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絆工房ニューズレター初の海を渡る。届いた!グリーランド最北端のシオラパルク

絆工房ニューズレターアヴァンナット山﨑さん

2ヶ月に一度発行している絆工房のニューズレター。
61号は一般社団法人”アバンナット北極プロジェクト、代表山﨑哲秀さんでした。
(インタビュー記事はこちら→「北極は僕の生き方、人生そのものです」

 

2022年11月から北極プロジェクト活動のため、
グリーンランドのシオラパルク(グリーンランド最北端の集落)に行かれています。

出来上がったニューズレター、今回国際便を利用して発送しました。

よくあるEMSで送ろうとしたところ、郵便局より
「現在、コロナの影響で
グリーンランドは現在EMSでは送れないんです。」とのこと。

ならば、小型郵便物での国際便にしようしたところ
「以前と違って今は、手書きでなく通関電子データ送信義務化に伴って
郵便局のHPサイトから登録してデジタル入力になります」とのこと。

色んなところでデジタル化時代に突入。

絆工房アバンナット山﨑様

 

 

 

 

 

 

 

 

本当は、
出荷担当スタッフがクリスマス時期に入れるちょっとした
プチスイーツセット(チョコ数個)も同封したかったのですが、
「全ての内容物、チョコレート1個でも明記及び金額も記入して下さいとのこと」。

アルファベットチョコレート1個いくら?
キャンディー1個いくら?

と考えると

絆工房のささやかなプチスイーツには値段はつけられない!
それ以上の価値がある!
ならば食べ物以外で山﨑さんに贈れるものを送ろうと。

そこで贈ったのがこちら。

絆工房アバンナット山﨑様

出荷担当は、犬ぞりに乗ることを夢見て描いたそう。
日本はお鍋が美味しい季節。
北極は日本のような暖かいお鍋のような食文化では何を入れるのでしょうか。

そしてもう1つがお守りカード。

絆工房アバンナット山﨑様

山崎さんの北極の最北端の中での活動の発展とプロジェクトに関わる全ての人の
健康をお祈りしてのお守りカード。

このお守りカードは、
豊岡市日高町にある氏神社の兵主神社、
出雲大社日高教会の立花英歳宮司様にご祈祷していただいたものです。
(詳しくはこちらの記事で→お守りカードに込めた絆工房の想い)

 

そして、
1月16日に郵便局から発送。
まだかな、まだ着かないかなーと案じているとついに
2月6日に無事届いたとのメールが。。

絆工房アバンナット山﨑様

【山﨑様からのコメントメール】

あっという間に2月に突入しましたね!
NLが無事に届きました。
ありがとうございます。ハガキとお守りも嬉しかったですよ~!
こちらはあと1週間ほどで太陽が顔を出します。遅い初日の出ですね(笑)。
15日には日本から研究者が4名やってきて、観測サポートです。賑やかになりそう。
ではでは、また思い出したらメールくださいね。
山崎より
シオラパルクにて
2023年2月5日

山﨑さんの日々の活動は↓でご覧になられますよ。
山﨑さんのパートナー、エスキモー犬の登場してます。

犬ぞり案内人 山崎哲秀 ー北極圏をテツがゆくー

 

また、山﨑さんの活動はTシャツでも応援できます。
下記クリックするとTシャツ販売ページに飛びます。

絆工房アバンナットTシャツ

 

山﨑さん、これからも活動応援しております!!

絆工房アバンナット山﨑様

 

 

【絆のカタチ】No. 61『北極は僕の生き方、人生そのものです』犬ぞり極地探検家の山﨑哲秀様

 

世界初の5大陸最高峰登頂者、世界初の犬ぞり単独北極点到達成功者、世界初のマッキンリー冬期単独登頂成功、そしてその成功直後消息が途絶えた冒険家といば・・・植村直己氏。

今回の取材は、
その彼の著書「青春を山にかけて」を高校生の時に出会い、進むべき人生が決まったという犬ぞり山﨑哲秀さん。

このニューズレターは、絆工房で商品を作られたお客様がモノを通してより心豊かな社会実現のために取り組んでおられる活動を取材させていただいています。
1年の半分を、北極・南極で観測調査を行う山﨑さん。
このニューズレターを手に取られる場所は、北極。
ニューズレターが創刊依頼初の海を渡る取材となりました。

どんな絆ストーリーが聞けるか楽しみです。

 

ー笠原 「一般社団法人”アバンナット北極プロジェクト”、通称アバンナットTシャツ制作のご依頼、いつも有難うございます。世界を股にかけておられる山﨑さんのご活躍、本当に素晴らしいものがあります。
TVやメディアでもご活躍が報道されてますね。」

ー山﨑さん「メディア出演後絆工房で作っていただいているアバンナットTシャツの注文が殺到しました。
こちらこそ絆工房様には急な対応をしていただきまして有難うございました。」

ー笠原 「そもそも、当社をどうお知りになったのですか?」

ー山﨑さん 「今の私の生き方に大きく影響した人が植村直己さんでした。
植村さんが兵庫県豊岡市日高町であることを知っておりました。
一般社団法人アバンナット北極プロジェクトのオリジナルTシャツをどこで作ろうかと調べていくうちに同じ日高町にある絆工房を知りました。これはもう御社で頼むしかないと。」

ー笠原 「なるほど、そうでしたか。日高町から世界初、日本初の偉業を次々と打ち出した植村さんを私たちも誇りに思っています。彼のマッキンリーの登頂の映像ご覧になりましたか?その時は山﨑さんは何歳だったのですか?」

 

ー山﨑さん 「高校生の時でした。
あのニュースは本当に衝撃が走ったのを覚えています。
すぐさま本屋に行って植村さんの「青春を山にかけて」を買って一気に読みました。

その頃の僕は、このまま周囲に流されて大学進学するべきかどうか迷っていた時だったのですが、
この本に出会って、”よし!僕も冒険家になろう!”と。
高校卒業して植村さんが最初にした冒険、アマゾンのいがだ下りをする為ペルーに渡りました。」

ー笠原 「進むべき方向性がすぐに決まったということですね。それにしても早い決断と行動力ですね。
うまく行きましたか?」

ー山﨑さん「いえ、見事に転覆しました!(笑)怖さを知らないからこそ出来たことです。
経験を積むと逆に足がすくんでしまいます。」

 

次に向かったのは北極。 21歳の時。
島の約80%以上が氷床と万年雪に覆われているというグリーンランド最北の村シオラパルク。

この村は日本人として初めて足を踏み入れたのも植村直己さんだそうです。
山﨑さんの職場となっている土地です。現在、ここで北極域観測調査とエスキモー式の犬ぞり技術や狩猟技術といった伝統文化の継承に携わっておられます。

ー笠原 「2回目の冒険はどうでしたか?私たちからは北極の暮らしは想像もつかないのですが、どんな感じですか?」

ー山﨑さん「最初のアマゾンと違って、ある程度は準備して行きました。
それでも本当に厳しい自然環境での生活は、全く日本の常識や価値観だけでは歯が立ちませんでした。
寒さ一つにとっても、北極はマイナス30度、日本の防寒着だけでとても防寒対策したとは言えない厳しさ。
エスキモーたちが着ているアザラシ、トナカイなどの毛皮を着ました。
彼らからは本当に色んなことを伝授してもらいましたね。
この村でもパイオニアの植村さんの功績はすごいものがあります。」

 

 

植村さんは現地の人と同じように生活し、同じような食事をし、絆を築かれました。

ー山﨑さん「私は植村さんが切り開いてくれた道を後から歩いたに過ぎません。
エスキモーの皆さんは、シャイでどことなく日本人に似たところがあります。彼らは外国人に対して特に欧米人に対しては最初からフレンドリーではありません。
でも植村さんが土台を作ってくれたおかげで同じ日本人の僕に対しては本当に快く受け入れてくれましたね。」

ー笠原「北極にはどれくらいのペースで行かれていますか?」

ー山﨑さん「1年の半分です。今年は11月13日にグリーンランドに向かいます。」

実は、山﨑さんは北極だけでなく南極の昭和基地でも研究者の皆さんの観測サポートを行うフィールドアシスタントとして気候データ観測もされました。

ー笠原「まさに北極と南極、二極を股にかけておられますね。」

ー山﨑さん「日本に戻ると不思議な感覚になります。どちらが現実で、そうでないのか。
でも、僕がこのような働き方が出来るのも家族の支えがあってのことです。」

山﨑さんは、奥様と小学生1年生と4年生の子供がおられます。
奥様は、現在、大学の職員。以前は、ドームふじ基地、南極観測隊で働いておられた経歴の持ち主。

 

ー山﨑さん「1年の半分以上は、日本にいないワークスタイルですから結婚は考えていませんでした。
妻とは南極の「ドームふじ基地」観測調査サポート(支援)をしていた時に知り合いました。
妻が先に日本に戻ったのですが、着々と日本で結婚準備をしてたんですよ。
「今日両家の顔合わせが終わりました。」「結婚の日取りが決まりました。」とネットで報告を受けるんです。
そうすると、やっぱり真剣に「結婚」を考えないといけないと思いましたね。」

約4,5000年も前からグリーンランドで人々の生活ラインの手段となっている犬ぞりですが、
最近は、スノーモービルの普及でその数は減少。またIT技術の普及は極地にも広まり、
「若者たちはスマホ片手にピザを食べてます。さらに気候変動調査をしているとダイレクトに地球の温暖化は進んでいるのが分かります。」と山﨑さん。

ー山﨑さん 「温暖化による気候変動が、このまま進むと「何となく危ない」というレベルから何も対策しないと
「確実に危ない」というレベルまできています。」

 

11月には、COP27(国連気候変動枠組み条約第27回締約国会議)で
「損失と損害」が大きくフォーカスされました。

ただ、山﨑さんの活動拠点のグリーンランドは温暖化によって、
氷河の下に眠っていた天然資源が表面化しその恩恵を享受することにもなりました。
思わぬ皮肉な恩恵。
そして、「デンマークからの独立」が悲願にとってこの予想もしない利益をバックに独立の気運が高まっています。
デンマークからの独立、大国の思惑のはざまで揺れるグリーンランド。
そのグリーンランドで、植村さんが切り開いたエスキモーとの
そのを絶やさないようにエスキモー文化の継承し続け、さらには現在は、
グリーンランドと日本の地域の姉妹都市提携活動も行っています。

最後に、これからの活動と山﨑さんにとっての仕事とは?

ー山﨑さん「僕には北極で活動することしか取り柄が無く、北極は生き方、人生そのものです。
北極域は地球上で最も温暖化の影響が、目に見えて表れる場所と言われています。
35年に亘る北極活動の中で、偶然にも気候変動の最前線の中にいる立場となり、自分に出来ることはなにか、と考えるようになりました。
温暖化問題を改善していく大切さを、北極活動を通じて訴えていくこと、またその意識を、次の世代へ繋げていくのが僕の役割りだと思っています。」

 

 

山﨑さんの北極活動はこちら「アバンナット北極プロジェクトブログ」から見れます。

 

また山﨑さんの犬ぞりカレンダーやTシャツで活動を応援される方
こちらからご購入できます。

犬ぞりサポーターも募集されておられます。

マイナス35度の極寒で活動する日本人山﨑哲秀さんを支える
エスキモー犬の逞しさもすごい!

山﨑さんと犬たちとの絆もぜひブログでご覧ください。

ぜひ皆さん応援よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

絆工房はお客様の人生そのものの生き方を取材することを通してこれからも絆作り活動を
精一杯して参りたいと思っております。

 

 

社会で活躍するリーダー、経営者の皆さんの活動 は
こちら「絆のカタチ」からご覧いただけます。

ニューズレター 絆のカタチ

ニューズレター創刊以来、今号で61人の皆さんとの絆を紡ぐことができました。
皆様本当に有難うございます。

気になる会社の絆のカタチを聞く

ニューズレター 絆のカタチ

ニューズレター 絆のカタチ


毎日話す直接部署の社員もいれば遠くからその姿をちらりと見るだけの間接部門の社員もいます。

組織を経営していく楽しさと難しさを、
時に社員と一緒になって、時に孤独の中で1人決断しながら経営の舵を切っていく経営者。

そんな経営者と同じ立場の当社笠原が、【絆】を軸に取材したのが当社の「絆のカタチ」。
2ヶ月に1回発行のニューズレターで紹介しています。
ニューズレターは、顧客の皆様向けに郵送させていただいておりますが、バックナンバーも見たいというお客様のご希望にお応えして今回ネットにも掲載させていただくことになりました。

経営者の想いを知ることは日本経済のこれからの在り方を知ること。 

若き経営者のキラリと光る言葉から、高度経済とバブル経済の荒波をくぐり抜けたシニア経営者の燻し銀のような言葉まで
いろんな経営者の言葉をお聞き下さい。
自分の人生をより自分らしく楽しく生きる知恵やヒントが見つかりますよ。


https://sample11.multistyle.work/2022/12/26/%e3%80%90%e7%b5%86%e3%81%ae%e3%82%ab%e3%82%bf%e3%83%81%e3%80%91no-61/

【絆のカタチ】No. 60過去と未来の命をつなぐお寺 宗鏡寺14代目住職・小原游堂様

 

【絆のカタチ】No. 59キズキ商会 木築基弘様

 

【絆のカタチ】No. 58アグリガーデン北村元気様

【絆のカタチ】No. 57点と線様

【原点に還ると見えるくるもの】No. 56絆工房代表取締役社長笠原泰藏様

【絆のカタチ】No. 55 FC六間 三宅博人様

【絆のカタチ】No. 54 ローカーボハウス 友田 和子様

【絆のカタチ】No. 53 渡辺瑞帆様

 

【絆のカタチ】No.52 AC播磨イーグレッツ運営事務局代表 岡田隆人様

 

https://sample11.multistyle.work/2019/04/05/%E3%80%90%E7%B5%86%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%81%E3%80%91no-%EF%BC%95%EF%BC%91%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B9%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE-%E5%8F%96%E7%B7%A0%E5%BD%B9/

 

【絆のカタチ】No50エンドー鞄株式会社 代表取締役社長 遠藤玄一郎様

 

【遊びの中に学びがある】No.49NPO法人かんなべ自然学校 代表前田敦司様 

【仕事は人間関係が運ぶ】No48吉谷建築 吉谷貢様

 

【次世代が継ぎたいなと思える会社づくり】No47株式会社ハイロン代表取締役 西垣 宙志 様

 

【店に入った瞬間の空気感を大切に】No.46まるさん物産店 脇 坂 優子 様

 

【日本一浴衣の似合う町づくりを目指す】No.45「いろは」系谷 瞳様  

 

【次世代が戻ってきたいと思える町に】No.44大島興産株式会社 常務取締役 大 島 康 弘様

 

【技能でなく礼儀を重んじる子育て】No.43 嶋崎 学様

 

【それぞれの人の唯一無二の薫りが地域を活性化する】No. 42 煙神代表燻製工房 煙神井上大作様

 

【教育は自分づくりが大事】No. 41日本アウトワード・バウンド協会 教育事業部部長 田中裕幸様

 

https://sample11.multistyle.work/2019/07/12/%e3%80%90%e7%94%b7%e3%81%ae%e8%b2%a1%e3%81%af%e5%8f%8b%e3%81%aa%e3%82%8a%e3%80%91no-40%e3%80%80%e5%87%ba%e7%9f%b3%e6%89%8b%e6%89%93%e3%81%a1%e7%9a%bf%e3%81%9d%e3%81%b0%e3%80%8e%e7%94%9a%e5%85%b5/

 

【絆のカタチ】No.39仕事は夢であり希望『ふれりあ』 代表 田原美穂様

 

【絆のカタチ】No38 朝倉商事株式会社 代表取締役社長 朝倉裕登 様

【小さなことをチャレンジすることもまた冒険である】No. 37『植村直己冒険館』館長 吉谷義奉様

 

【自分の意志で生きることは選択できます】No.36『かじか窯』陶芸家小田垣かすみ様

【勝手知ったる他人のペンション】No. 35ペンションてるてるぼーずオーナー野村征伸様

 

【2世代で新たな商いに挑戦するスポーツウェア店 】No. 34 『マルマツスポーツ』橋本 安雄様

 

【人生で無駄なことはないんですよ】No.33美味しい豆腐のお店『蘇武の里』川田恵美子様

【人ー企業ー地域を結ぶのはやはり人との縁】No. 32 画流有限会社 代表取締役清 水寛様

 

【お金よりも“有難う“を集めたい】No.31朝日新聞サービスアンカーASA日高西村英治所長 

 

【絆のカタチ】No30 三尾商店の漁師さん前田保様

 

【お祭り娘 x I LOVE スタバマグ x 小山理論】No. 29道の駅『神鍋高原』様

 

【絆のカタチ】No28アメリカ西海岸の匂いのするカスタムカー制作会社ナイスドリーム 今井様 

 

【絆のカタチ】孤独と壁をつきやぶれ!No.27置き薬きくや豊岡下田明浩様

 

【創業30周年感謝を込めて】No.26(株)絆工房 会長笠原 泰藏

 

【ここをコミュニケーションの場にしてほしい】 No.25ログリゾートかんなべオーナー 今村則子様 

 

【縁と絆が幾重にも絡み合って誕生したお店】No.24合同会社ヘルメースかどの駄菓子屋 代表 上田 隆嗣様                     

 

【あなたはよそ者、若者、馬鹿者になれるか】No.23トヨオカ・カバン・アルチザン・アベニュー 林健太氏

https://sample11.multistyle.work/2022/01/24/no-21%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E7%B4%B0%E5%B7%9D/

 

【誰もが生きやすい環境づくり】No. 21農楽(の〜ら)木村尚子様

 

【絆のカタチ】No. 20 拡運建設株式会社 岸野光生様

 

 

【絆のカタチ】No. 19 麦畑自然農場 上垣敏明様

 

【絆のカタチ】No. 18BITO R&D・美藤定様

 

【絆のカタチ】No. 17映像作家/写真家 藤原次郎定様

 

【絆のカタチ】No. 16ガンピー・穀物倉庫の社長、田原 吉美様

 

【絆のカタチ】No. 15村岡ファームガーデン様

 

【絆のカタチ】No. 14但馬寿様

【絆のカタチ】No. 13卓球ロードスカイ様

 

【絆のカタチ】No. 12河西ふとん様

 

【絆のカタチ】No. 11FMジャングル様

 

【絆のカタチ】No. 10農業生産法人(株)Teams様

 

【絆のカタチ】No. 9日和山 城崎マリンワールド様

 

【絆のカタチ】No. 8高砂屋製菓様

 

【自分の舌を信じ本当に美味しいと思えるモノだけをお薦めしたい】No. 7平山牛舗様

 

【炭焼きで地球を救う】No. 6 白炭工房様

 

【先代から受け継いだのれんに新しい息吹を吹き込む2代目】No. 5 寿楽庵様

 

【代表笠原のあこがれの兄貴的存在】No. 4 三國屋様

 

【絆のカタチ】私の仕事No. 3

https://sample11.multistyle.work/2022/01/24/%E3%80%90%E7%A7%81%E3%81%AE%E4%BB%95%E4%BA%8B-%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%882%E3%80%91no-2/

【絆のカタチ】No. 1 ごあいさつ

【絆のカタチ】No. 60過去と未来の命をつなぐお寺 宗鏡寺14代目住職・小原游堂様

絆工房と沢庵寺

絆工房と沢庵寺

小京都と言われる情緒あふれる出石。透き通るような白さが特徴の出石焼きや、兵庫県最古の芝居小屋、永楽館があったりと歴史ある城下町。
今回の取材先は、出石にあるお寺、宗鏡寺(すきょうじ)

いつもは商売を営む経営者に会う為に、お店のブランドそのものの意味を持つ「のれん」をくぐるのですが、今回は山門をくぐりました。
臨済宗、圓覚山宗鏡寺現住職、小原様に【絆】のお話しをうかがいます。

 

石城から徒歩10分のところに宗鏡寺があります。
戦国大名、山名氏清公の菩提寺として1392年に創建され、江戸初期の禅僧沢庵宗彭が再興。
現住職は、14代目、小原游堂様(43歳)です。

ー笠原 「小原さんは、このお寺で生まれた方ですか?」
ー小原さん 「いえ、熊本出身です。」

ー笠原 「熊本のご実家もお寺だったのですか?」
ー小原さん「いえ、それも違って両親は天ぷら屋を営んでいました。」

今回この取材をするきっかけになったのは、ご実家のてんぷら屋さんののれんのデータデザインを使って、
そのデザインの上に宗鏡寺の別名沢庵寺の「たくあん」という文字をいれたTシャツの制作依頼がきっかけでした。

 

 

沢庵寺Tシャツ

 

 

ー笠原「そもそもどうして僧侶になろうと思われたんですか?」
ー小原さん「それは、私はちょっと変わった子供でしてね。幼い頃から死に対して畏怖の念を抱いていて、
おもちゃが壊れても悲しくなってお墓を建てるような子供でした。
でも壊れたからといって新しいものを買って欲しいとは不思議と思わなかったんです。
また、両親が共働きということもあって、おばあちゃんと過ごす時間が多く、一緒に毎日お地蔵さんに手を合わす環境で育ちました。
母親がお茶の稽古をしており、京都大徳寺と縁ができて、お土産話に小僧さんの話を聞くうちに自分も出家したくなり、願い出ました。両親は最初一時的なものと思っていたみたいですが、あまりにもしつこく私が言うので、『大徳寺の厳しい修行を目の当たりにすれば諦めるだろう』と連れていかれました。

結果、13歳で臨済宗の大本山大徳寺聚光院で得度。

—笠原 「修行生活はどうでしたか?」
—小原さん「これが、楽しかったと言えば語弊があるのですが、苦になりませんでした。帰りたいとは一度も思いませんでした。ただ、そうは言ってもまだ中学生ですから、親の声を聞きたくて毎日電話しては泣いてました。」

その後、仏教系の花園大学を卒業、大徳寺専門道場で修行。29才で宗鏡寺の住職に就任。

 

■【命の循環プロジェクト】

 

—笠原「宗鏡寺はどういうお寺でしょうか。」
ー小原さん「スピード重視、合理性重視の世の中の流れの反対をいくお寺といいましょうか。
今、【命の循環】プロジェクトというのを進めています。
宗鏡寺は400年の歴史があるお寺ですが、やはり老朽化が進んでおり去年から全面改築工事をスタートしました。
改築に使う木材は、外材ではなく、3代前の住職が植林したものを伐採して使います。
現在、自然乾燥しているところです。この乾燥は非常に時間がかかります。
年末に伐採した檜を、葉をつけたまま放置して水分を蒸発させます、それから翌年の梅雨入り前に搬出して製材です。
僕の生きているうちに工事が完了するかは分かりませんが、大切な技術の継承や但馬の自然環境を次世代への財産として繋いでいきたいと思っております。
過去の人と出会うことはないですが、伝統技術を通して過去の人と会話できる、そして過去と未来をつなぐ中継ぎのような感じのお寺です。」

■200年前というと江戸時代。江戸の宮大工の伝統技術に出会える場所

 

ー小原さん「そういう意味でも、過去と未来のつなぐ接点としての宗鏡寺でありたいと思います。」
ー笠原「今とても壮大なプロジェクトを行われているんですね。過去の人との絆を感じます。未来に対してはどうですか?
どんなお寺を目指しておられるのですか?」

ー小原さん「そうですね、お寺が、最先端にならないように気をつけております。
テクノロジーのように時代の先を行くというより、社会の受け皿のような存在でありたいです。
足の悪い人やお寺を参拝されたいということで、色んな人に楽に参拝できるようバリアフリーの話しも出たこともあり、実際にその足の不自由な
方を招き案内しましたところ、
「一生懸命に坂道を登って、段差のあるところも乗り越えてやっとお参りすることができた。有り難いことです。」と言われました。

お寺は修行する道場だと改めて気付かされました。
やはり、ある程度はアナログでなければなりません!
社会の価値観に当てはまらない人も一緒に修行出来る、そんなところが私の理想です。」

 

■目の前のことに一生懸命になること

ー笠原「人は、生きるか死ぬかを経験しないと一生懸命にならないですね。
僕も勤めていた会社が倒産、借金して起業した矢先に病気になり余命宣告されたんです。
このことがきっかけで、困難な事が起っても、命まで取られることはないと開きなおって挑戦してます。」

ー小原さん「そうですね、私も若い頃、生死の境に得るものがあるのでは?と崖に登ったことがあります。
でもその時に思い浮かんだのは母に対して申し訳ない気持ちでした。死を自らが作ってはだめです。
今を生きること。何か大きな事を成し遂げるよりも今を懸命に生きる事が大事です、
そして感謝の念を持つことじゃないでしょうか。」

圓覚山
宗鏡寺
〒668-0217 豊岡市出石町東條33

 

 

【絆のカタチ】No. 59キズキ商会 木築基弘様

キズキ商店
豊岡市にある大正15年創業の(株)キヅキ商会。 建築資材を取り扱う商社です。  

■新しいことをやるにはスピードが大事

今回は、代表取締役の木築基弘さん(55歳)に話しを伺いました。 ネットニュースや電子書籍といったデジタル媒体が情報収集の主流となる社会で、新聞や本屋さんが大好きという言い切る木築社長。 何やら興味深い話しが聞けそうです。 -笠原 「お父さんからいつ事業を引き継がれたのですか?」 -木築さん「20年前ですが、継ぐというのは社員さんに対し失礼な言い方、転職であり、入社ですね。」 -笠原 「どんなお父さんでしたか?」 -木築 「とにかく嫌いで関わりたくなかったですねw。子どもは視野に入ってない感じ、邪魔もの扱いですね。その分、勉強しろ的な事も全く言われませんので、今思えば自由だったかも。」 -笠原 「僕の父の口癖は『勉強しろ』でした。」 -木築さん 「食事も、商売人の食卓という感じ。必ずニュースが流れ、会話もビジネストーク。実は、密かにこんな家庭は嫌だなって心の中では思っていました。だから家庭を持つようになって僕は、子供とは一緒に遊ぶのが大好き。休みの日は子供たちの様子を見ているだけで幸せなくらいです。」 -笠原 「最高の学びは、反面教師であることですね。」 -笠原「御社は専門商社ですが、具体的にはどんなものを扱っておられますか?」
-木築さん「人が住まう、暮らしのインフラ全般、といっても分かりにくいですね。創業は、コンクリート製造でした。その1年前の大正14年(1925年)5月23日に北但大震災が起こり、まさにコンクリートビジネスが、復興ビジネスになりました。そして、平成23年(2011年3月11日)には東日本大震災が起こりましたが、その年には、再生可能エネルギーである太陽光発電システムに関わり始めました。新しいことをやるには、スピードが大事。他を多少犠牲にしても太陽光発電にシフトしました。」
-笠原「お爺さんといい、木築さんといい、なんだか時代に合わせてうまくビジネス転換をされておられますね。 まさにフロンティア。常に時代の波のアンテナを張って危機に対してすばやく反応できる人という印象です。」 -木築さん「振り返ると、創業当時にやっていたことは今はほとんどやっていないんですよね。常に時代の変化に合わせていこうと思っていますが、その時に邪魔になるのが『計画』でもあります。落合陽一も『半歩先を読む思考法』という本を出してますが、コロナに限らず、半歩先のことしか私達には分からない。」 -笠原「ニューノーマルになるということですね。アジャイルに物事を進めていくというか。」 -木築さん「そんな意味でも僕は細かい経営計画を立てたことがないです。単にめんどくさがりの言い訳かも。」 -笠原「様々な会やプロジェクトの役をされておられますから、めんどくさがりではないと思います。」 -木築さん「頼まれると断れないというか、そこで自分に進化のためのプレッシャーをかけてるのかもしれませんけど、新しい事や人と出会うのはとても好きですね。僕の結婚式であちこちから来てくれた友人同士が共感で盛り上がってたのが「木築は転勤すると全く連絡してこない」という事。確かに、新しい場になじむことに意識も時間も奪われてしまい結果的に、過去と接することがなくなってしまうw。」 -笠原「太陽光発電の未来はどうですか?」 -木築さん「豊岡は、2050年までにカーボンゼロを目指して「地球温暖化防止対策室」が立ち上がりました。豊岡市は現在放棄農地での太陽光発電を導入していますが、これをもっと拡大していくことが大切だと思います。自然災害はコントロールできませんが、エネルギーの蓄電や調整は可能です。

 

今、大手企業が土地を借りて太陽光発電を積極的に取り組んでいますが、地元の人が事業者なのが大切。行政とも連携して災害に対して強い街づくりも目指していければと思っています。」

-笠原「太陽光発電の未来を含めてフロンティアとしてどう時代を見据えていますか?」 -木築さん「コロナで、益々新たなインフラ整備が求められています。より安心、安全、健康へのこだわりが強くなってきています。以前の商社は顧客に情報提供のみでよかったことが、今は、コーディネート機能も求められてきていますし、それらをプロとしてやれないと生き残る価値はありません。」

 

■次世代と地元の未来を切り開く会社に

 

-笠原「例えば、ユーザーのサポート体制もそうですね。」 -木築さん「相手の立場になると、必然的にそうなります。様々な方々の気持ちになるためにも、大切にしてるのがバランス感覚ですかね。記憶に残ってる創業者の祖父の言葉が「何事もバランスが大事」でした。 今、インターネットの情報は、アルゴリズムにより、自分が見たくない情報は遮断され、自分が見たい情報しか見えなくなるフィルターバブルが起こっています。 また、自分の意見と同じような意見を閉鎖的空間内でコミュニケーションを繰り返して、その結果、特定の信念のみが強くなるというエコーチェンバー現象も起こっています。偏った情報がSNS内で氾濫している状態。こうなると、ある物事に対して客観視ができなくなってしまいます。常にアンテナをはってその変化をバランス感覚を、持ち続けてることが必要だと思っています。」

−笠原「それが流行なのか潮流なのか、見極めるということでしょうか。 流行は一過性のものですが。潮流は繰り返しますから、予兆からの潮目の判断力が求められる時代ですね。」

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【それぞれの人の唯一無二の薫りが地域を活性化する】No. 42 煙神代表燻製工房 煙神井上大作様

絆工房と煙神
絆工房と煙神
神鍋高原道の駅の奥んある鳥居と、神木のような木を通り過ぎると森の中に静かに佇むお店、「煙神」。 「お店の名前から皆さん、煙の神様と思われていますが、神は神鍋高原の神をしているんですよ。」 にこやかに語る代表取締役の井上大作さん。 若き社長が五感にダイレクトに響き、薫りを燻製と手法で神鍋の地でのろしをあげた理由を神鍋の 木漏れ日が差し込む明るい店内で取材させていただきました。

■日本料理の世界から燻製の世界へ 切り口は違っても想いは同じ

高校卒業後、17年間日本料理の板前として温泉旅館で修行をつまれた村岡出身の井上さん。
ー笠原:「最初にお店を開くまでの経歴を教えてもらっていいですか?」 ー井上さん:「板前の世界は非常に厳しかったですね。技は目で盗め!といった感じで休みは ほとんどありませんでした。辞めようにも怖くて辞められない。絶対的な師弟関係の世界。 師匠がカラスが白いっていったら白いと言わない世界でしたね(笑)。でもそういう厳しい 世界の中で一緒に働いた仲間は今でも絆が強くお店にも来てくれます。」
ー笠原:「守・破・離の世界ですね!その道のプロとして進もうとした時に、自分に色々な考えが あるとしても、まずは素直に師匠の型を受け入れてそれを”守”る。次にその型を身につけたらその型を ”破”って応用の段階にいく、そして最終的には、完全に師から”離”れて独立して自分のオリジナリティを 創っていく。でも井上さんは、17年も務めた料理人のキャリアを捨てて燻製のお店をもたれた、その 経緯を教えてくれませんか?」
絆工房と煙神
ー井上さん:「両親が村岡で「香味煙」という燻製のお店を営んでいるんですが、 家業を継ぐ気は全然なかったですし、親にも継げと言われたことがなったんです。 ただ、実家に帰省した時に楽しそうに燻製の話をしたり将来のことを語る親の姿を見て、 そんなに燻製って面白いものなのか?それならやってみようかと興味が湧いたんです。 神鍋を選んだ燻製づくりに必要な空気と水が美味しいこと、またドイツは村ごとに味が違う 燻製屋とパン屋が点在しているらしく、ドイツの森と神鍋の森h雰囲気がよく似ていますので この神鍋にまず燻製のお店を出せたらと思ったからです。 両親と僕はもちろん親子ですが、ここでも板前の世界と同じように師弟関係があり、 仕事は目で覚えろと言われました。ただ、日本料理人だった僕のことを認めてくれ 僕の知識と父親の燻製の知識、お互いの知識を出し合って新しいモノを作ろうという意識を持っていました。 「香味煙」の味を変えてヒットした商品もあります。17年で学んだ日本料理の隠し味を生かして オリジナル商品も作りました。」
そして 神鍋に出店して今年で3年目。従業員4人をまとめる代表取締役に就任。 ー井上さん:「自分が上に立って初めて修行時代の上に立つ人の気持ちがわかりましたね。 その時には気がつかなったものが見えてきました。ただ、自分は厳しくしごかれて仕事をしましたが、 それを今の時代に同じことをやっても通用しない。そんなことをするとすぐに辞めてしまいます。」 ー笠原:「社員と経営者は同じ場に居ても、見る方向が違うので、おのずと見える景色も違ってくるんですね。」

■それぞれの人の唯一無二の薫りが地域を活性化する

燻製の仕方を知りたい人にはオープンに教えている井上さん。HPに家庭でも出来る燻製を使ったレシピが 掲載されています。
ー井上さん:「最初は、「香味煙」と同じ味にしようとしましたが、同じ味には絶対ならないことに、 ある時気づいたんです。それは作る人も違う、空気や水といった環境も違うから。それぞれの土地に それぞれの味が生まれますので、美味しいと思うものが神鍋の味になるんです。神鍋には煙神だけなんですが、 色んな人がそれぞれの味で燻製の煙が点々とたなびけたらと思います。それの為なら僕の持っている燻製の 技術は惜しみなくお伝えしたいと思います。」
絆工房と煙神
ー笠原:「今後の展開について教えて下さい。」
ー井上さん:「色んな人の燻製の味のお店が点在し、”えんじん”を組んで但馬地域を活性化させたい、 そしてまたそれがエネルギーの”エンジン”となるんですね。そして、緩やかな縛りのない燻製組合というものが あればいいなと思います。」
ー笠原:「依存しあうのではなく活用しあう、ウィン・ウィンの関係のネットワークはいいですね。 ところで座右の銘とかありますか?」 ー井上さん:「そうですね。”こだわらなきゃいけない、しかしこだわり過ぎない”。それがこだわりです(笑)。」 こだわりすぎると視野が狭くなって周りが見えなくなる。ヒントは一点だけではないと思いますから。 好きな言葉は、「これでいいのだ。」まずは、今の状況を受け入れる。過去の自分がそうしてきたから今の状況がある。」   ー笠原:「自分の立ち位置を確認するわけですね。」 ー井上さん:「そうですね。「これでいいのだ」というのは、決して状況に甘んじているのではありません。 今に見てろよ、次はこうするというエネルギーになります。」   最後に上手な燻製の仕方も教えていただきましたのでご紹介します。 ー井上さん: 「燻製初心者はともすれば、燻る時間が長くなりがち。その結果苦くて酸っぱい味だけのものになります。 塩もみは美味しくない。ピクルス(漬ける液体)も舐めて美味しいと感じるもの!これに尽きます。 家庭で手軽に美味しく食べられる燻製は、短時間で燻したすぐにたべられるソーセージなどの食材です。 ポテトチップスなども燻製すると大人の味のポテトチップスに変わってこれが美味しい。そして燻製したてよりも 一晩寝かせること。食べる時に軽く温めると香りがまた戻ってきます。」 絆工房の今年の社員誕生日プレゼントはこちらのお店の燻製。 社員の日頃の労をねぎらう相応しいプレゼント。 チーズ、但馬牛、鹿肉、珍しいところでは沢庵の燻製もあり、 誕生日プレゼントを食卓に出すと、家族の夕飯の夏の陣、争奪戦が繰り広げられた スタッフもいました。 縄文時代からすでに食文化としてあった燻製。 古の時代からあるこの煙と薫りを神鍋の碧い森深くにたたずむお店、煙神で楽しんでみてはいかがでしょういあ。
燻製工房 煙神
669-5372
兵庫県豊岡市日高町栗栖野60−1
Tel 0796-20-9845  Fax 0796-20-9846
Mail: info@enjin-kannabe.co.jp

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【原点に還ると見えるくるもの】No. 56絆工房代表取締役社長笠原泰藏様

絆工房
絆工房

■会社を継続している原動力になっているもの

負け嫌いな性格。負け嫌いは負けず嫌いとは違う。 戦かずして負けるのが負けず嫌い。 僕の場合は、戦って負けている。沢山負けた。悔しくて、そういう自分が嫌いだった。  

■具体的に負けた相手は?

幼少期はいじめられっ子。 家では父親から常に「勉強しろ」と怒られていた。 卒業後、本当は絵、デザイナーの道に進みたかったが、 この時も父親に反対され「絵では飯が食えん!」の一言で、親の進めた大阪の会社に就職。 しばらくして親から実家に戻ってくるよう言われUターンし、地元で就職。 それでも「自分の特技(デザイン)を飯の種にしたい」という気持ちはくすぶり続ける。 そんなある日、何気なく手にした週間ポスト。その中にシルクプリントのフランチャイズ店の募集欄に目が止まり早速応募。 もちろん父親からは怒られたが、借金を抱えて独立起業。 この会社が1年も経たずに倒産。残されたのは借金のみ。 さらに、肝炎にかかり医者からは、やがて肝硬変になり肝がんに進んでしまう、と告げられる。 沈みゆく夕日の朱を帯びた空の情景が今も忘れられない。 幸いにも肝炎は完治。しかし、多額の借金をかかえたまま。シルクプリント事業を背水の陣で取り組むしかない状態。 幼い頃からこのように戦いにことごとく負け続けていると、次第に 「どうせ僕なんか所詮・・」と思うように。。。。 自己肯定感の低さに暗澹たる思いの20代。
絆工房  

■その状態からどう心が変化していったのか

一つはテニスでの成功体験。 好きこそものの上手なれというように、三度の飯よりテニスが好き。 どうやったらテニスがうまくなれるか、そのことばかり考えていた。 好きなテニスの事となると寝食忘れて没頭。まさにゾーンに入るという表現がぴったりの心境でテニスにのめり込む。
そして、試合に勝つようになると素直に嬉しい。
じゃあ次の試合までにはもっと今よりも上達しようと挑戦。 その繰り返しの中での成功体験が増えていき、 気がつけば、低い自己肯定感の自分から脱皮できた。 変容<メタモルフォーゼ> 好きというのは原動力になる。 もう一つの原動力は、本来の負け嫌いという性格。 今でこそ、若者の起業が当たり前の時代だが、 37年前は、 「勉強していい学校に入らないといい会社に入れない」と呪文のようにいう父親の言葉に心が囚われていた。 時は高度成長時代。 就職すればその会社に滅私奉公で終身雇用するのがふつ〜の生き方。 集団就職、年功序列、定年制によって一億総中流意識だった時代に、サラリーマンを辞めて独立するというと、この時は父親は猛反対。 周りの人たちも、「キギョウ?なにそれ、美味しいの?美味しくなければ辞めとけ・・・」と。 四面楚歌状態。 まさにアウェイの状態で会社をスタート。 借金も抱え、家族も抱え、後がないということもありがむしゃらに働くこと2年。
絆工房
そして、ようやく借金も返済し、事業も軌道に乗り始めたのが40代間近。そしてこの年齢はということ、地域の役を頼まれる年齢、いわゆる厄年でもある。 消防団の役 PTAの役 商工会の役と地域の役も引き受けるようになり・・・ 正確には引き受けざるをえない状態に。。。 それは、布石を打ったから。 役員の打ち合わせで意見を述べるとよく 「経験もないのに知ったような口を聞くな」と長老たちから軽くあしらわれる。 言われた瞬間は、もちろんショックでがーん! だが次の瞬間、意外に冷静になる自分がいて 「だったら俺が引き受ける!」 開き直り。 反対されると、逆に燃えるタイプ。 そういうことを繰り返していくと、 消防団分団長、PTA会長、人権啓発推進協議会委員、 豊岡市商工会日高支部長、神鍋高原道の駅の社長 と雪だるま式に役を引き受けることになる。 そして、「長」の役につくと、否が応でも人前で話す機会が増えるもの。 自己肯定感ゼロの頃は、人の前で話すのなんて大の苦手だった、(今でも嫌い) 責任のある仕事や役は逃げ回っていた。 ■なぜ引き受けるようになったか? トヨタ自動車社長、豊田章男いわく 「怖いところに突っ込んでいく方がむしろ安全」だから。 そして、 どうせやるなら面白くしよう、と。 誰にも言われずに始めた2週間に1度の商工会のおひねり勉強会も6年で約128回開催。   ■withコロナ時代、これからの会社経営   デザイナーのはしくれとして「究極のオリジナルTシャツをつくりたい」という思いでスタートさせた絆工房は、設立当初は有限会社マジック。 マジックの由来は、Tシャツで人をマジックのようにびっくりさせたいというのとイエローマジックオーケストラYMOのマジック。 平成25年4月には、マジックから絆工房に社名変更。 ユニフォームというのはチームで着るもの。 そのユニフォームにお揃いのデザイン、エンブレムが入っているものと、 入っていないものとでは必然的に試合に臨む心意気も違ってくる。 チームの団結力も違ってくる。
努力―勇気―覚悟―開直り、の順番で進んでいく。 決死の覚悟で進んでいき、それでもダメな場合。 開直り 開き直ってやるしかない 宮本武蔵も 「命を投げ打つ者ほど強いものはない」 開き直って物事に当たると、経験値を超えたところの発想を生まれてくるもの。 シナプスが発火するという感じで、持っている能力以上のものを発揮する場合がある。 スタッフがそういうフローな状態で仕事ができる環境作りを経営者としてつくっていきたい。 経営者の仕事は「環境づくり」  

■ 会社は何をもって集まっているのか?

  会社は、同じ目標を持った者同士が集まるところ。 桃太郎の話しもそう。 鬼を退治するという同じ目標をもった桃太郎のもとにキジや猿が集まってきた。 キジはキジの役割、 猿は猿の役割がある 絆工房でも、それぞれのスタッフが自由意志のもとに、自分の特技や能力を思いっきり発揮できるような組織、 最近ではそんな組織をティール型組織と定義されているが、 絆工房もそういう組織に近づけるよう、環境を整えていこうと思う。 そう思ったのが、 11年前に一冊の本との出会いがある。 この本の出会いによってさらに組織の方向性を決 それは、ブラジルのセムコ社のリカルドセミナーの書いた「奇跡の経営」。 セムコ社は、社員に対し徹底した情報の開示と、社員に対しコントロールの放棄。 今で言う、まさにティール組織型経営。 「人に言われたからやる」 「上司に言われたら仕方なくやる」というのではなく、 好きなテニスならアスファルトのコートがフライパンのように暑い炎天下でもやる、好きなゲームなら親に隠れてでもやる、 好きな教科の勉強なら苦にならず延々と難問でも挑戦できる、 同じように ゲームのように仕事に没頭できる。 趣味が高じて仕事になったとよく言われる、あの感じ。 ただし、趣味と仕事は違う。 趣味はペクトルが自分の方に向いているが、仕事はお客様の方に向いている。 如何にスタッフが快活に仕事に打ち込めるかのルールづくり。 そんな仕組みでゲーム化していきたい。 コロナ禍と云う一つのきっかけで、長い時代が終わり、新しい時代が始まろうとしている。 withコロナというよりもアフターコロナでの新しい時代ではそれに対応できる人や組織だけが生き残っていける。 今まで隠されていたモノがあぶり出されている そのモノに対してどう対応すべきか、 どうサインを読み解くか。 それは原点に還ること 原点に還ると答えは自ずと見えてくる。  
以上
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【ここに来ないと寝られないの】No. 22カフェ オン・ザ・ロード細川様

絆工房とオン・ザ・ロード
絆工房とオン・ザ・ロード 但東町安国寺近くの坂浦峠の山合いの静かな森の中ににひっそりとカフェ オン・ザ・ロードが佇んでいます。 今回はそこのマスター細川さんに絆物語を伺いました。 カフェの周りにある木の巣箱には、季節によって色んな野鳥が訪れるそうです。 自然と深い絆があるカフェです。マスターは長年勤めた鞄メーカーを辞め、去年カフェをオープンされました。 ー笠原「どうしてサラリーマンを辞めてカフェをしようと思ったのですか?」 ー細川さん「奥さんが隠れ家的な喫茶店をやりたい、僕はかばん工房を開きたい、二人の思いが重なった結果、かばんも作れるカフェが誕生しました」 なるほど、店内には腕のいい職人さんが作ったのが一目で分かるセンスのいいかばんがディスプレイされてあります。 そしてオンザロードを語る上で外せないのがフルーツティー。 ここの看板メニューです。このフルーツティー誕生秘話も伺いました。 かばんの町としても有名ですが、同時にコウノトリの町としても有名な豊岡はコウノトリを含む野鳥の保護活動が熱心に行われており、その関係者の中に俳優の柳生博さんがおられます。 柳生博さんは山梨県に八ヶ岳倶楽部というカフェを持っておられ、そこの名物がフルーツティー。 友達から柳生さんを紹介してもらったマターは是非レシピを教えてほしいとお願いしたところ快諾。そうして誕生したのがフルーツティ。7種類もの季節のフルーツをふんだんに使った紅茶は最初は、さわやかな香りと味がしますが、次第に甘味のあるとろりとした紅茶に変化。紅茶を飲み終えると、ポットの中のフルーツもいただけます。 夕方近くに来られた年配のご夫婦は 「ここに来ないと寝られないの」と言われました。 オープンしてわずか1年で、地元の人々の生活にしっかりと浸透。 さらに、カフェの名前on the roadと聞いてピンと来られた方はかなりの浜田省吾ファン。 実は、カフェの名前にするほどオーナーご夫婦揃って浜省ファン。定期的に浜省ファンが集まり熱く語り合うそうです。 お勧めは、二階の窓際のソファ席。時間を忘れてしまうほど座り心地抜群です。 ―細川さん「回転率なんか気にしません。居たいだけ居て下さっていいんですよ。そんなカフェです、ここは」とマスター。 森の中にあるカフェだけあってオーナーも森のように訪れた人を大きく包んでくれるお人柄でした。 カフェという空間で鞄との縁を途切れさすことなく生まれたかばん工房、遠く離れた八ヶ岳倶楽部とフルーツティで結ばれているカフェ。 この道の彼方、きっとこれからも沢山の絆がオン・ザ・ロードには約束されています。
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【誰もが生きやすい環境づくり】No. 21農楽(の〜ら)木村尚子様

絆工房と農楽のーら
絆工房と農楽のーら   兵庫県豊岡市出石町鳥居に広がるのどかな自然の中に農楽(の〜ら)があります。 今回お話しをうかがったのは、障害として理解されにくい軽度発達障害や対人関係の不調などの理由で 社会に参加することができない若者たちが、再び社会に復帰する前にちょっと一呼吸おいて体力、気力を充電することができる、そんな家と社会の中間的な居場所というべき「農楽(の〜ら)」と呼ばれる暮らしの学校代表の木村尚子さんです。 子供をもつ親であれば誰でも子育ての最終目標は、自分が亡くなった後に我が子が一人でも食べていけるかどうかだと思います。 木村さんには軽度の発達障害がある息子さんがおられますが、 周りに仲間や指導者がいて、自分で食べ物を作り出せるようになれば、安心して先立てるのではないかと、その親心から立ち上げたのが暮らしの学校、農楽です。 木村さんは大阪出身。ご主人の生まれ故郷に20年前にここ豊岡市に来られました。 外大卒の木村さんは、田舎に移っても仕事ができるようにと、フリーランスのコンピュータ技術翻訳を家で続けておられました。 そんなある時、ひたすら黙々と朝から晩までパソコンの前で仕事をする働き方に疑問を感じ、パソコン画面からふと顔をあげた時にそこに広がる自然の存在に目をとめられました。 縁あって自然体験活動やまちづくり活動に参加する中で、有機農業に出会い、共感しあえる仲間も増えてきて絆が広がっていきました。 当初は、息子さんのために立ち上げた農楽でしたが、ひきこもりがちな人達が社会に出て行く第一歩として、様々な若者たちが通ってくるようになりました。 農楽では、天候、環境条件によって思い通りに育たない農作物と格闘したり、失敗OKな雰囲気の中で、若者が共働作業を積み重ねることで、実際の社会に飛び込んでもしぶとく生き抜ける力を時間をかけて育んていきます。 見た目にはほとんどわかりにくい障害や困難をかかえている人はどの時代にもいたはずだが、社会全体に余裕がなくなってしまった今、そういう人達がますます生きにくくなっている、と木村さんは言います。 確かに、競争社会の今は、障害あるなしに関わらずどんな人でも生きにくい時代です。 長い人生の中で途中で息切れして立ち止まる時は誰にでもあります。 そういう中で、誰かからの「大丈夫?」の一言でその疲れた人が、社会から後退することなく、 その場に踏みとどまることができれば、誰にとっても、もう少し余裕が生まれてくるのではないでしょうか。 木村さんは、立ち止まってしまいがちな若者をサポートするのは面倒な面もあるが、サポートする側にとってもコミュニケーションスキルアップになるはずと、地域や職場への呼びかけも始めておられます。 相手に分かってもらう工夫をすることで、見通しのよいコミュニケーションの空間が生まれ、お互いのコミュニケーションが活発になれば、そこに絆が生まれてきます。 絆は、一方通行では生まれません。 こちらから、むこうから、双方からの糸で紡いでいくのが絆です。 障害のある人もそうでない人も、それぞれの活動する境界線をボーダレスにすることで、 誰にとっても生きやすい社会が生まれてくるのかな、と思います。 インタビューをさせていただいている時に1人の青年が、手作りのカスタード入りトーストを作ってもってきてくれました。 なめらかなホイップクリームも添えられてとてもオシャレでとても美味しくいただきました! ごちそう様でした! 手作りの温かいスイーツでほっこりしたインタビューの時間になりました。 おしゃれなスイーツでおもてなしとは、女の私でも気が つくかどうか。勉強になりました。 有難うございました。。
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【絆のカタチ】No. 1 ごあいさつ

長かった冬もようやく遠くの山に去り、ネコヤナギの銀色のうぶ毛にも、谷をわたる風に心無しかきらめいて華やかさを感じます。 もうすぐ咲く桜の花の下を手を繋いで通る園児のその笑顔に柔らかな光が戯れ、はしゃぎ声が聞こえてきそうな季節がすぐそこまでやって来ています。 「遠くは霞み、野にはれんげ、たんぽぽ、空にはひばりがピーチクパーチクとやかましくさえずり、その陽気なこと————–」 私の大好きな落語の一節です。 さて、私どもマジックは昨年十月に、新社屋に引っ越しをいたしました。 ご存知の皆さんにはもう寄っていただいた方もあると思いますが、 まだお知らせが届いていないお客様に遅ればせながらご挨拶申し上げます。 私がオリジナルTシャツ屋を立上げてから早、二十三年も経ちました。 我が人生にとりましても、この決断は大きな節目になると思います。 私の最初の転機は三十歳のときでした。 創業した年です。 その年、勤めていた会社が倒産し、さらに肝炎に掛かってしまい入院を余儀なくすることになり、 親父からは独立なんてとんでもない、勉強も満足にできないおまえに、厳しい世間を相手にやっていける訳がない。 と見放されてしまいました・・・・私も自分自身に対してとても自慢出来る様な能力はないと思っていましたし、むしろ劣等感の方が強かった様に感じていました。 しかし、不思議なことになぜかこの仕事ならイケルという確信がありました。第六感てやつですかね? 今、思えば自分でも無謀だったかも知れないとおもいます。だって独立していきなり入院してしまったのですから・・・・・ まさに人生最悪どん底状況の時期でしたから。 しかし、反対を押し切って船出をしてしまったものですからもう後へは戻れません。 当時すでに幼い子供も二人いました。 それでも妻はこんな私の後押しをしてくれました。 近くの農協のスーパーのレジ打ちのバイトに出てくれました。 私も一人で営業廻りとオリジナルTシャツの製作しながらなんとか喰い繋いでいました。 ほとんど先は見えません。 しかし弱音を吐いても何一つ解決しません。 一生懸命取り組むしかないのです。 そんな中なんとかしなくてはという思いだけはあり、 とりあえず本屋さんに駆け込んで経営書らしきモノを買いあさっておりました。 その中には何十万もするナポレオンヒルの成功哲学とやらも購入しました。 金額は恥ずかしくて言えません。はっきり言って高かったです。 それまで勉強なんて大の苦手でした。 活字を見ていると眠たくなってしまいます。今もでもそうです。 しかしそんなことは言っておられません。考えつく事を片っ端からやってきました。 そんなあるとき「宝地図」に出会いました。 そして「宝地図」作り方セミナーという何ともいかがわしいモノに参加しました。 それはカレンダーの裏の白紙を使い、自分の写真を真ん中に貼り、自分の名前を入れ「泰蔵の宝地図」と書くのです。そしてその中に思いつくまま欲しいものモノの写真を貼ったり文字で書き込みました。 これが意外にも効果を発揮しました。 事実その宝地図に貼ったものが大方手に入りました。 何の根拠も無しに貼ってみたのに今思えば驚きです。 人は言葉よりイメージの方が格段に影響を受けるのだと言うことを実感した事例です。 皆さんもぜひ取り入れてみてはいかがでしょうか? もしご興味が湧きましたら声をかけて下さい。 アドバイスさせていただきます。もちろんただです! 独立してそれから十年経った頃、やっと観音寺の山奥から豊岡の塩津町という所にお店だけですが構えることが出来ました。 それまで看板をあげてもイノシシやタヌキしか見てくれない山奥でしたからとても嬉しかったことは言うに及びません。 それからも少しづつではありますが順調に伸びて来ました。 しかし、それまで建て増しでしのいできた工場も使い勝手が悪く手狭となりどうしたものかと考えておりました。 そんなおり、三年前頃から月に一度の墓掃除をしておりました折、 ちょうど村内の不動産業をされている国谷さんがなぜかその日通りかかられ、 浅倉という処に勧めたい土地があるので一緒に見に行かないか?と誘って頂きました。 それは正に望んでいた物件でした。 しかし、どう考えても手持ちのお金にそんなに余裕はありません。 しばらくは悩みましたが、やがて決心しました。 すべては神の御心のまま、私に与えられた課題だと——–と。 でも私は唯神論者ではありません。 幾ばくかの元手をもとに銀行に掛け合うことにしました。 そしてだめなら即、諦めようと決めて交渉に当たりました。 ところが、それほどいい決算内容ではないにもかかわらずOKという返事をいただきました。 今考えると先祖の意思が導いてくれたように思えてなりません。 不思議なごことです。 今も私にとっては能力以上のことをやっているという思いは変わりません。 私一人の力だけでは到底やっていくことなどできません。 ですから社員、お客様、ご縁あるみんなさんの力を借りながら一致団結して行かねばという思いでいっぱいです。 この大きな節目に当たり何から始めたら良いかと言う事ですが、原点に帰って考えると、 先ずは私を育ててくれた両親に感謝することから始めたい。 それが私の絆づくりの原点だと思いました。 今では頭から反対しておりました親父も心の中では応援してくれているようです。 そんな親父が体の不調を訴えて五年ぐらいになるでしょうか? 現在は病院に入り浸りです。 肺気腫から始まり心臓病、糖尿病と重い病に倒れ再起不能といった状態です。 酸素ボンベを離すことが出来ず、息をすること、起あがる事さえ困難な状態が続いております。 そんな親父の姿を見て改めて強く思いました。 いつか人は必ず死ぬんだ。 そして、その間際に「いい人生だったなぁー」って言って最後を迎えたいという思いを————-。 私の親父は早くに父を亡くしました。 兄弟の多い親父はそれほど恵まれた人生ではなかったように思います。 一部の兄弟との間でもめ事が絶えなかったようです。 他の兄弟は家を放り出して華やかな都会へ出て行ってしまいました。 が、やがてその者たちは仕事に失敗してしまい泣きついてきました。 そんな兄弟の尻拭いをさせられるなんて到底納得出来ない。 そんなことを言ってよく愚痴をこぼしながらも面倒を見てきました。 親父は不満を抱えながらも山林と農業で盛りたててきました。 そういった自負もあり、初めはなかなか私の仕事を受け入れてもらえませんした。 しかし、何年か経った頃、作業場を増築してくれたりと親父なりにいろいろ気を揉んでくれるようになりました。 戦中戦後の激動の時代を生き抜いてきたたくましい親父の姿は今はありません。 世の中が移り変わり必要とされなくなってしまった己に自信を喪失し、打ちひしがれている姿を見るのは本当に忍びないものです。 この世の無情を感じずにはいられません。 人はいつまでたっても誰かから必要とされていると思えることがいかに大事かということを知りました。 だからこそ今、私が出来る事は今まで陰ながら応援してくれた親父に心から感謝する事だと思います。 自分がこの世に存在するのも両親のお陰ですからこの節目の時期に改めて伝えたいです。 「ありがとう親父、おふくろ」—–と。 新たな旅立ち号にもかかわらず重たい内容になってしまいましたが、 最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。 最後に私どもの会社の経営理念をお伝えして皆様との絆が少しでも深まる事を祈念しながら閉じさせていただきたいと思います。
以上
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