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【2世代で新たな商いに挑戦するスポーツウェア店 】No. 34 『マルマツスポーツ』橋本 安雄様

 
絆工房とマルマツスポーツ

 

■ 表現し、発信し続けることの大切さ 

 
JR江原駅のすぐ前にあるスポーツウェア販売店『マルマツスポーツ』。
その店主である橋本さん。27歳でお父様から店を引き継いだのが40年前。
その時に会社のシャッターの絵や内装を手掛けたのが絆工房会長笠原。
それ以来の付き合いである橋本さんと、さらに今回は、そのお父様の片腕となって一緒にお店を切り盛りされている
娘さん和加子さんを交えて「これからの商い」について対談しました。

 

 

 

絆工房とマルマツスポーツ

 

ー和加子さん:「そうですね、人脈作りですね。実は、父の知り合いでもあり、フェイスブックつながりでもある北井さんが企画された日高町内のオープンガーデンの企画に参加する予定なのですが、オープンガーデンのお宅をノルディック・ウォークで歩くコラボ企画の話があがっているんです。
今の時代は健康志向で、例えば、ノルディックウォーキング用のポールも1回は売れる。でもそれは、1回で終わるんですよね。それを1回で終わらせないで、そこからリピーターにつなげていくことが大切だと思うんです。
スキーやゴルフの時代の好景気時代は去っても基本となっている健康志向はかわらない。しかも、今は健康ブーム。
そこでどんどん地域の人達との絆を広げてコラボしていけたらいいなと思っています。」



笠原:「いいねー!!和加子さんには是非頑張っていただきたいね。応援したい。モノだけ売る時代はもう終わったからね。
やはりモノ+人=心の豊かさを実現する為の商品。人にからめて考えないとモノは売れない時代だと思う。」
 

■ 看板は変わらず、形態は変化していくビジネス

 

ー橋本さん:「先日、江原の電車待ちらしき親子がお店に入って来られたんですね。話かけると、驚いた顔ばかりして通じないんです。すると「台湾、台湾」と言われて、そこでやっと台湾からの観光客だとわかりました。時代は変わりましたね。スキー観光客から外国人観光客にかわってきたのかもしれません。そして、豊岡のベッドタウンの日高でモノを売っていくには、これからは、県外や外国から但馬に来てもらえるような戦略が必要ですね。
ー笠原 「但馬地域を巻き込むことが大切だね。そういう意味で、和加子さんのコラボ企画というのはとてもいいと思う。また、お店の前に、外国語で「We’ve got ○○!」って書くとかね。」
絆工房とマルマツスポーツ
ー橋本さん:「地域の良さは一度外に出てみたら分かる、出たことがない人は気づかない。但馬人特有のねばりのある人材は沢山いると思うから、その人たちを巻き込んで但馬地域を盛り上げるような商売が肝要。田舎であっても、プライドがあるお店でありたい。存在感のあるお店。スポーツ商品を売っているお店はやはりスポーティーで清潔感のあるお店でないとだめ。」
ー笠原:「リスクを取って是非挑戦して下さいね! 最後にお父様から娘さんへのメッセージはありますか?
ー橋本さん:「時代の波とともに歩んできたわけで、これからも目の前のことをきちんとやってもらいたい。二世代でクロスオーバーできる部分を共有していきたいですね。(娘は)積極性があるからどんどん地域の人とつながりをもって商売をしていってもらいたいね。」
絆工房とマルマツスポーツ
親子で共有しあうところは共有しあいながら、新しい絆のカタチへ脱皮しようとするマルマツスポーツです。

以上

【絆のカタチ】No. 未来の自分を作るものに関心を持って投資するおいしいお豆腐 『蘇武の里』様

未来の自分を作るものに関心を持って投資する

 

      おいしいお豆腐 『蘇武の里』川田 恵美子様


 

蘇武岳から長い歳月を経て浄化された蘇武の縄文水という天然水を使ったお豆腐屋さん、蘇武の里。
親が決める人生のレールに猛反発し但馬を飛び出したオーナーがなぜ再び但馬に戻りこの地でお店をオープンしたのか?
その理由と半生を伺います。

■ 「自分の人生は自分で決めて 切り開く!」

養父市八鹿の高柳で鞄屋さんを生業とした両親のもとで高校まで過ごした川田さん。結婚する年頃になると「生野より向こうには出さない。」、「舅、姑のいる家に嫁がせる。」など川田さんにとっては理不尽な条件を突きつけてくる父親に猛反発。

 

「ここにいると自分の人生が歩めない。女性も経済力がなければ、どんな男性でも我慢して黙ってついていくだけの人生になる。」と、勘当同然に但馬を飛び出します。

「親に勘当された?いえいえ私の方が親を勘当したんですよ。」と朗らかに笑う川田さん。そして友達を頼って神戸に出ます。

「私は、結婚には縁がないと思っていましたから、家庭の事情で親と住めない、また親がいない子供達の世話をする児童施設で働こうと思っていましたが叶わず、結果的には神戸市職員(保育士)として働きました。」

25歳で但馬屋食品の伊丹本社で働いていた同郷のご主人四郎さんと結婚。

「お父様の反対はなかったのですか?」の問いに「私には双子の兄がいて、主人はしょっちゅう家に遊びにきていた幼馴染でしたからそれは反対はなかったです。」

結婚を機にご主人は会社を辞め、西宮甲子園近くの商店街でオリジナルのお豆腐屋として独立。

 

「商店街は皆で子育てするという感じの雰囲気で、私も育児ノイローゼにかかることもなく本当に楽しく娘達を育てることができました。

その後、引越した伊丹中野西では手作りフードショプの店「にんじん」を開業。

「いつかスイーツ、パン、サンドウィッチのお店を開きたいなと思っていたんです。商店街のお豆腐屋をたたんでから再び但馬屋食品に勤めた主人には反対されましたから私1人でお店の設計等を大工さんとかけあったりしましたよ。ストレスで胃が痛くなる時もありました。周りからは「そんな住宅街の中にあるお店なんて売れるわけない。」とも言われたんですが、2人の娘がお店のチラシを作って近所に配ったり協力してくれました。お客さんの「お惣菜も作ってほしい。」というリクエストに応えていくうちにお客さんも増えてきました。一緒に働く仲間や近所のみなさんにも恵まれ13年間楽しく働きました。もちろん苦労もありました。一番は、阪神淡路大震災で家が半壊、店もメチャメチャになり、その補修に時間も大金もかかり本当に大変でした。でもお客さんに支えられなんとか再開が出来た時は嬉しかったですね。お客さんに「待ってたよ!」と言われた時は苦労も吹っ飛びました。」

 

■ 「食の絆を次世代に伝えていく」

 

−都会でのご商売が順調だったにもかかわらず何故但馬に戻ってこられたのですか?

 

「昔からいつか田舎で、主人の手作り豆腐と私の料理とコラボできる店を起業したいという想いがあったんです。そして、ある日ラジオから聞こえた、「人間が新しい環境に馴染めるリミット年齢が55歳」という言葉に後押しされ、とにかく美味しい豆腐に欠かせない美味しい水のある田舎の土地を探し回りました。岡山や園部、いろんな地方の田舎を探し回りましたよ。その中で業者に紹介してもらった神鍋のロケーションに惹かれて、ここに決めよう!と思いました。偶然、蘇武トンネル開通を機に蘇武の縄文水が湧き出した幸運にも恵まれました。」

そして、見事ラジオの言葉通り55歳で日高町に移住。

56歳の2006年に『蘇武の里』をオープン。

「一生働きたいという私に対して、主人は定年を過ぎて働きたくないと言っていたんですが、都会での不規則な生活で体調を崩して歩くのも息切れしていた主人が早期退職してこちらに来てから健康になりました。ご近所やお客さんにも恵まれ、ここ以外にはなかった、本当にここで良かったと思っています。大満足です。

オープンして今年で10年。

「豆腐には旅をさせるな」、という言葉があるとおり豆腐は作りたてが一番美味しいんです。うちのこだわりは、その日作った豆腐しか売りません。うまみを逃してしまう加熱殺菌をしていない昔ながらの「生の」豆腐です。もちろん原料の大豆は、国産大豆100%。」


–日本は大豆消費量世界一なのに国産大豆生産量が少ない現状の中での大豆価格の高騰、消費税増率といった中で、それでも美味しいお豆腐にこだわる理由は?

「これからの若い世代の人や子供達に本当に安全で美味しいものを食べて欲しいからです。出来るだけ食べ物は生産者の顔が見えるものがベストだと思います。私は今日食べるものは明日の自分を作るだけでなく、未来の自分を作るもので最も重視し投資すべきものと思っています。」

 

一生働くことを胸に都会でも田舎でもリスクを恐れない川田さんの生き方に、始めはリスクを背負う店舗開業に二の足を踏んでいたご主人も賛同、さらには娘さんご夫婦もお豆腐カフェ(豆Cafe)を開業するなど、4人5脚で次世代に本当に美味しいものを伝えようとされています。スリムな体型から想像できない行動力と想いを実現するパワーのある川田さんですが、その物腰はお豆腐のようにふんわり。

「お金には恵まれなかったけど家族、周囲の人には恵まれました(笑)。そして今色んな経験が生きています。人生の中で無駄なことはないんですよ。」

人生のヒントとなる言葉をたくさんいただいて、あっという間に取材終了の時間となりました。

 

蘇武の里

〒669-5376 兵庫県豊岡市日高町万劫190−1

tex/fax 0796-45-2692


【絆のカタチ】を読まれたお客様の声

(株)絆工房

笠原 会長 さま

 貴地も、何かと春の兆しが満ちていることでしょう。

 さて、「絆のカタチ」33号 ありがとうございました。

 コメント差し上げます。

 

◎全体に、感銘深く拝見できました。

○今回も写真がニクイですね。→会長のお孫さんの表情とぬいぐるみ?

 「蘇武の里」?の風景も絵になってますね。

○「川田恵美子様」のインタビュー記事にはウルウルきてしまいました。

  ご苦労の末、健康を損ねて貴地に来て健康を取り戻したなど・・・

  だから「ふ・る・さ・と」なんだなぁ!

○ハシモトさんのクッションづくり物語を読んで、表紙のお孫さんが抱いてる

 ものがそうなのかなぁ?と思ったりして。

▲唯一大疑問は、会長さんの「巻頭言」の処理

  なにこれ?勘亭流の太文字使って、まともに読めないようにしているんやね。

  「文字を潰しているから(隙間なくベタにしたから)、勘を働かせて読め」というわけね。

   私には、どうかと思わざるを得ないなぁ  「ワクワク」でなく「カリカリ」が相応しいよ。

皆さんに宜しく・・・。

絆工房御中
笠原様
昨日に引き続きメールさせていただきます。
今回もまたお仲間?と言わせていただけるのかわかりませんが、
おひねりでご一緒の川田さん。
あの20年前の震災を経験されてたんですね。
さらっと読むには壮絶すぎるくらいの歩みだったことかと。
でも、だからこそあのパワーがおありなんでしょうね。
本当に見習うことばかり。
実践してこられた上にさらなる挑戦、そう考えると本当のお手本になる人って
身近にいらっしゃるんですね、実は。
今回もこのようなお話を送っていただきありがとうございました。
次回おひねりは必ず顔を出します。
これからもいろいろ教えてやってください。
また「まちゼミ」もよろしくお願いします。
ありがとうございました。
☆☆☆(有)河西ふとん店☆☆☆

他の取材も見る

ニューズレター 絆のカタチ

2016/03/18

【人生で無駄なことはないんですよ】No.33美味しい豆腐のお店『蘇武の里』川田恵美子様

蘇武岳から長い歳月を経て浄化された蘇武の縄文水という天然水を使ったお豆腐屋さん、『蘇武の里』。
親が決める人生のレールに猛反発し但馬を飛び出したオーナーが、なぜ再び但馬に戻りこの地でお店をオープンしたのか?
その理由と半生を伺います。

■ 自分の人生は自分で切り開いていく!

養父市八鹿の高柳で鞄屋さんを生業とした両親のもとで高校まで過ごした川田さん。
結婚する年頃になると
「生野より向こうには出さない。」、
「舅、姑のいる家に嫁がせる。」など川田さんにとっては理不尽な条件を突きつけてくる父親に猛反発。
「ここにいると自分の人生が歩めない。女性も経済力がなければ、どんな男性でも我慢して黙ってついていくだけの人生になる。」と、
勘当同然に但馬を飛び出します。
「親に勘当された?いえいえ私の方が親を勘当したんですよ。」と朗らかに笑う川田さん。
そして友達を頼って神戸に出ます。
「私は、結婚には縁がないと思っていましたから、家庭の事情で親と住めない、また親がいない子供達の世話をする児童施設で
働こうと思っていましたが叶わず、結果的には神戸市職員(保育士)として働きました。」
 25歳で但馬屋食品の伊丹本社で働いていた同郷のご主人四郎さんと結婚。
ー笠原 「お父様の反対はなかったのですか?」 ー川田さん「私には双子の兄がいて、主人はしょっちゅう家に遊びにきていた幼馴染でしたからそれは反対はなかったです。」   結婚を機にご主人は会社を辞め、西宮甲子園近くの商店街でオリジナルのお豆腐屋として独立。
ー川田さん「商店街は皆で子育てするという感じの雰囲気で、私も育児ノイローゼにかかることもなく
本当に楽しく娘達を育てることができました。その後、引越した伊丹中野西では手作りフードショプの店「にんじん」を開業。
ー川田さん「いつかスイーツ、パン、サンドウィッチのお店を開きたいなと思っていたんです。
商店街のお豆腐屋をたたんでから再び但馬屋食品に勤めた主人には反対されましたから
私1人でお店の設計等を大工さんとかけあったりしましたよ。 ストレスで胃が痛くなる時もありました。周りからは「そんな住宅街の中にあるお店なんて売れるわけない。」とも言われたんですが、2人の娘がお店のチラシを作って近所に配ったり協力してくれました。 お客さんの「お惣菜も作ってほしい。」というリクエストに応えていくうちにお客さんも増えてきました。
一緒に働く仲間や近所のみなさんにも恵まれ13年間楽しく働きました。
もちろん苦労もありました。
一番は、阪神淡路大震災で家が半壊、店もメチャメチャになり、その補修に時間も大金もかかり本当に大変でした。
でもお客さんに支えられなんとか再開が出来た時は嬉しかったですね
。お客さんに「待ってたよ!」と言われた時は苦労も吹っ飛びました。」

■食の絆を次世代に伝えたい

絆工房と蘇武の里
−笠原 「都会でのご商売が順調だったにもかかわらず何故但馬に戻ってこられたのですか? 」
ー川田さん「昔からいつか田舎で、主人の手作り豆腐と私の料理とコラボできる店を起業したいという想いがあったんです。
そして、ある日ラジオから聞こえた、「人間が新しい環境に馴染めるリミット年齢が55歳」という言葉に後押しされ、
とにかく美味しい豆腐に欠かせない美味しい水のある田舎の土地を探し回りました。
岡山や園部、いろんな地方の田舎を探し回りましたよ。その中で業者に紹介してもらった神鍋のロケーションに惹かれて、ここに決めよう!と思いました。偶然、蘇武トンネル開通を機に蘇武の縄文水が湧き出した幸運にも恵まれました。」
絆工房と蘇武の里

 

そして、見事ラジオの言葉通り55歳で日高町に移住。
56歳の2006年に『蘇武の里』をオープン。
ー川田さん「一生働きたいという私に対して、主人は定年を過ぎて働きたくないと言っていたんですが、
都会での不規則な生活で体調を崩して歩くのも息切れしていた主人が早期退職してこちらに来てから健康になりました。
ご近所やお客さんにも恵まれ、ここ以外にはなかった、本当にここで良かったと思っています。大満足です。 オープンして今年で10年。「豆腐には旅をさせるな」、という言葉があるとおり豆腐は作りたてが一番美味しいんです。
うちのこだわりは、その日作った豆腐しか売りません。
うまみを逃してしまう加熱殺菌をしていない昔ながらの「生の」豆腐です。
もちろん原料の大豆は、国産大豆100%。」
絆工房と蘇武の里
蘇武の里ミニ厚揚げ
–笠原 「日本は大豆消費量世界一なのに国産大豆生産量が少ない現状の中での大豆価格の高騰、
消費税増率といった中で、それでも美味しいお豆腐にこだわる理由はなんですか?」
ー川田さん「これからの若い世代の人や子供達に本当に安全で美味しいものを食べて欲しいからです。
出来るだけ食べ物は生産者の顔が見えるものがベストだと思います。
私は今日食べるものは明日の自分を作るだけでなく、未来の自分を作るものを最も重視し投資すべきものと思っています。」

一生働くことを胸に都会でも田舎でもリスクを恐れない川田さんの生き方に、始めはリスクを背負う店舗開業に二の足を踏んでいたご主人も賛同、さらには娘さんご夫婦もお豆腐カフェ(豆Cafe)を開業するなど、4人5脚で次世代に本当に美味しいものを伝えようとされています。 スリムな体型から想像できない行動力と想いを実現するパワーのある川田さんですが、その物腰はお豆腐のようにふんわり。 「お金には恵まれなかったけど家族、周囲の人には恵まれました(笑)。そして今色んな経験が生きています。 「人生の中で無駄なことはないんですよ。」
人生のヒントとなる言葉をたくさんいただいて、あっという間に取材終了の時間となりました。 
『蘇武の里』 〒669-5376 兵庫県豊岡市日高町万劫190−1 tex/fax 0796-45-2692
絆工房と蘇武の里
絆工房と蘇武の里
冬になると雪に埋もれるお店

【人ー企業ー地域を結ぶのはやはり人との縁】No. 32 画流有限会社 代表取締役清 水寛様

 

画流清水

縁が縁を呼び、いつしか人の縁で成長してきたという画流有限会社。
ウェブデザイン事業、ITコンサル事業はもちろんのこと、但馬の特選素材を産地直送する但馬地域に特化したネットショップ “あるまま”や但馬情報発信事業の運営を手がける清水さんの会社は、言わば、但馬版Yahooサイト。

「財産は人の縁」と言う他称イベントプロデューサー清水さんに話しを伺います。

■『人の縁だけで会社が成長してきました』

絆工房と画流清水さん

15年前に画流有限会社を設立。


ー笠原 「会社を設立したきっかけは何ですか?」

ー清水さん「人との絆、言いかえるなら人の縁だけでこの会社は成長してきました。仕事も従業員の採用も全て縁。
うちは100%縁故採用です(笑)。
会社を設立する前は公務員でした。もちろん充実した公務員時代でしたし、そこで世間というのを知ることも出来ました。ただ、行政という枠から外での経験やネットワークをもっと広げたいと思い会社を立ち上げました。
この会社で15年間で得たものが、そのまま公務員として15年を過ごして果たして得られたか、と考えた時に、やはり得がたいものがありますね。」


そして、2年前から商工会と連携した「まちゼミ」、「日高バル&スイーツ」、「てtoてtoマーケット」等のイベント企画にも参画。
但馬空港フェスティバルや地域振興事業等など数多くのイベントに携わり、公務員時代から培った企画力、立案力、運営力で、少人数スタッフでスピーディにイベントを運営。

 

■イベント成功のカギは“人”

絆工房と画流清水さん

ー笠原 「ずばり、イベントを成功させる秘訣とは?」 

ー清水 「記録に残るものをイベントに残し、次のイベントに生かそうとする姿勢です。次のイベントが円滑に運営していくためにはどうすればいいのか、それを常に繰り返し考えていくことです。

“今回のイベントではトラブルが起こらなかったから今後も何も起こらないだろう”と備えを怠るのはダメ
後手に回らない為に入念に準備をし、運営のマニュアル化を徹底すること。ただ、イベントの裏方で大事なのは意見をいい合える仲間。
そう考えるとやはり人に尽きますね。
スタッフ自身が楽しんでいるかどうか、それがイベントを成功させるカギにもなります。楽しくなければそこには学びもないですからね。
社員にも攻めの姿勢で自分達が仕事を楽しむよう常に言っています。
ゼロベースで考えて携わった人と、引き継いだ人とは明らかに経験の幅が違いますから、やるんだったら1から徹底的にやることです。」

 

■地に足をつけたローカル化を

画流

社名のルーツである『我流』。

常識に囚われず何事もチャレンジすることで、発想の幅が広がっていくという清水さん。

ー清水さん「積極的に異業種と交わって幅広い情報をキャッチすることです。情報には、本物と偽物とがありますから、正しい情報を見極めることも大事です。じゃあ、情報って何か?やはりそれも人。地域の情報というのは、結局、誰が、どこで、どんなことをしているのか?といういうことになります。」

ー笠原 「これから会社が目指す方向性とは?」

ー清水さん「最近は、ローカルVSグローバルと二極化現象が起こっていますが、完全に地に足をつけて活動できるのがローカルの強み。但馬で事業する意味は、そこにあります。それを極めたい。そして、但馬にあるこの会社を通じて様々な人や物が集まり、それぞれが目的地へ広がっていくような会社にしたいですね。ハブ空港のようなね。」


ローカルあってのグローバル。

人ー企業ー地域を結ぶのはやはり人との縁、絆を再確認した取材となりました。

 

以上

地に足をつけたローカル企業を目指すイベントプロデューサー

地に足をつけたローカル企業を目指すイベントプロデューサー

画流有限会社 代表取締役

清 水 寛 様


 

縁が縁を呼び、いつしか人の縁で成長してきたという画流有限会社。

ウェブデザイン事業、ITコンサル事業はもちろんのこと、

但馬の特選素材を産地直送する但馬地域に特化したネットショップ  “あるまま”や 但馬情報発信事業の運営を手がける清水さんの会社は、言わば、但馬版Yahooサイト。

「財産は人の縁」と言う他称イベントプロデューサー清水さんに話しを伺います。

 

15年前に画流有限会社を設立。

ー会社を設立したきっかけは何ですか?

 

「人との絆、言いかえるなら人の縁だけでこの会社は成長してきました。仕事も従業員の採用も全て縁。うちは100%縁故採用です(笑)。会社を設立する前は公務員でした。もちろん充実した公務員時代でしたし、そこで世間というのを知ることも出来ました。ただ、行政という枠から外での経験やネットワークをもっと広げたいと思い会社を立ち上げました。この会社で15年間で得たものが、そのまま公務員として15年を過ごして果たして得られたか、と考えた時に、やはり得がたいものがありますね。」

 

そして、2年前から商工会と連携した「まちゼミ」、「日高バル&スイーツ」、

「てtoてtoマーケット」等のイベント企画にも参画。

但馬空港フェスティバルや地域振興事業等など数多くのイベントに携わり、

公務員時代から培った企画力、立案力、運営力で、少人数スタッフでスピーディにイベントを運営。

 


 

■ イベント成功のカギは“人” 

ーずばり、イベントを成功させる秘訣とは?

「記録に残るものをイベントに残し、次のイベントに生かそうとする姿勢です。次のイベントが円滑に運営していくためにはどうすればいいのか、それを常に繰り返し考えていくことです。“今回のイベントではトラブルが起こらなかったから今後も何も起こらないだろう”と備えを怠るのはダメです。後手に回らない為に入念に準備をし、運営のマニュアル化を徹底すること。

ただ、イベントの裏方で大事なのは意見をいい合える仲間。そう考えるとやはり人に尽きますね。スタッフ自身が楽しんでいるかどうか、それがイベントを成功させるカギにもなります。楽しくなければそこには学びもないですからね。社員にも攻めの姿勢で自分達が仕事を楽しむよう常に言っています。ゼロベースで考えて携わった人と、引き継いだ人とは明らかに経験の幅が違いますから、やるんだったら1から徹底的にやることです。」

 


 

■ 地に足をつけたローカル化

社名のルーツである『我流』。常識に囚われず何事もチャレンジすることで

発想の幅が広がっていくという清水さん。

 

「積極的に異業種と交わって幅広い情報をキャッチすることです。情報には、本物と偽物とがありますから、正しい情報を見極めることも大事です。じゃあ、情報って何か?やはりそれも人。地域の情報というのは、結局、誰が、どこで、どんなことをしているのか?ということになります。」

 

ーこれから会社が目指す方向性とは?

 

「最近は、ローカルVSグローバルと二極化現象が起こっていますが、完全に地に足をつけて活動できるのがローカルの強み。但馬で事業する意味は、そこにあります。それを極めたい。そして、但馬にあるこの会社を通じて様々な人や物が集まり、それぞれが目的地へ広がっていくような会社にしたいですね。ハブ空港のようなね。」

 

ローカルあってのグローバル。

人ー企業ー地域を結ぶのはやはり人との縁、絆を再確認した取材となりました。


今回のニューズレターを読んでいただいた方からの声が届きました♩

ご紹介します。

絆工房御中

笠原様

 今回も楽しく読ませていただきました。

ちょっと驚きました。

意外や意外、清水くん初めてでしたっけ?

 この年末に、オオトリで登場ですね。

 もうすっかりおなじみですよね、彼のことは。

これからもいろいろ彼に教わりながら進んでいこうと思います。

そして「あるまま」でもこれまで以上にお世話になろうと。

 しかし、IT関連の仕事を生業としてる彼は仕事とは真逆で、とっても人間くさいですよね。

本当に繋がりというものを大事にされてる彼だと思います。

 あと、彼に教わった中でいちばんの言葉は「やるかやらないか、だよ」

という言葉です。

 今年も残すところあとわずかですが、お体には気を付けてお過ごしください。

今回も勉強になりました。ありがとうございました。

 ☆☆☆(有)河西ふとん店☆☆☆

〒669-5305

兵庫県豊岡市日高町祢布998

tel0796-42-5228/fax0796-42-5102

kawanishi998@hera.eonet.ne.jp

代表取締役 河西 栄治


 

【関連記事】

過去の絆のカタチインタビューはこちら

 

【お金よりも“有難う“を集めたい】No.31朝日新聞サービスアンカーASA日高西村英治所長 

大学卒業後大阪で就職。父親の病気をきっかけで31才で帰郷。
『戻ってきたばかりの頃は、携帯に入っている地元の友達の登録件数はたった3人だった』と笑う西村所長が、故郷で働くことを通して、どう地域との絆を築いていったのかを伺いました。

■ 新聞を届けるだけの存在からの脱却

絆工房と朝日新聞サービスアンカーASA日高西村 英治

ー西村さん「新聞販売店の主な収益は、配達、折り込みチラシ作業、集金の3本柱で成り立っています。父の後を引き継いた頃は、新聞業務だけをするつもりでした。しかし、仕事をするうちに、また、笠原さんの主催するおひねり勉強会に参加するうちに、もしかして、新聞販売店って新聞業務だけでなく他にもやれる事があるんじゃないか?と思うようになりました。」

34才で正式に所長に就任。

ー西村さん「所長に就任した時は、仕事を“お金もうけ”の手段としてしか捉えていませんでした。もちろんそれも大事な事ですが、何でもできるということに気づいてからは、新聞配達業務以外の事業も手掛けてみようと思ったんです。仕事を“お金もうけ”から“地元の人に喜んでもらうきっかけづくり”という視点に変わった瞬間でした。」

—笠原 「具体的にはどういったことをされたのですか?」

ー西村さん「暮らしに役立つクーポンチラシの“あさまるクーポン”や日高広報誌『HIDAKA EMOTION』の発行、そして、“まごころサポート”等です。まごころサポートでは、“床下に狸がいる”、“旅行中、配達の時に猫に餌をやってもらえないか?”といったリクエストがあります。
毎日のちょっとした困ったこと、こんなサービスがあったらいいな、をお手伝いさせていただいております。」

地元に小さなハッピーを!

絆工房と朝日新聞サービスアンカーASA日高西村 英治

新聞販売店のイメージ戦略にも取り組んだ西村所長。

一般的に磨りガラスの向うの薄暗い作業場で黙々と折り込み作業を男性がしているといったイメージが強い新聞販売店。しかし、江原新聞販売店は、明るい日差しが差し込む窓際にずらりと並ぶスタンドライトがトレードマークのお店。人が集まるような販売店にしたかったという言葉通り、店内は、一見すると喫茶店のようなレイアウト。
実際、「お茶飲める?」と喫茶店と間違って入ってこられた人もいたそうです。

「気軽にお茶を飲んでもらうような憩いの場所にすることこそ僕の目指すところです。」

西村さんを含む男性スタッフ2人の他に2年前から女性スタッフも採用。
スタッフTシャツ制作のためにお打ち合わせにも以前来社して下さった女性スタッフのお二人。

オリジナルユニフォーム作成商談

ー西村さん「そりゃあ、むさ苦しいおじさんより若い女性に集金してくれる方がいいでしょ!新聞のイメージを良くするのも悪くするのも、新聞社というよりも私達新聞販売店です。
新聞販売店のCSR(企業の社会的責任)を意識しないといけません。新聞を届けるだけの存在から脱却することが必要です。
まごころサポートをしていると、利益とは別に“有難う。助かったわ。これ持って帰りんせ~”と畑でとれた手作りの野菜などの差し入れをよくいただきますが、地元の人達からの喜びの声を聞くと、新聞業務以外のこともやってきて良かったのかなと思っています。
お金よりもこの“有難う”をもっと集めようと思っています。今後も、こういった“小さなハッピー”を提供するコミュニティービジネスを重視していきたいですね。
これからは『仕組みと仕掛けづくり』といった事業化が大切になってきます。売り上げはこういった現場の仕掛けづくりの上で生まれた付加価値の中から生まれてくるのではないでしょうか。」

 

■ IT vs 新聞は本当か?

絆工房と朝日新聞サービスアンカーASA日高西村 英治

地元の人の絆を大切にして仕事への付加価値を追求し続けていこうする西村所長。

—笠原 「最近は、生まれながらにITに親しんでいるデジタル・ネイティブ世代が増えてきていますが、この世代の活字離れは本当に起こっているんですか?また西村さんにとって新聞とは何ですか?」

ー西村さん 「新聞はもはや40才以上のシニア層の嗜好品です。活字離れというよりは、紙離れは確かに起こっています。ただ、決して若い人が新聞に興味がなくなったというとそうではありません。
先日、地元の小学校に朝日小学生新聞を無償で提供したところ“新聞ってこんなに面白いんだ!”って言った子供達がいるんです。新聞は事件を追うものではなくなってきています。電子ペーパーやスマートニュースの誕生で新聞はインターネットに駆逐されるのではないかと言われているんですが、私は新聞の未来は明るいと思っていますので地域を知り尽くした新聞販売店が地域に根ざすコミュニティーボックスになれたらと思っています。」

【絆のカタチ】 新聞販売店のイメージ脱却を図る若き所長

【絆のカタチ】 新聞販売店のイメージ脱却を図る若き所長

    朝日新聞サービスアンカーASA江原 まるにし 西村 英治 様

 


 

大学卒業後大阪で就職。父親の病気をきっかけで31才で帰郷。

『戻ってきたばかりの頃は、携帯に入っている地元の友達の登録件数はたった3人だった』

と笑う西村所長が故郷で働くことを通して、どう地域との絆を築いていったのかを伺いました。

 

 

■ 新聞を届けるだけの存在からの脱却

 

「新聞販売店の主な仕事は、配達、折り込みチラシ作業、集金の3本柱で成り立っています。

父の後を引き継いた頃は、新聞業務だけをするつもりでした。しかし、仕事をするうちに、

また、笠原さんの主催するおひねり勉強会に参加するうちに、もしかして、新聞販売店って新聞業務だけで

なく他にもやれる事があるんじゃないか?と思うようになりました。」

 

34才で正式に所長に就任。

「所長に就任した時は、仕事を“お金もうけ”の手段としてしか捉えていませんでした。

もちろんそれも大事な事ですが、何でもできるということに気づいてからは、

新聞業務以外の事業も手掛けてみようと思ったんです。

仕事を“お金もうけ”から“地元の人に喜んでもらうきっかけづくり”という視点に変わった

瞬間でした。」

—具体的にはどういったことをされたのですか?

 

「日高産こしひかり米の宅配販売や北海道の特産品の販売、暮らしに役立つクーポンチラシの

“あさまるクーポン”や日高町の暮らしを伝える広報誌『Hidaka Emotion』の発行、

そして、“まごころサポート”等です。

まごころサポートでは、“床下に狸がいるので何とかして”、“旅行中、配達の時に猫に餌をやって

もらえないか?”といったリクエストがあります。

毎日のちょっとした困ったこと、こんなサービスがあったらいいな、を

お手伝いさせていただいております。」

 


 

■ 日高町に小さなハッピーを!

 

新聞販売店のイメージ戦略にも取り組んだ西村所長。

一般的に磨りガラスの向うの薄暗い作業場で黙々と折り込み作業を男性がしているといったイメージが強い新聞販売店。
しかし、ASA江原まるにしは、明るい日差しが差し込む窓際にずらりと並ぶアンティークランプがトレードマークのお店。

人が集まるような販売店にしたかったという言葉通り、店内は、一見すると喫茶店のようなレイアウト。
実際、「お茶飲める?」と喫茶店と間違って入ってこられた人もいたそうです。

「気軽にお茶を飲んでもらうような憩いの場所にすることこそ僕の目指すところです。」

 

西村さんを含む男性スタッフ2人の他に2年前から女性スタッフも採用。

「そりゃあ、むさ苦しいおじさんより若い女性が接客してくれる方がいいでしょ!

新聞のイメージを良くするのも悪くするのも、新聞社というよりも私達新聞販売店です。

新聞販売店のCSR(企業の社会的責任)を意識しないといけません。新聞を届けるだけの存在から脱却することが必要です。まごころサポートをしていると、ご利用料金とは別に“有難う。

助かったわ。これ持って帰りんせ”と畑でとれた手作りの野菜などの差し入れをよくいただきま

すが、地元の人達からの喜びの声を聞くと、新聞業務以外のこともやってきて良かったのかなと

思っています。

お金よりもこの“有難う”をもっと集めようと思っています。今後も、こういった

“小さなハッピー”を提供するコミュニティービジネスを重視していきたいですね。

 

これからは既存事業の枠を超えた『仕組みと仕掛けづくり』といった事業化が大切になってきます。

売り上げはこういった現場の仕掛けづくりの上で生まれた付加価値の中から生まれてくるのでは

ないでしょうか。」

 

■ IT VS 新聞は本当か?

 

地元の人の絆を大切にして仕事への付加価値を追求し続けていこうする西村所長。

—最近は、生まれながらにITに親しんでいるデジタル・ネイティブ世代が増えてきていますが、

この世代の活字離れは本当に起こっているんですか?また西村さんにとって新聞とは何ですか?

 

「新聞はもはや40才以上のミドル、

シニア層の嗜好品です。活字離れという

よりは、紙離れは確かに起こっていま

す。ただ、決して若い人が新聞に興味

がなくなったというとそうではありま

せん。先日、地元の小学校に朝日小学生

新聞を教材として無償で提供したところ

“新聞ってこんなに面白いんだ!”って

言った子供達が沢山いるんです。

 

新聞は事件を追うものではなくなってきています。電子ペーパーやスマートニュースの誕生で

新聞はインターネットに駆逐されるのではないかと言われているんですが、私は新聞の未来は

まだまだ明るいと思っています。配達網、集金網、営業網というネットワークを持ち、地域を

知り尽くした新聞販売店が地域に根ざすコミュニティーボックスを築く拠点になれたらと思って

います。」

 


ニューズレターを読んでいただいておられる方からコメントが届きましたので

ご紹介させていただきます♪

いつもご丁寧に有難うございます。

もう風邪は治られましたでしょうか? どうぞご自愛下さい。

絆工房御中
笠原様

今回も楽しく読ませていただきました。
いろいろ活動されてるんですね。
大学との連携プロジェクトもすごいですね。
さすがの一言です。

少しでも近づけたら、などと、、、とんでもない(^_^;)すみません!!!

今回の絆のカタチですが、
よく知ってる顔ですから。。。

同じ「えいじ」でも大いに違う彼。
まちゼミから商工会からいろいろと活動を同じくさせていただいていますが、
本当に刺激になる彼です。

これからも彼には要注目ですね。

今回もいい勉強をさせていただきました。
ありがとうございました。

※昨日のおひねりはすみませんでした。。。さすがに風邪には勝てませんでした<(_ _)>

☆☆☆(有)河西ふとん店☆☆☆
〒669-5305
兵庫県豊岡市日高町祢布998
tel0796-42-5228/fax0796-42-5102
kawanishi998@hera.eonet.ne.jp
代表取締役 河西 栄治


 

【関連記事】

過去の絆のカタチインタビュー
ニューズレター 絆のカタチ

 

 

2015/10/15

【絆のカタチ】No30 三尾商店の漁師さん前田保様

No30 三尾商店の漁師さん前田 保様

故郷を捨てた男が今、故郷の再生のために立ち上がる

日本海の荒々しい白波が打ち寄せる断崖に囲まれた小集落、兵庫県新温泉町三尾地区。

平家落人伝説の地の1つとしてもあげられる農山漁村で脱サラして漁師として生きる

前田保様に故郷に寄せる心の絆を伺いました。

 

生き馬の目を抜く東京に15才で上京

絆工房と三尾商店 前田保様

下荒洞門や世界最大級の洞門、釣鐘洞門をはじめ日本海の荒波によって侵食されて出きた

数多くの洞窟、洞門、奇岩がパノラマビューで楽しめる但馬御火浦(たじまみほのうら)。

そこにある小さな集落、三尾地区。

景色の素晴らしさ、新鮮な魚介類といった海から恩恵を受ける一方で、冬場の大波や爆弾低気圧の被害を受けてきた地域でもあります。

そんな自然と常に対峙している故郷で育った前田さん。
外の世界を見たいという思いで中学卒業と同時に上京。

時代は大都市への人口流入がピークの高度成長期時代。
東京オリンピックが開催された年のことでした。

「生き馬の目を抜く東京なんて人の住むところじゃない。それでも行こうとするならお前は死んだものと思う。」

小学1年で父を亡くし、いわば父親代わりで育ててくれた祖父の言葉を背に東京池袋の自動車関連の町工場に就職。

そこは夜になると三味線の音色が聞こえ、ネオンきらめく歓楽街。
見るもの全てが故郷三尾とは全く違う生活環境。
ふるさとの親や家族と離れた東京での生活は、思いの外15才の少年には辛いものでした。

そして、上京したその年のお盆に帰省。
その時に、それまで一度も参加したことなかった村の盆踊りにはじめて参加。
そこで感じたことは、「ああ、ふるさとって何ていいもんなんだ。」

東京に戻る日に感じた郷愁感は、今もしっかりと心に留めておられます。

しかし、“これからは自動車の時代。絶対潰れない。”と中学の先生が進めてくれた会社が不良品を多数出し、入社してわずか1年足らずで倒産。
その後は、高校に通いながら住み込みの新聞配達、和歌山あった製鉄会社で働き、昭和44年に帰郷。
翌年から電電公社(現NTT)で32年間のサラリーマン生活がスタートします。


山陰海岸ジオパーク認定ー“過疎化を食い止める突破口に”


サラリーマンとして再び故郷三尾地区で生活をスタートさせた前田さんでしたが、時代と共に三尾も人口流出が否応なく進んでいきます。

限界集落とは言わないまでも、社会的共同生活の維持が大変になってくるのを目の当たりにします。

「三尾の人はとにかく働き者。女の人も腰が曲がってしまうほどよう働きますよ。そうやって皆が必死に生きてきました。過疎化、高齢化の進む故郷で、自分には何ができるか?そう考えた時に、三尾でこれからも生きていくには海の潮水を体に浴びて生きてきた父と祖父と同じ漁師になろう。」

そして、32年間のサラリーマン生活に終止符を打ち54才で漁師に転向。

若い時、故郷を捨てた前田さんが、地域の活性化を推進する但馬御火浦村おこしグループにも参加。

平成22年山陰海岸ジオパークが世界ジオパークネットワーク(GGN)への加盟が認定されたのを機に、積極的に三尾という町の自立と活性化に携わりはじめます。


「三尾には海がある」

絆工房と三尾商店 前田保様

かっては100軒いた三尾地区も現在は 60軒足らず。
また、近年の漁獲量減少と漁師の高齢化、後継者不足も深刻化。

どうしたら何もない三尾に若者を呼び寄せることができるのか?

 

昔、今の若者と同じように故郷を去った前田さんに相談にくる人に対して言うことはいつも


「三尾は何もないところじゃない。三尾には海があるじゃないか。」

例えば、わかめ。澄んだ海水と荒波の中で育った三尾の天然わかめは歯ごたえ抜群。
歯ごたえがある分、酢の物といった脇役に甘んじることなく、しゃぶしゃぶ、水炊きといった主役のおかずにもなれる三尾の天然わかめ。
そして、近年は珍しくなったその天然わかめを瞬間冷凍することで一年中風味があるわかめを販売することに成功。

前田さん自ら店長も務める村で唯一の生活雑貨店「三尾商店」でも売られています。


SNSで情報発信

更に多くの人に三尾の魚を知ってもらおうとFACEBOOKを活用。          
ほぼ毎日、採れたて鮮魚の写真を投稿。

「釣った魚はすぐに組合を通して競りにかけてしまうのですが、それでも沢山の人に三尾の魚を知ってもらいたいと写真を撮って投稿しています。」  

また、美しい三尾の海を堪能しながら磯釣りが楽しめる渡し船(前田渡船)も運航。

二度とふるさとには帰らないと心に決めて都会に出た少年時代。

しかし、外に出て初めて三尾の良さに気づき戻ってきました。
そして、若い頃には見えなかった故郷との絆を形に、それを伝えるツールを活用して情報発信。

マクドもゲームセンターもない地域でもその魅力を発見し形にし、そして伝えていくことで、

あたらしい三尾の未来を創ろうと日々忙しい前田さんです。

                               


【この記事を読まれたお客様からの声】

(株)絆工房 笠原 泰蔵 さん

残暑お見舞い申し上げます。ウッチーで~す。
そちらも酷暑でしょう。今日・明日から夏季休暇に入られることでしょう。

さて、「絆のカタチ」30号をお届け頂きありがとうございました。
ますます垢抜けてきて、記事の立体感がたかまりましたね。

なかでも三尾の前田さんインタビューが注目でしたね。
ただ、記事全体のフォントがあまりに小さいので、読みきれませんが・・・。

また秋に向かって頑張ってください。
当方もへこたれていませんよ!  

<笠原です>

お世話になります。
お返事ありがとうございます。
フォントが小さくてすみませんでした。
感想をいただけると励みになります。

内池先生もお身体ご自愛して頂きお元気でお過ごしください。
先生は元気でしたね!
小さな親切、大きなお世話でしたね(*^_^*)

————————————————————————————–

絆工房御中
笠原様

いつも絆通信ありがとうございます。
今回の前田さんはfbでその様子を少し見させていただいておりましたが、
やはり奥が深いですよね。そのお元気な、さらには活発な行動には本当に頭が下がる思いです。
僕も24年ほど前、もう帰っては来ないだろうと思いながら福岡へ行った記憶があります。
でもこうやって帰ってきて生きてる、生かされてる、ということはやはり故郷のありがたみかな、と。
福岡に居たらもう沈没?埋没?していたのかも知れませんから。。。(笑)
これからもっともっとここの良さを発見してさらに発展させられたら、、、と僕なりに思います。

またひとつ勉強になりました。ありがとうございました。

(有)河西ふとん店 代表取締役 河西 栄治様より

<笠原です>

お世話になります。
お便り有難う。

いろいろ河西くんにもストーリーがあるんですね。
それが糧になるといいですね!


 

【お祭り娘 x I LOVE スタバマグ x 小山理論】No. 29道の駅『神鍋高原』様

「錦織圭選手と同じユニクロPOLOにしたら売り上げがあがった♪」という真っ赤なスタッフTシャツを着て現れた3名の道の駅「神鍋高原」スタッフ。

 

ー笠原 「皆さんの人生で起こった絆お聞かせ下さい。」
 
まずは、イベントや広報担当の川辺麻紀さん。

 

絆工房と道の駅「神鍋高原」


終始笑顔で、いるだけで周りの人を明るくさせるタイプの女性。
前職の介護の仕事や、観光客を含めて年間多くの人が訪れる道の駅のような接客業では川辺さんのような笑顔は欠かせません。

ー川辺さん「離れて住んでいる弟が帰省する時とか、友達とのつきあいで絆を感じますね。仕事は大変ですが、お祭りやイベントを企画するのは楽しいです!」

イベントでMCも務めるお祭り娘。
最近おりたたみ自転車ダホンを購入。
「歩くことが大好き。」という川辺さんは近いうちにダホンに乗って神鍋高原をサイクリングするのを楽しみにしているそうです。

 

絆工房と道の駅「神鍋高原」

 次に2年近く道の駅に隣接するゆとろぎ温泉で働き、現在は道の駅、飲食部門で店長を務める小西健太さん。

ー小西さん「仕事の幅が広がって充実してますが、、、僕は、家族とか友達との絆っていうのはあんまり、、、、。僕は、1人が好きなんです、、、。」

「何かあるだろう!」と他の2人に突っ込まれても、動じることなく、「あんまり。ないですね、、、、。」
ある意味インタビューしがいのある小西さん。

 

しびれをきらして「じゃあ僕いきます!」と上田直義駅長。

 

絆工房と道の駅「神鍋高原」


香住奥佐津生まれ、小学4年の時に神戸須磨区に引っ越し。
その1年後に阪神淡路大震災に遭遇。
地震直後に家から外に飛び出して目に飛び込んできた光景を見て、「戦争が起こった。」

幸いにも、神戸でも山側に家があったので家族や知人、同級生で亡くなった人はいませんでした。

 

■ 震災を経験して見えてきた、見えない人の絆

 

−上田さん「神戸で暮らした2年間は、常に僕の人生の心の中心にあります。被災後すぐに自衛隊やボランティアの人からの物資の支援や、”がんばろうKOBE”のスローガンで住民自らも立ち上がりました。
復興していく中で、色んな場面で見えない人の絆を痛感しました。あの震災を体験したからこそ、今生きている有り難さを感じます。」 

 上田さんの前職は建築会社。
−上田さん「造形が好きなので建築の仕事は楽しかったですよ。細かな規定が多い行政建築を担当してからは、更に責任とやりがいを感じましたが、途中からお酒大好きな上司のお目付役も会社から任されたんですよね。最後は、その上司と共同生活も頼まれてしまって、こちらが先にダウンして辞めました(笑)。」

 旅行が好きで、求職中も色んな場所の道の駅を訪れていたという上田さん。
ちょうど「神鍋高原」道の駅の募集を知り応募したのが7年前。 

「地元の人達と一緒になって新しい文化を取り入れていこう!」 と、お酒大好き上司がいない職場で駅長として忙しい毎日。

 

■ 負けない法則を確立できれば、勝ちはコントロールできる!小西理論

 

絆工房と道の駅「神鍋高原」

ー笠原 「皆さんのこれからの夢を聞かせて下さい。」

ー川辺さん「ダホンに乗っておでかけ!」

ー上田さん「バックパッカーで世界旅行! 僕はスターバックスのマグカップを集めるのが趣味なんですが、日本だけでなく世界のスタバの限定マグカップを揃えてみたいですね!」

さて、プライベートが見えてこない孤独を愛する小西さんはというと?


実は、話しをしていくうちに1人でも出来るパチンコ(スロット)が好き、ということが判明。
トータルで損をしていないそうです。

ー上田さん「パチンコは奥が深いんですよ。要は、確率の問題。その確率というのは、実はコントロールできるんですよね、、。」


「できるんか??!!」皆が驚きの表情を浮かべていると、
ー上田さん「パチンコは、話せば長い奥の深いものなんです、、。やっていると、パターンが見えてくるんですよね、、。」


「見えるんか??!!」皆に矢継ぎ早に質問されるても冷静に確率論を展開する小西さん。

完全確率を理解しているかどうか。
確率ゲームであるパチンコもその確率や統計に沿ってやっていれば勝てる、と。
日常生活でも確率論は溢れています。
降水確率、当選確率、合格率。それと本質的には同じだそう。

「ということは、その小西理論の本質を仕事に転用させたら、レストランの人気メニューが見えてくるはず!」と半ば強引に結論づける他のスタッフ。


「そうでしょうか、、、、。」と乾いた笑いをする小西さんに、上田さんが、
スタッフはどんどんやってみたことのないことにチャレンジしたらいいと思う。体験しないと見えてこないものや分からないことがある。例えば、色んな場所に行って、伝統工芸、建築物から昔の人の鋭い感性を学んでいくこと。大事だと思う。それを仕事にエンターテイメントさせていこう!

個性豊かな道の駅「神鍋高原」の若手スタッフ。


今年28日に開催されるキャベツ祭りでは、ダホンに乗って忙しく動き回る川辺さん、ライブ感を大切にする上田さんの姿、そして小西理論に基づいたメニューが登場する(?)かも知れません。

 

以上

【絆のカタチ】No28アメリカ西海岸の匂いのするカスタムカー制作会社ナイスドリーム 今井様 

絆工房とナイスドリーム

絆工房とナイスドリーム

アメリカ西海岸の匂いのするカスタムカー制作会社

株式会社 ナイスドリーム 今井 慶様


今回の気になる会社の絆のカタチを聞く取材先は、

但東町にある株式会社ナイスドリーム。

 

会社の敷地には、キャデラック等の外車が所狭しと並んでいます。

もちろん日本車もあります。何だかアメリカの雰囲気がする会社。

「アメリカという国が大好きなんです。それもアメリカ西海岸。

アメリカの車も好きで、小さい時はプラモデルをよく作ってましたが、

目立つ車が好きで、それがアメ車だったんです。」

列車か自動車で分かれるも、男の子なら誰もが通るプラモデル作り。

今井さんは自動車派。

最初のお給料で買ったのも300万円もするアメリカGMの屋台骨であるシボレー、

カプリスワゴン。

低燃費、小回りの利く軽自動車が人気の現代で、それに真っ向から対峙する大排気量、

ローライダーの大型ボディー。

 

■この会社を立ち上げた理由を教えて下さい。

 

絆工房とナイスドリーム

 

「小さい頃から”早く独立したい”、 ”色んな世界を見てみたい”という思いが強かったので

これまで色んな仕事に就きました。

23才の時には、大阪枚方市でショットバーのお店を開業しました。

大阪外大が近くにあったので、多くの留学生がお店に通ってくれました。」

そして、4年後の27才の時に、但東町でナイスドリームの前身である

インスピレーションを設立。

たった一人でアメリカまで車の買いつけにも行かれました。

「でも、いくらショットバーで留学生と英語でコミュニケーションしていた

経験があったとはいえ、やはり無謀でした(笑)。」

 

終始、静かに話しをする今井さんの行動力(大胆さ?)に驚きです。

 

■ ナイスドリームってどんな会社ですか?

 

お客様の個性を追求できる会社、一人一人の個性を車で表現できます。

出回っている汎用品は使いたくありません。手間暇かけて一から創り上げたいです。」

 

苦労もありました。内装の貼り替えや、ヘッドライト、テールライトのデザインまでもカスタマイズ。

「以前は、何から何までお客様に合わそうとしていましたが、

次第に何かちょっと違うな、と思うようになりました。

こうした方がよりお客様の個性が出せる車が出来るという場合もありますからね。

それに気付いてからは、自分の世界観をもっと出していこうと思いました。」

 

■ 自分の世界観で勝負を賭ける若きメカニック・ビルダー

 

絆工房とナイスドリーム

ー具体的に何かされていることがあれば教えて下さい。

「”自分のしつらえで勝負して、ナイスドリームの世界観をもっと広めたい”という

思いが強くなって、現在会社のHPを含むプロモーションビデオを作っているところです!」

今井さんのエネルギーの核は、なんといってもアメリカ西海岸の匂いがする雰囲気の中で

オリジナルカスタムカーを作る会社であること。

普通の車屋さんとは一線を画します。

そして、そのモデルロールとなっている会社が、

同じく西海岸のカリフォルニアにあるWest Coast Customs (ウェストコーストカスタムズ)。

最初は、自宅のガレージからスタートし、今や世界的に有名になったカスタムカー制作会社です。

「彼らは、自分達のことをビルダーと呼んでいます。その点も共感できるところです。」

確かに、手間暇かけて一から創り上げて車をカスタマイズしていこうとする

今井さんにとっては、ビルダーの方がしっくりくる呼び名です。

 

 

最後に、事務所に流れている音楽は、2Pacというヒップホップ。
「2Pac (トゥパック)が大好きなんです。」

世界中のあらゆる人種から絶大な支持を受けているラッパーで、

1991年デビューし、わずかその5年後、25才で銃弾で亡くなった伝説的ラッパー。

多くの名言も残し、今なおファンが増え続けています。

彼の残した数多くの名言の一つ「生きているうちは、決して夢見ることを止めるな。

誰もお前の夢を奪い去ることはできない。」

日本の但東町の静かな山あいの里にあるナイスドリームは、

アメリカンドリームに向かって歩んでいこうとする要注目会社です。

絆工房とナイスドリーム

 

〒668-0351
兵庫県豊岡市但東町畑山971
TEL 0796-20- 4049
FAX 0796-20-3148株式会社
ナイスドリーム

 

 

 

 

ニューズレター発送後、早速FAXとメールでうれしい便りが届きましたので

ご紹介します。

 

絆工房御中
笠原様

いつもいろいろお世話になっております。
ありがとうございます。

今号の絆のカタチ、今井君。

そういえばずいぶんと会ってないです。
というより僕が「おひねり」に行けてないだけですね・・・。

彼を知りたかった僕には本当にタイムリーでした。
いつも遠いのにおひねりに来られる彼をすごいと思ってました。(密かに・・・)
何が彼をそこまで突き動かすのか?
彼の姿勢ってのは何からくるのか?
その答えが全部書いてありましたね。
「夢」ですね。

以前笠原会長とお話しさせていただいた中に、やはり「怒り」ってパワーはすごいですよね、

それがきっかけだったりする、とありました。
多分起業された時の笠原会長も、そのように当時のエピソードを語られたように記憶しています。
僕も近年同じ思いで僕なりに動いていますが、
彼は違うんですね。

彼が何か違うと思っていたのはそこですね。
「夢」でそれを叶えようと。。。

またひとつ勉強になりました。
ありがとうございました。

他の取材も見る

ニューズレター 絆のカタチ

 

2015/04/30