kizunakobo

【絆のカタチ】孤独と壁をつきやぶれ!No.27置き薬きくや豊岡下田明浩様

きくや豊岡

 

今回お話しを伺うのは、神鍋万場で置き薬業の仕事をされている下田明浩様。
韓国や中国では四千年以上も愛用されている漢方薬の高麗人参を取り扱っておられます。

笠原会長の主催する月二回のおひねり勉強会の常連メンバーの一人。
絆工房と同様下田様も、2ヶ月に一回お客様にニューズレターを発行されておられるそうです。

■トップセールスマンからの独立

神鍋の万場生まれのUターンの下田様。
置き薬の会社を設立するまではコンピューター会社の営業マン。

転勤族で、東京、名古屋、大阪といった都会で働き、1994年、35歳の時に家を継ぐため生まれ故郷の万場に帰郷。

ー下田さん「でも、田舎ではコンピューターの営業は需要がないですから、田舎で出来る仕事を探しました。」 

たまたま友達の紹介で、 ”一年間営業成績がトップだったら、のれん分けして豊岡で販売してもいい。”という大阪の置き薬の会社に転職。
泉北ニュータウンという難しい営業地域を割り当てられましたが、「負けず嫌いの性分」で1年間、
常にトップの営業成績をキープ。

そして、1年後の平成15年、地元で置き薬、きくや豊岡を開業。

絆工房と置き薬きくや下田様



ー笠原 「トップセールスマンのご主人が田舎に戻って事業すると言われた時はどうでしたか?」ご主人の片腕となって精力的に事業を手伝っておられる奥様にも伺いました。
ー奥様「反対よりも賛成でした。地元の人と深くつきあえるのが魅力でしたから。でも、この仕事は人に仕える仕事ですし、地味な仕事でもあります。とても人格が鍛えられましたね。」

■ 経営には、孤独と壁がつきもの

絆のカタチで話しをうかがう会社や組織を経営される方からよく耳にするのが、
『経営は大変』という言葉。

下田さんも独立して1年目の平成16年に起きた台風23号による水害に見舞われました。

ー下田さん「損害も損害、大損害。倉庫に保管している薬が水没し全部使いモノにならなくなりました。あの時は本当に困りました。」

また、同僚が大勢いる社員という立場から一人で営業から販売までこなす立場は、肉体的なことよりも精神的に大変だそうです。

ー下田さん「モチベーションの維持が課題でしたね。大阪にいた頃は、私の他にも50人近くの営業マンがいましたから共に戦えましたし、例えば”あいつにだけは負けたくない。”といったトップセールスマンとしての意地が明確にありました。けれども、田舎で一人で事業をしていると、”今日は雪も降っているし寒いから早めに帰ろう。”って思う時もあるんですよね。
高いモチベーションを持ちながら仕事をしていく苦労はありますね。情報収集のために沢山のセミナーにも参加しました。かなりお金をつぎ込みましたよ(笑)。ですから笠原会長が近くで無料のおひねり経営勉強会を開いていただいて本当に感謝しております。」 


経営者としての悩みを共有できる仲間達にも出会え、また薬箱を通じて一生涯、家族のような絆を作ることができる仕事にやりがいを感じておられるそうです。

開業5年目にはお客様と行くバスツアーを企画し、23人のお客様と一緒に丹波篠山日帰り旅行をされました。
また、趣味の自転車で色んな場所を走りそのことをニューズレターに掲載すると、以前は話題をこちらからふっていたのが、お客様の方から尋ねてくれるようになったそうです。

 



更に、ガーデニングの得意な奥様は、毎年春に開催される『とよおかオープンガーデン』に参加。
長年愛情を注いだ家の庭を一般公開。
半鐘ズル、姫シャラといった控え目で奥ゆかしさを感じる山野草が中心の小川の流れる下田様の庭。
人気の庭の一つだそうです。

 

絆工房と置き薬きくや下田様
絆工房と置き薬ガーデン



ー奥様「オープンガーデンをやり始めたのも、お客様との垣根をとりたい、家族的なお付き合いをしたい、という想いがあったんです。遠方からも見に来られた人が珍しい山野草を見つけて感動されている姿をみると本当に嬉しいですね。たまに朝カーテンを開けると知らない人が庭におられるというハプニングもありますが(笑)」。 


ニューズレターを通して、またガーデニングを通してコミュニケーションの場を作ってお客様との絆を育んでおられる下田様。控えめで、それでいてその力強さで人を魅了する山野草のようなご夫婦でした。

〒669ー5378 兵庫県豊岡市日高町万場334
きくや豊岡

 

【創業30周年感謝を込めて】No.26(株)絆工房 会長笠原 泰藏

今年(2015年)、絆工房は創業30周年を迎えます。
今月の『絆のカタチ』は満を持して会社創設者笠原泰藏会長が登場。
30周年を迎えた想い、そして、これからの夢を語っていただきます。

 

■起業に必要なものは、反骨精神

 

 

多くの若者が起業するIT時代。
資本金0円からでも会社設立できる時代に、時代の波に飲み込まれることなく、会社を継続していく事は会社を起こすより難しいと言われています。

ー会社を起こそうとしたきっかけは何ですか? 


ー笠原「特別大きな志を持ってというわけではないです。20代に大病をした上に、就職した会社が倒産。それなら自分で会社を起こそうと親父に言うと『一つ、商売はそんな甘いもんじゃない、一つ、お前には無理、一つ、世間をなめとんか。それよりも立派な百姓になれ!』と反対。立派な百姓って何やねんそれって話だよ(笑)。」

それでも、自分の夢を描いた未来地図に[会社を設立する]が入っていたため、借金からの会社設立スタート。



ー笠原 「起業するのに大事なことは、不安よりも怒りや反骨精神が大事。」

これは、LEDでノーベル賞を受賞した中村修二氏もスピーチで
「怒りだ。それが全てのモチベーションを生み出す。」と言っています。

若い頃、画家になりたかった(これも「画家では飯は食えん。」と親が反対)という絵の巧さを仕事に活かして会社設立当初は、自らTシャツの柄をデザイン。
会社が成長した今、絵のDNAをしっかり受け継いでいるお嬢さんも当社専属デザイナーとして活躍。

自身はさらに経営に集中。

 

■ オリジナルTシャツ作りは絆づくり 

 

 

絆工房は、オリジナルTシャツプリント制作会社。

ー笠原「Tシャツはもちろん作るけれども、その先にそれを買ったお客さんがそのTシャツを着てどれほど幸せな気持ちになれたか、お揃いのオリジナルユニフォームを着て晴れの舞台に仲間と絆を深く築いてもらえたか、そこがこの会社の目指す到着点。商品を売って終わりじゃなくて、その先が本番。」 

だから、お客さんが喜んでくれた結果としての報酬は有難いものであり、多くの報酬があることは恥ずべきものではない、と言う持論の持ち主。

ー笠原 「商売の感動、充実感は、お金が手に入った時ではなく、お客さんが喜んでくれた時、人のために自分の仕事が役に立てたと感じられた時である。そして感動は多ければ多いほど幸せな人生であり、だからこそ「仕事は嫌々歯を食いしばるってするのではなく、心から仕事を楽しまないといけない。そしてそんな会社で絆工房はあり続けたい。会社を大きくするのは、副産物に過ぎない。」

 

■ 臨終を習って他事を習う

 

若い頃の会長笠原は自己否定型。

大阪で就職した時も責任のあるような仕事は自分には無理、と仕事から逃げていたそう。
また、人前には出たくないタイプだったそうで、それは今でも変わらず人前でのスピーチは苦手。

しかし、[会社を設立して独立すること]であった第二の人生を歩んで今年で30年。

絆工房



「将来は、何か新しい事に取り組んで第三の人生を歩みたい。」と、未来地図で描いた夢に向けて第3の人生を構想中。
 
ー笠原「僕の人生の大きな目標は、人生最後の臨終の時に「ああ、いい人生だったな」って思える人生を送ること。そう思えるようになるためには、そこに立って今何をすべきか考えてみると、自ずと今すべきことが見えるくるんだよね。だから遊びも、趣味のテニスも、一生懸命やる。それは、仕事においても同じ。失敗は誰でもあるからそれは構わない、ただ、しなければいけないことを適当に流したり、うやむやにしておくのはダメ。」 


人生の限られた時間の中で仕事が占める時間は大きく、同じ時間を過ごすなら仕事を”作業”として捉えるのでなく楽しいものにしようと、またそうあるべきと考えています。多種多様なスタッフが集まって、真に楽しく仕事をするために、『社員のコントロールの放棄』と『徹底した情報開示』を掲げています。

「感動や幸福感、心の豊かさの追求の結果として儲けて会社を成長させていくことが使命なのかな、と思う。」
熱く語る絆伝道師、会長笠原でした! 

  

【ここをコミュニケーションの場にしてほしい】 No.25ログリゾートかんなべオーナー 今村則子様 

ログリゾートかんなべ

ログリゾートかんなべ

 

神鍋高原中部に位置するブランコのある「ログリゾートかんなべ」
ログハウスの周りに咲いた花々がさわやかな秋風に揺れています。

オーナーの今村様と絆工房との出会いは約3年前に遡ります。
元絆スタッフであった藤原さんにひまわりのタペストリーの製作を依頼したのがきっかけ。
その後、豊岡市商工会が主催する経営者対象のおひねり経営勉強会「本当に楽しんで儲けることができる方法がある ワクワク系マーケティングから学ぶ」(講師は笠原支部長)という広告に目が留まり「楽して儲けられるなんて!」と即参加。
結果、「もう〜楽などころか苦しいやん!(笑)」。
とてもお話しが上手なので、ペンションオーナーに至るまでの経緯を伺ったところ、納得の笑顔、納得の会話力の理由が判明しました!

■”大阪で美人の所長がいる店舗”と評判になったトップセールス・ウーマン

絆工房とログリゾートかんなべ

3人姉妹の末っ子でお嬢様としてのんびり育った今村さん。
お姉さん達が経営するブティックを手伝うという道もありましたが、何かもっと違うことがしたいと学校卒業間近の2月に就職活動を開始し、大手製薬会社の採用試験を受験。

見事、一番で合格し、女性の花形職種である受付嬢として働きます。
その後結婚し、主婦として母として忙しい日々を送っていましたが、三十二歳の時に大手保険会社に就職。
そこで持ち前の明るさと巧みな話術で人を惹きつけ、あっという間にトップセールス・ウーマン。

店舗一つを任されるまでになり、「大阪で美人所長がいる店舗」と評判になります。
57歳の時には、営業職から若手の教育指導を担当。
「10年は1つの会社で働いてみること」
「何でもトップになってみようという心意気が大事」
「人の三倍は働くこと(時間ではなく)」
「人がしていること以上のことをしてみること」等、長年トップセールス・ウーマンとして走り続けて培った自信に満ちた言葉の数々は、仕事以外にも通じる格言です。

 ”トップセールスマンには、共通の言動なり習慣がある”と言われることがありますが、弁舌さわやかに話す今村さんもまさに、引きの営業力を知ってる方です。

「保険の話なんてしなくても契約はとれます。」ときっぱり。
それは、売り上げにならなくても顧客のためにさらには顧客の周りにいる人にも何ができるか、何が喜んでくれるかを常に考えて仕事をされたそうです。

前回のヘルメース上田社長さんの「仕事は自分でつくりだすもの、動くもの」に通じるものがあります。

■カナダ産ログハウスに溶け込む日本の絵画 

絆工房とログリゾートかんなべ

12年前に前オーナーから引き継いだ『ログリゾートかんなべ』は、オールカナダ産の木で作られたログハウス。
広々としたリビングで一際目を引くのが横に延びた太い柱。
その見事なカービングの技は、今はもう日本には100人ほどしかいない宮大工さんが作られたそうです。

また、ログハウスの随所に飾ってある絵画は今村さんの自作。
「1つのことに10年は続けてみる」という言葉通り、学生時代から日本画を学び、今も指導を受けている絵画は、趣味を越えたものです。四季折々の花々を和紙に描かれたということで、ログハウス全体がしっとりした落ち着いた雰囲気に包まれています。

絵画の他にも、ゴルフ、書道、ガーデニング、陶芸、ジャズ、全て10年以上続けておられるそうで、それらが今村さんの人生を色鮮やかにかつ活動的にしています。

絆工房とログリゾートかんなべ

■「遊ぶことだけの人生は送りたくない」


保険会社を定年退職した後は、今村さんの家族は悠々自適の生活を送ると思っていたそうですが、それを見事に裏切ってのペンション経営。
住み慣れた大阪から単身神鍋に移住します。
「家族には事後報告!だって遊ぶだけの人生を過ごしたくないわ。」
「40代の時に、”21世紀の私”という夢を書いたんです。その時にホテル経営って書いたの。ホテルではないけれど、ペンション経営しているんだから、何だか不思議よね。経営に、趣味の活動に忙しいけれど楽しいわ。」 

1日5組ほどの少ないお客様との絆を大切にしている『ログリゾートかんなべ』。

「ここをコミュニケーションの場にしてほしい」と言われるように、自然との絆、仲間との絆を大切にしています。
人が多い都会から来られたお客さんにゆったりとした時間をここ神鍋で過ごしてもらいたいと、あえて客数を少なくしています。
ピアノもあり、プロ並みの歌唱力を持つ今村さんのジャズが聴けるかも知れません。
神鍋の自然を背景に、但馬牛のバーベキューを楽しめるウッドデッキもあります。

絆工房とログリゾートかんなべ


『ログリゾートかんなべ』で仲間との会話はもちろん、軽快なテンポで話しをされる美人オーナー今村さんの会話も楽しんでみて下さい。
取材日も、今村さんの話術に吸い込まれるように聞き入ってしまい取材時間が大幅にオーバー。
それでも、「もう終わり?まだ話したいのに。」

ここは、都会の人だけでなく、訪れる人皆さんの心も体も元気にしてくれます。   

 

                 

【縁と絆が幾重にも絡み合って誕生したお店】No.24合同会社ヘルメースかどの駄菓子屋 代表 上田 隆嗣様                     

絆工房と上田社長

絆工房と上田社長

今回登場される方は、絆工房会長の二十年来の旧友、上田隆嗣氏。
上品な淡い紫色に髪を染め、ピンクのYシャツをお洒落に着こなされた、“ダンディ”という言葉がぴったりな紳士。

二人の出会いは、上田氏が、豊岡市商工観光課在職中に豊岡をPRするTシャツを作ることになり、Tシャツ屋さんを探していたところ、当時はマジックという名前であった絆工房を知りTシャツを依頼。

若い頃は画家を目指していたほど絵の才能がある会長自ら描いたデザインTシャツを約一〇〇〇枚作成。
『だから、絆工房が大きくなる基礎を築いたのは、何を隠そうこの僕なんですよ。』とユーモアたっぷりの上田氏。

ビジネスを通しての付き合いから、次第にテニス、スキーとプライベートでも絆は広がっていきました。信州赤倉のスキー旅行では『元はとらないと!』と、帰りのバスが出発するギリギリまで滑走。
出発しようとするバスを停め、走って乗車したという、
『3日間滑りっぱなしの、疲れに行くようなスキー旅行』を敢行。

笠原と二人、懐かしい思い出話に花が咲いた取材です。

■『仕事は自分で作るもの』

お店の看板商品である黒糖ドーナツ棒との出会いは、
高校の同窓会で豊岡出身の幼馴染み吉田高成さんとの再会がきっかけ。 

その彼が経営する㈱フジバンビの商品の一つである黒糖ドーナツ棒を食べてみると、『美味しい。これを城崎でも売ってみよう。』と思いつきました。 

 市役所時代はもとより、定年後務めた老健の事務長時代も “仕事は自分で作るもの”と色々なことに積極的に取り組み、ここでも介護関係の人達と新たな絆が生まれ、そこから会社設立に日夜東奔西走。

そして、去年6月28日、合同会社ヘルメース設立、店舗の改装浩司も友人の工務店の突貫工事によって8月1日、かどの駄菓子屋をオープンさせました。

■最後にモノを言うのは、熱い想いと絆

『しかし仕事は何でもそうだけど、経営っていうのはなかなか大変なもんですな。』
と商売していく苦労もありました。

城崎は、観光の街。そこでのビジネスは、ゴールデン・ウィーク、夏休み、祝日といった観光客の休みの波に否応なく飲みこまれます。その波をいかに乗り切れるか。

上田氏は、城崎オリジナルの商品化、手作りプレゼント商品を次々に開発。

『それでも、困った時は、必ず上田社長の人柄を慕って応援してくださるお客さんが不思議と現れるんですよ。これこそご縁ですね。お客さんの中には高校時代の女性ファンが多いんですよ。上田社長は、人徳と人脈のある人なんです。』と、それまで静かに話しを聞かれていた女性店長笹本さんが上田氏の人柄を語ってくれました。

上田氏の片腕となってエネルギッシュにお店を切り盛りされている店長さん。
時にお店の運営について熱く上田社長と議論されるそうです。

取材当日も、絆工房会長も加わりまさに議論百出。
どちらが取材する人、される人か分からなくなるほど。
上田氏以上に熱い店長、絆工房会長の白熱談義に上田氏、最後に小さな声で一言、『あ〜しんど。』

 
上田氏も、店長も、会長も、皆がお店に熱い視線を注いでいます。
上田氏と店長笹本さんとの絆。
上田氏の人徳によって応援してくれる上田氏の同級生でもあるフジバンビの吉田社長との絆。
そして、同じ経営者で旧友である絆工房会長との絆。

縁と絆が幾重にも絡み合って誕生したのが、かどの駄菓子屋。
温厚でダンディな社長とハリのある明るい声で迎えて下さる店長さんのいるお店に一度ふらりと訪れてみて下さい。

観光地のお店でありながら、ほっとできる雰囲気のかどの駄菓子屋で、また一つ素敵な絆ストーリーが生まれるかも知れません。

 

 

【あなたはよそ者、若者、馬鹿者になれるか】No.23トヨオカ・カバン・アルチザン・アベニュー 林健太氏

去る4月19日、豊岡カバンストリートに豊岡鞄のショップと鞄職人育成スクールでもある
「トヨオカ・カバン・アルチザン・アベニュー」がオープンしたのをご存知でしょうか?

海外や京都のような街が碁盤の目の通りを縦横交差させストリート×アベニューと示すように、
カバンストリート内に垂直方面の「通り(アベニュー)」がアルチザン・アベニュー。

アルチザンとは“職人”という意味のフランス語。
アルチザン・アベニューとはまさに技を極めた鞄職人が通る道。

今回、このプロジェクトマネージャーである林健太さんに絆ストーリーを伺いました。

いつの世もイノベーションは「よそ者、若者、馬鹿者」から

林さんは、大阪生まれ。
建築設計を大学で学んだ後、大阪の街づくりや設計照明のコンサルタント会社に就職。
そこで数々の町の再生事業に従事。

同じ時期、豊岡では、全国一の鞄生産シェアを誇りつつも、近年海外生産に押され気味になっているのを改めて世界的な鞄産業へとブランド再生化しようという計画が持ち上がります。
そこで若干30歳の若さ、しかも、他府県の林さんに白羽の矢が当たります。

抜擢の理由は関係者曰く、
「よそ者、若者、馬鹿者だから。彼に賭けてみよう。」

林さんは、会社を辞めて豊岡に移住。

—笠原「永住されるのですか?」
ー林さん「分かりません、色々な展開が今後も必要になってくると思いますので。ただずっと関わっていきたいと思っています。」 

—笠原「会社を辞めてまでこのプロジェクトに携わろうとした動機は?」
ー林さん「物にあふれた都会と違って、豊岡と言えば鞄でしょ?それです。例えば、マグロと言えば大間、大間と言えばマグロ。同じ様に、いい鞄といえば豊岡、豊岡といえばいい鞄。僕は、豊岡鞄のブランドをそのように思ってもらえるようにお手伝いをしたいです。」


豊岡で作られているからこその豊岡鞄。林さんは、豊岡鞄を単なるファッションブランドとしてではなく、地域ブランドとして位置づけて戦略を展開しています。

■地域ブランド その強いネットワークと高い技術力

トヨオカ・カバン・アルチザン・アベニュー 林健太

 

豊岡の鞄メーカー、職人さん達と一緒に仕事をしていく過程で、彼らの横の繋がりの強さと細部までこだわりぬく高い職人技術に驚かされた林さん。
地場産業の強みである地域の分業体制のすごさを目の当たりにしたそうです。

−林さん「普通、ライバル会社と何か一つのモノをつくり上げるのにこんなに熱くなるなんてありませんよ。豊岡鞄のすごいところはそこです。それに、職人のおじちゃんなんて、こちらが提案してないのに「ここは破れないように生地を貼っておいたよ。座席シートは汚れているから鞄が汚れたらあかん。だから外側に収納ベルトつけておいたよ。ワインも収納できるポケットもいるな。あ、ワインと言ったらフランスパンも入れるポケットも付けとかないとな!」と、長年蓄積している高い技術を一つの鞄にとことん注ぎ込んでいく腕はさすがです。」

高い技術力があるからこそ、豊岡鞄は一つ一つの鞄にメーカー名と永久保証書を付けることができます。
豊岡鞄、最大の特徴です。

—笠原「そんな世代の上の方達との仕事はどうですか?プレッシャーは感じますか?」
ー林さん「感じないようにしてます。(笑)意見の衝突、もちろんあります。でもそれを恐れてはいません。全てがエキサイティングです!」

 

■「技術の流出? いいじゃないですか!」

トヨオカ・カバン・アルチザン・アベニューのもう一つの顔に一年で鞄のプロを育成するスクールがあります。
現在6人の次世代鞄職人の若者が現役職人からみっちりと指導を受けています。

—笠原「生徒さんは、豊岡出身の方がやはり多いですか?就職はやはりここ豊岡になりますか?」
−林さん「豊岡鞄の技術は世界レベルです。それを豊岡だけに留めておく必要はあるんですか?ないですね。どんどん外にその技術を発信していって欲しいです。そして、スクール卒業生が、いつか海外で活躍して「私の作ったこの鞄、実は豊岡鞄の技術のなせるものです。」と言わしめたら最高じゃないですか! 優れた技術を一ヶ所に留めておく必要なんて全くありません。」

高い技術を持っているのに、身近になり過ぎてそれに気づかず、外から見て再発見することがあります。
よそ者や若者にそれを気付かされる、
本当のバカ者は内なる者かも知れません。

■自転車鞄をもって但馬の風になる

トヨオカ・カバン・アルチザン・アベニュー 林健太

 

トヨオカ・カバン・アルチザン・アベニューの今年第一弾のテーマは、エコシティー豊岡にふさわしい「自転車の旅」。

照明を得意とする林さんとイタリアン人デザイナー共同のスタイリッシュな店内には、自転車のハンドルの形をしたクールな持ち手の鞄、サドルの形をしたファスナーの取っ手、ペットが顔を出すバック、もちろんワインやフランスパンが入るピクニックバックもあります。

これから訪れる方は、是非宝探しのようにワクワクしながら探してみて下さい。
レディースバックも充実。深みのあるツヤ感と柔らかい本革のバックはどれも十代の小娘にはまだ早い!といわんばかりに静かに佇んでいます。

トヨオカ・カバン・アルチザン・アベニュー 

最後に、林さんに豊岡との絆を伺うと、
「面白いところ!」

どの質問にも予めこちらの質問を透視されていたかのように答えられる林さん。

メガネの奥からキラリと光る眼で、時にはこちらの予想を覆すような考え方をされる姿は、バカ者どころか智勇兼備の若者だったという、但馬にまた新しい風が一つ舞い込んできた、そんな印象を受けた取材でした。

【絆のカタチ】No.21暮らしの学校(農楽の〜ら)代表 木村 尚子様

兵庫県豊岡市出石町鳥居に広がるのどかな自然の中に農楽(の〜ら)があります。


今回お話しをうかがったのは、障害として理解されにくい軽度発達障害や対人関係の不調などの理由で
社会に参加することができない若者たちが、再び社会に復帰する前にちょっと一呼吸おいて体力、気力を充電することができる、そんな家と社会の中間的な居場所というべき「農楽(の〜ら)」。
そこの学校代表の木村尚子さんです。

 

■ 子育ての最終ゴール

 

子供をもつ親であれば誰でも子育ての最終目標は、
自分が亡くなった後に我が子が一人でも食べていけるように自立させること。

木村さんには軽度の発達障害がある息子さんがおられます。
周りに仲間や指導者がいて、自分で食べ物を作り出せるようになれば、安心して先立てるのではないかと、その親心から立ち上げたのが暮らしの学校、農楽です。

木村さんは大阪出身。
ご主人の生まれ故郷に20年前にここ豊岡市に来られました。
外大卒の木村さんは、田舎に移っても仕事ができるようにと、フリーランスのコンピュータ技術翻訳を家で続けておられました。

そんなある時、ひたすら黙々と朝から晩までパソコンの前で仕事をする働き方に疑問を感じ、
パソコン画面からふと顔をあげた時にそこに広がる自然の存在に目をとめられました。

縁あって自然体験活動やまちづくり活動に参加する中で、有機農業に出会い、共感しあえる仲間も増えてきて絆が広がっていきました。
当初は、息子さんのために立ち上げた農楽でしたが、ひきこもりがちな人達が社会に出て行く第一歩として、様々な若者たちが通ってくるようになりました。
農楽では、天候、環境条件によって思い通りに育たない農作物と格闘したり、失敗OKな雰囲気の中で、若者が共働作業を積み重ねることで、実際の社会に飛び込んでもしぶとく生き抜ける力を時間をかけて育んていきます。

■競争社会にしぶとく生きぬく力となるもの

 

ー木村さん『見た目にはほとんどわかりにくい障害や困難をかかえている人はどの時代にもいたはずだが、社会全体に余裕がなくなってしまった今、そういう人達がますます生きにくくなっています。』と木村さんは言います。

確かに、競争社会の今は、障害あるなしに関わらずどんな人でも生きにくい時代。
長い人生の中で途中で息切れして立ち止まる時は誰にでもあります。
そういう中で、誰かからの「大丈夫?」の一言でその疲れた人が、社会から後退することなく、その場に踏みとどまることができれば、誰にとっても、もう少し余裕が生まれてくる社会になるのではないでしょうか。

ー木村さん「立ち止まってしまいがちな若者をサポートするのは面倒な面もあるが、サポートする側にとってもコミュニケーションスキルアップになるはずです」

木村さんは、地域や職場への呼びかけも始めておられます。
相手に分かってもらう工夫をすることで、見通しのよいコミュニケーションの空間が生まれ、お互いのコミュニケーションが活発になれば、そこに絆が生まれてきます。

絆は、一方通行では生まれません。
こちらから、むこうから、双方からの糸で紡いでいくのが絆。

障害のある人もそうでない人も、それぞれの活動する境界線をボーダレスにすることで、誰にとっても生きやすい社会が生まれてきます。

インタビューをさせていただいている時に1人の青年が、
手作りのカスタード入りトーストを作ってもってきてくれました。
なめらかなホイップクリームも添えられてとてもオシャレでとても美味しくいただきました。
ごちそう様でした! 手作りの温かいスイーツでほっこりしたインタビューの時間になりました。

男性からのおしゃれなスイーツでおもてなし。女の私でも気がつくかどうか。勉強になりました。
有難うございました。

 

【絆のカタチ】No. 19 麦畑自然農場 上垣敏明様

絆工房取材絆のカタチ自然農場上垣農園

絆工房取材絆のカタチ自然農場上垣農園

 

  年の梅雨はカラ梅雨、だと思いきや突然のゲリラ豪雨になりそうで、ちょっと不安な今日このごろですが、いかがお過ごしでしょうか? 今回は大屋の山奥の「麦畑自然農場」の上垣敏明さんを訪問して来ました。 私の知り合いからご紹介いただきました。 上垣敏明さん現在66歳、白髪のダンディなオヤジと言った風貌の上垣さんが田んぼで出迎えてくれました。 田んぼの向こうをよく見ると若者の姿が何人か目に入りました。 彼らは?と訊くと、「わたしのとこの生徒」、農業学校(予定)の寄宿生だという。 全国からホンモノの農業を目指している上垣さんの話を聞きつけ来ているという。 報酬は無し、一年間ぐらいで卒業していく。 彼らの夢は「日本の農業を変えたい」「日本の食を変えたい」その思いに燃えて入ってきている。 こんな辺鄙な山奥の地に! 上垣さんの飾り気の無い素朴な人柄と情熱にも惹きつけられているのだろう。 そこにも上垣さんと生徒の「絆」の存在を感じる。 そんなカッコイイ上垣さんも40歳の時に肝炎で入院したことがきっかけで食の安全を追求することになったという。 現在の食をよく見ると利益優先の結果、見掛けの安全で作られている。 有機無農薬と言えどもその肥料、飼料に於いて無害なもので作られていることは少ないという。   絆工房取材絆のカタチ自然農場上垣農園   絆工房取材絆のカタチ自然農場上垣農園 現在、ハチミツ、米、野菜果物、にわとりの卵、といろいろ生産しているが、どれ一つとっても妥協を許さず取り組んでいる。 にわとりの飼料も米子地方の遺伝子組み換えのない大豆を使った豆腐屋さんから入れたおからと乳酸菌等を 混ぜ発行させたものを与え、飼い方もケージ飼いではなく平飼でそれもストレスがなるべく無い様に薄飼いで育てる。・・・ 大学の先生のセミナーにも参加し、またそこで聞いたことが本当かどうかを自らが検証し、更に工夫を重ねて今までやってきたという。 一事が万事、安心安全に徹底した信念の元に作られていることに驚いた。 ところが巷ではどうだろう、安全を優先する→健康のために消毒する。 それが行き過ぎて薬漬けに近い状態らしい。正義の名のもとに悪がはびこってしまっている。 いわゆる「健康のためなら死んでもいい」(笑) 冗談みたいなことが現実化している。 今の世の中、便利と横着の境目がなくなってきているのかも! 特に上垣さんは儲ける農業を偽りの農業と嫌い、俺はホンモノを目指し、作り、流通させ、お客との信頼関係を大事に一生をかけて取り組んでいきたいと。 そこに上垣さんとお客さんとの絆のカタチを見て取りました。 農業は儲けるモノではない。 命を繋ぐモノ、家族が健康で生きていくためのモノ、これから先の人類を救うモノだと言ってはばからない。 ホンモノの農業の道はまだまだ険しいものがあると思いますが、命ある限り、お元気で信念を貫き通していただきたいと思いました。   絆工房取材絆のカタチ自然農場上垣農園    

 

【絆のカタチ】No. 20 拡運建設株式会社 岸野光生様

拡運建設 岸野光生

拡運建設 岸野光生

 

はや、師走になってしまいました。

前回号から半年ぶりのお便りです。
早いですね〜!
時って本当に不思議なもんですね。
貯めることも叶わないし(笑)

今回は神鍋で建設会社を営んでおられる岸野光生さん、49歳の油の乗り切った経営者です。
きっかけは知人に紹介されて出会いました。
そこは岸野さんが建てられた展示ハウス兼別荘で、神鍋の別荘の森にあります。
ちょっと軽井沢の雰囲気の漂う閑静な地域です。そこで、岸野さんは『暮らしの学校』を開校しています。

元々彼は、24歳の頃、大手の前田建設の社員として100億円級の建造物を担当し、全国の巨大な建物に関わり
毎日がその仕事にどっぷりでした。
そんな時、正面衝突という大事故に遭遇してしまいました。
酔っぱらいの暴走車が突っ込んできて避けきれず巻き込まれてしまいました。

正直もうダメかと思ったそうです。
幸運にその後回復し仕事に戻ったのですが、毎週通勤の阪神高速の渋滞の中、
パンとコーヒーの朝食を食べながらフッと、なにか違うな!という思いがわきあがり退社を考えました。

この超大手企業に就職でき、将来を約束された人生を捨てるのか?と周囲からは止める声がかけられが
決心は固く振り切って辞めてしまいました。
そして、小さな木造住宅を得意とする建設会社を経験した後、
今の拡運建設の娘さんと結婚し後を継いで約20年経ち現在に至るということです。

 

ではなぜそんな美味しい職場を捨てて片田舎の小さな建設会社で
「暮らしの学校」なのか!
そこには人生を変えるストーリーがありました。

拡運建設 暮らしの学校

それは大学生の時、友人とオーストラリアにでかけた人生初めての海外旅行でした。

大した語学力もなく、安易な計画で到着した海外のシドニーのちでいきなり泊まるところを
探すはめになってしまいました。
夜更けの港町を何時間も荷物を引きずりながら歩いたそうです。

一ヶ月半の計画を変更したので、新たな行き先を模索し、
やむなくホームステイに決めたが、偶然にホースライディングを経験することになりました。

そこは世界中から馬に乗りに集まる有名なところでした。
最初はズブの素人が乗ると内股が擦れてズル向け、しかし、地獄の何日かが過ぎると天国の日々がやってきました。

オーストラリアの雄大な大自然の草原をカンガルーの群れと一緒に馬にまたがり疾走することが出来るまでになりました。
初めての心細い海外でサバイバルしながら過ごしたファームでの日々で今後の人生観に目覚めるためのスイッチが入ってしまった様です。

大企業をスピンアウトし心の赴くままに何が大切かを追い求め現在に至ったのだと思います。
豊かな暮らしのある生活を作った家で体現してほしい。

拡運建設 暮らしの学校

その一念が「暮らしの学校」を作り、トマトソースを作り、家の暮らし方、使い方を教えてくれる。
但馬ならではの豊かな暮らしとは!をテーマに掲げる岸野さんの今後の取り組みが楽しみです。
私はホンモノの幸せの暮らしのある家づくりは絆づくりだと感じました。
私はその価値観こそが我々がこれから先の未来に求めなくてはならないものだと直感しました。

 

拡運建設 暮らしの学校

これからも応援させていただきたいと思います。

 

笠原泰藏