のなせるものです。」と言わしめたら最高じゃないですか! 優れた技術を一ヶ所に留めておく必要なんて全くありません。」

高い技術を持っているのに、身近になり過ぎてそれに気づかず、外から見て再発見することがあります。
よそ者や若者にそれを気付かされる、
本当のバカ者は内なる者かも知れません。

■自転車鞄をもって但馬の風になる

トヨオカ・カバン・アルチザン・アベニュー 林健太

 

トヨオカ・カバン・アルチザン・アベニューの今年第一弾のテーマは、エコシティー豊岡にふさわしい「自転車の旅」。

照明を得意とする林さんとイタリアン人デザイナー共同のスタイリッシュな店内には、自転車のハンドルの形をしたクールな持ち手の鞄、サドルの形をしたファスナーの取っ手、ペットが顔を出すバック、もちろんワインやフランスパンが入るピクニックバックもあります。

これから訪れる方は、是非宝探しのようにワクワクしながら探してみて下さい。
レディースバックも充実。深みのあるツヤ感と柔らかい本革のバックはどれも十代の小娘にはまだ早い!といわんばかりに静かに佇んでいます。

トヨオカ・カバン・アルチザン・アベニュー 

最後に、林さんに豊岡との絆を伺うと、
「面白いところ!」

どの質問にも予めこちらの質問を透視されていたかのように答えられる林さん。

メガネの奥からキラリと光る眼で、時にはこちらの予想を覆すような考え方をされる姿は、バカ者どころか智勇兼備の若者だったという、但馬にまた新しい風が一つ舞い込んできた、そんな印象を受けた取材でした。

【絆のカタチ】No.21暮らしの学校(農楽の〜ら)代表 木村 尚子様

兵庫県豊岡市出石町鳥居に広がるのどかな自然の中に農楽(の〜ら)があります。


今回お話しをうかがったのは、障害として理解されにくい軽度発達障害や対人関係の不調などの理由で
社会に参加することができない若者たちが、再び社会に復帰する前にちょっと一呼吸おいて体力、気力を充電することができる、そんな家と社会の中間的な居場所というべき「農楽(の〜ら)」。
そこの学校代表の木村尚子さんです。

 

■ 子育ての最終ゴール

 

子供をもつ親であれば誰でも子育ての最終目標は、
自分が亡くなった後に我が子が一人でも食べていけるように自立させること。

木村さんには軽度の発達障害がある息子さんがおられます。
周りに仲間や指導者がいて、自分で食べ物を作り出せるようになれば、安心して先立てるのではないかと、その親心から立ち上げたのが暮らしの学校、農楽です。

木村さんは大阪出身。
ご主人の生まれ故郷に20年前にここ豊岡市に来られました。
外大卒の木村さんは、田舎に移っても仕事ができるようにと、フリーランスのコンピュータ技術翻訳を家で続けておられました。

そんなある時、ひたすら黙々と朝から晩までパソコンの前で仕事をする働き方に疑問を感じ、
パソコン画面からふと顔をあげた時にそこに広がる自然の存在に目をとめられました。

縁あって自然体験活動やまちづくり活動に参加する中で、有機農業に出会い、共感しあえる仲間も増えてきて絆が広がっていきました。
当初は、息子さんのために立ち上げた農楽でしたが、ひきこもりがちな人達が社会に出て行く第一歩として、様々な若者たちが通ってくるようになりました。
農楽では、天候、環境条件によって思い通りに育たない農作物と格闘したり、失敗OKな雰囲気の中で、若者が共働作業を積み重ねることで、実際の社会に飛び込んでもしぶとく生き抜ける力を時間をかけて育んていきます。

■競争社会にしぶとく生きぬく力となるもの

 

ー木村さん『見た目にはほとんどわかりにくい障害や困難をかかえている人はどの時代にもいたはずだが、社会全体に余裕がなくなってしまった今、そういう人達がますます生きにくくなっています。』と木村さんは言います。

確かに、競争社会の今は、障害あるなしに関わらずどんな人でも生きにくい時代。
長い人生の中で途中で息切れして立ち止まる時は誰にでもあります。
そういう中で、誰かからの「大丈夫?」の一言でその疲れた人が、社会から後退することなく、その場に踏みとどまることができれば、誰にとっても、もう少し余裕が生まれてくる社会になるのではないでしょうか。

ー木村さん「立ち止まってしまいがちな若者をサポートするのは面倒な面もあるが、サポートする側にとってもコミュニケーションスキルアップになるはずです」

木村さんは、地域や職場への呼びかけも始めておられます。
相手に分かってもらう工夫をすることで、見通しのよいコミュニケーションの空間が生まれ、お互いのコミュニケーションが活発になれば、そこに絆が生まれてきます。

絆は、一方通行では生まれません。
こちらから、むこうから、双方からの糸で紡いでいくのが絆。

障害のある人もそうでない人も、それぞれの活動する境界線をボーダレスにすることで、誰にとっても生きやすい社会が生まれてきます。

インタビューをさせていただいている時に1人の青年が、
手作りのカスタード入りトーストを作ってもってきてくれました。
なめらかなホイップクリームも添えられてとてもオシャレでとても美味しくいただきました。
ごちそう様でした! 手作りの温かいスイーツでほっこりしたインタビューの時間になりました。

男性からのおしゃれなスイーツでおもてなし。女の私でも気がつくかどうか。勉強になりました。
有難うございました。

 

【絆のカタチ】No. 19 麦畑自然農場 上垣敏明様

絆工房取材絆のカタチ自然農場上垣農園

絆工房取材絆のカタチ自然農場上垣農園

 

  年の梅雨はカラ梅雨、だと思いきや突然のゲリラ豪雨になりそうで、ちょっと不安な今日このごろですが、いかがお過ごしでしょうか? 今回は大屋の山奥の「麦畑自然農場」の上垣敏明さんを訪問して来ました。 私の知り合いからご紹介いただきました。 上垣敏明さん現在66歳、白髪のダンディなオヤジと言った風貌の上垣さんが田んぼで出迎えてくれました。 田んぼの向こうをよく見ると若者の姿が何人か目に入りました。 彼らは?と訊くと、「わたしのとこの生徒」、農業学校(予定)の寄宿生だという。 全国からホンモノの農業を目指している上垣さんの話を聞きつけ来ているという。 報酬は無し、一年間ぐらいで卒業していく。 彼らの夢は「日本の農業を変えたい」「日本の食を変えたい」その思いに燃えて入ってきている。 こんな辺鄙な山奥の地に! 上垣さんの飾り気の無い素朴な人柄と情熱にも惹きつけられているのだろう。 そこにも上垣さんと生徒の「絆」の存在を感じる。 そんなカッコイイ上垣さんも40歳の時に肝炎で入院したことがきっかけで食の安全を追求することになったという。 現在の食をよく見ると利益優先の結果、見掛けの安全で作られている。 有機無農薬と言えどもその肥料、飼料に於いて無害なもので作られていることは少ないという。   絆工房取材絆のカタチ自然農場上垣農園   絆工房取材絆のカタチ自然農場上垣農園 現在、ハチミツ、米、野菜果物、にわとりの卵、といろいろ生産しているが、どれ一つとっても妥協を許さず取り組んでいる。 にわとりの飼料も米子地方の遺伝子組み換えのない大豆を使った豆腐屋さんから入れたおからと乳酸菌等を 混ぜ発行させたものを与え、飼い方もケージ飼いではなく平飼でそれもストレスがなるべく無い様に薄飼いで育てる。・・・ 大学の先生のセミナーにも参加し、またそこで聞いたことが本当かどうかを自らが検証し、更に工夫を重ねて今までやってきたという。 一事が万事、安心安全に徹底した信念の元に作られていることに驚いた。 ところが巷ではどうだろう、安全を優先する→健康のために消毒する。 それが行き過ぎて薬漬けに近い状態らしい。正義の名のもとに悪がはびこってしまっている。 いわゆる「健康のためなら死んでもいい」(笑) 冗談みたいなことが現実化している。 今の世の中、便利と横着の境目がなくなってきているのかも! 特に上垣さんは儲ける農業を偽りの農業と嫌い、俺はホンモノを目指し、作り、流通させ、お客との信頼関係を大事に一生をかけて取り組んでいきたいと。 そこに上垣さんとお客さんとの絆のカタチを見て取りました。 農業は儲けるモノではない。 命を繋ぐモノ、家族が健康で生きていくためのモノ、これから先の人類を救うモノだと言ってはばからない。 ホンモノの農業の道はまだまだ険しいものがあると思いますが、命ある限り、お元気で信念を貫き通していただきたいと思いました。   絆工房取材絆のカタチ自然農場上垣農園