kizunakobo

【教育は自分づくりが大事】No. 41日本アウトワード・バウンド協会 教育事業部部長 田中裕幸様

大学卒業後、ゼネコン、国会議員の秘書、企業コンサル業を経て日本アウトワード・バウンド協会(以下略OBJ)に就職。7年間の勤務後、自らの会社、『アウトドア・エデュケーションセンター(現)エッセンシャル・エデュケーション』を設立。また、『国立淡路青少年交流の家』の所長就任と多方面から人材育成をプロデュース。現在は会社を息子さんに譲り、2016年OBJで再び教育事業部部長及び関西校ディレクターに就任。2017年4月、旧豊岡市立西気小学校にOBJ関西校が開設。高原の涼しい風が吹き抜ける窓際で話しを伺いました。

会長笠原と同じようにこんがりと日焼けされているのはテニス仲間とのこと。
納得の褐色。

■『冒険活動の中で普段の自分の姿が表れる』

絆工房とアウトワードバウンド田中さん

― 笠原 「OMJはどんな活動をされているんですか?」
― 田中さん「創始者はイギリスのパブリック・スクールの校長クルト・ハーン。
大自然を舞台にロッククライミングやカヤックといった普通の学校では体験できない冒険活動を通して自分を振り返る、
こうありたいという自分の発見しようという活動をしている内閣府認定の公益財団法人です。」

実は、同じ神鍋高原にある植村直己冒険館の登山家植村直己氏の生前アメリカのアウトワード・バウンド協会で
犬ぞりインストラクターを務めたことがあるとのこと。
植村氏も帯広に冒険学校を設立する夢を持つほど青少年育成に情熱をかけていたと言われています。

遠いアメリカのアウトワード・バウンドでインストラクターを務めた植村氏の植村直己冒険館と
OBJ関西校が同じ神鍋高原にあるのは不思議な縁。
この縁を生かし、神鍋高原をどう活性化させるか。


― 田中さん「ロッククライミングやマウンテンバイクといった冒険活動の中では普段の自分の姿がよく見えてきますね。
日常生活でどうにかして壁をよけてやり過ごそうという人(大人でも子供でも)はロッククライミングでもそういう登り方をしています。またマウンテンバイクで限界まで足をつけずに登るチャレンジを子どもたちにさせて、どのような時に足をついたか尋ねてみると、他の子供が足をついたのを見た時といいます。
自己限界が他者との比較になるんですね。様々な場面で『私』という主語で語れない、「私はこう思う。」が言えない子が多いですね。周りの様子を見ながらの発言や行動が多く見られます。」

― 笠原 「出る杭は打たれるからみんなが周りの顔色をうかがって自分の行動を決めるところがありますね。
ただ、ちょっとだけ出ると打たれるけど、思いっきり出てしまったら打たれないと思うよ(笑)。
神鍋高原を含めて地域産業の活性化を考える時に、一番投資効果が高いものは何かというとそれは教育じゃないかと思うんです。ただこの教育が(実を結ぶのに)時間がかかるんですよね。
だからOBJの主な活動を自然豊かな神戸高原からどんどん発信して若者を育てていくことがこれからは大事じゃないかな。」

■ なぜ 底辺 x 高さ÷2なのか?地頭力を育てる

 

― 田中さん「日本の学生は、公式はよく知っている、正解も知っている、でも正解のない答えを導き出すことは苦手。
三角形の面積を求める公式は、テイヘン カケル タカサ ワル 2は知っていても、なぜ2なのか?
自分なりのロジックで説明することが出来ない。不登校キャンプというプログラムの中の若者達が
『学校や大人に「なんで?なんでダメなんだ?」ってこっちがダメな理由を聞いても「ダメなものはダメ」「校則だからダメ」という納得ができない返答ばかりが返ってくる』と言ってます。
自分の発見したり感動がない。
世界一教育水準が高いのはやはり北欧ですが、その中で幼児の自然体験や環境教育、森のようちえんといった活動が盛んです。子どもたちが森の中に入っていろんなことを学ぶのですが、例えば、森に入った時にたまたま動物の死骸に遭遇すると、子どもたちは頭を寄せ合って、なんで死んだんだろ?からはじまって、土に埋めた方がいいんじゃないか?いや、他の動物の餌になるようにこのままにしておこうと色んな意見が飛び交い、延々と話している、
そんな子供たちを先生は何も言わずただ見守っているんです。
本当は、子どもたちは別の目的で森に入ったはずなんです。
先生にそのことを尋ねると、『デモクラシー(民主主義)ですから』という答えが返ってきます。
教育はなんの為にあるのか徹底しているんだと感じました。日本だと、「あー汚いから触っちゃダメ。先に言っておきなさい。その間に先生がお墓を作っておくから後で皆で手を合わせましょう」というふうになるんじゃないでしょうか。」


― 笠原「常に先生や親が答えを用意してお膳立てしてしまっている。転ばぬ先の杖を親が立てすぎて子供が身動きとれなくなってしまっています。出来るだけ杖を立てないことですね。」

 

■ 強調と同調は違う

絆工房とアウトワードバウンド田中さん


ー田中さん 「日本の学生は、公式や正解はよく知っているけど、問題が起きてエラーを自分でリカバリーする力がないですね。野外活動で飯ごう炊さんをした時、ある班がお米を地面に落としてひっくり返してしまったんです。
『ご飯を落としました!』って言いに来たもんだから
『それで?』って言うとびっくりするんですよ。
しばらくするとまたやって来て『代わりにお米はありませんか?』と言うから
『ない!』(笑)というとまたびっくりして今度は
『他の班のご飯を分けてもらってもいい?』と聞くから
『いいよ、先生のところにはないけど』。


問題が起こった時にどう解決していくかを自らの力で考える機会をもっと体験を通して学んでいくことが必要です。
転んだらどうやっておきあがったらいいか、それを家庭も学校も教えていないから問題が発した時に、ヘルプメッセージが出せない、声を出せない、そして周りも声をかけない。
その結果、せっかく一流大学を卒業し、一流企業に就職したのに会社にいけなくなってしまう。
3年以内の離職率が30%ですよ。会社を辞めた後の方が人生長いんですがね。」

― 笠原 「企業に求められるのは人間力。教育までを会社が教えるわけにはいかないから、
社会に出る前にこういう田中さんのような活動の場で若者が自活、自力することを学んでいって欲しいと思いますね。」


― 田中さん 「学校の教室によく壁に『仲間づくり』と掲げられていますよね、でも本当は『自分づくり』なんですよ。
まず、自分というものが大事
『私はこう思う』『私はこうする』という、【色んな私】が強調していけるような仲間づくりなら大事なんですが、
そうではないですよね。皆と同じことをすることを求められる。ずっと学校では同調しろと言われ、社会に出た途端にいきなり自分で考えて行動しろと言れる。
『そんなこと学校で教えてもららってませんけど』って話になる。人間館kネイのストレスを他人のせいにしてしまったりね。日本の学力は低下していると言われていますが、僕は基本的な学力はいぜんとして日本は高いと思っています。
保有能力はある。ただ発揮能力がない。それをOBJのようなところで発揮できる、そんな場を提供できたらと思います。」 

アウトワードバウンド

若者を社会という大海原にもうすぐ送り出そうという意味をこめたOBS のロゴマーク。
学校で教えられることと社会や会社で求められる人材や人間性の間を、大自然というツールを使って限りなく縮める。

学びと実社会のギャップを埋め、本当の自分自身に気づき自分がどうありたいか、そのことを社会の中で実現しようとする強い気持ちをもった人を養う活動。これが田中さんの目指す活動です。
経営と教育、実は密接につながっています。

以上

 

【絆のカタチ】No.52 AC播磨イーグレッツ運営事務局代表 岡田隆人様

イーグレッツ岡田監督

イーグレッツ岡田監督

『ジャイアント・キリングになれ』

 
1993年にユネスコ世界遺産に登録された姫路城。その姫路城のお膝元に今回取材するAC播磨イーグレッツ運営事務局があります。
バスケットボールチームとフットサルチームの2本柱で地域リーグに所属。
姫路で唯一の女子フットサルチーム。イーグレッツのイーグレットegretは、白鷺という意味。
真っ白な漆喰の壁が美しい姫路城は、まるで天を舞う白鷺のように見えるということで、別名白鷺城とも言われています。その白鷺にちなんでチーム名が誕生。天高く羽ばたくべく、日々練習に励んでいます。

 
その白鷺女子のチーム活動を支えているのが岡田代表。
20代でイベント音響関係の会社を立ち上げて現在58歳。
バスケットボール経験者で、家族も野球、バスケに打ち込んでいるスポーツ一家。
2012年に女子サッカーチーム「ASハリマアルビオン」を、翌年にバスケットチームを立ち上げそのオーナーに就任。ちょうどその頃、インカレベスト4に入る実力者で日体大卒業後、姫路の日ノ本短大に在籍中でもあった小平キャプテンが、フットサルも是非設立して欲しいという要望を受けて誕生したのがフットサルチーム。「日本一を目指すには、まずは「日本一を決める試合に出られるようにならないといけない。」と岡田代表。
「彼女達はポテンシャルがあるのですから、もっと果敢に試合を攻めて欲しいですね。でも、尻込みして守りに入ろうとする時もあり、歯がゆく感じます。」
代表が悔しそうに話されるのには理由があります。それは取材日の直前に先月(6月)に行われた試合結果。
 

普段は選手に直接指導をしないという代表ですが、その時は、思いを抑えきれずに「遠方から応援に来てくださった親御さんやスポンサー各社の方も応援に駆けつけて下さった。
他にも多くの方に支えられてフットサルが出来ている。そのことに本当に感謝しなければならない。
それに答えるには、勝つこと、一生懸命にやっている姿を見ていただくことである」と、熱く選手に伝えたそうです。
もどかしくても、歯がゆくても、常に選手達の『日本一になりたい』夢の実現に向け、選手の住むところ、働く会社も斡旋。
 

—笠原「なかなか仕事も紹介してくれるところは少ないですよね。苦労があるのではないでしょうか。」
—岡田代表「そうですね。せっかく紹介しても仕事の方が続かなかったりする選手もいますし、しっかりとバランスのいい食事を心がけるように言っていますが、彼女たちはまだまだ若いですからつい食費を削ってしまうんですよね。アスリートは体が基本ですからしっかりと食べて欲しいので、たまに焼肉に連れていったりします。」
―笠原「ほぼボランティアでやっているサポートですが、そこまでされる代表の思いは何ですか?」
―岡田代表「沢山の苦労をしても、試合に勝った瞬間というのは、何とも言えず嬉しいものです。その瞬間が忘れられず、その瞬間の為に彼女たちのサポートをやっているという感じです。」やはりとても嬉しいとガッツポーズをとられて言われた岡田代表。
何としても日本一を決める試合会場に出場させてやりたいという親心のようなものが苦労してもサポートし続ける原動力となっています。
その原動力こそが、代表と彼女達との絆の核であると感じました。
事務所での取材の後は、近くの体育館に移動。
雨の降りしきる午後7時にJA体育館の扉を開けると、既に仕事を終えたフットサル女子5人がウォーミングアップ。
今春ユニフォームの打ち合わせに来社した際に『日本一を目指します!』と力強く言われた小平キャプテンの姿もあります。彼女達の出身地は様々。
北海道、東京、大阪、佐賀と、全国から集まっており、ほぼ毎日仕事が終わってから練習に励んでいます。
 

—ウェアサプライヤーとしての絆工房に期待するものとは?
—岡田代表「是非、試合会場に応援にきて下さい。選手のモチベーションがあがって張り切りますよ。それから、手足の長い選手のユニフォームの他にも、背の低い選手用の丈の短いパンツも欲しいですね。体育館でスライディングしても破れないソックスも欲しいです。」
今回実際に取材してみて、選手の生の声も頂くことが出来、今後の商品開発に活かしたいと思います。



 

 

 

インタビュー記事  

男前小平キャプテンにインタビューしました!

 

 

【絆のカタチ】No.39仕事は夢であり希望『ふれりあ』 代表 田原美穂様

先々代から江原駅前に花屋を営んでおられる田原花店。
1998年に日高町イートバリュー近くのフラワーショップ『ふれりあ』をオープン。
家族それぞれが得意分野を生かしながら経営していましたが、2年前から店舗業務を担当している若奥様、
田原美穂様に生花店を切り盛りする苦労や今後の夢をうかがいました。

■ターニングポイントは”かっこ悪さ”

 

絆工房の絆のカタチとフラワーショップ ふれりあ

ー笠原「最初に、この職業を選んだ理由を教えて下さい。」

ー田原さん「お花が好きだったからです。」

その言葉通り、結婚前までは芦屋の花屋さんに勤めておられた美穂さん。
長身でふわりとしたロングヘアーの似合う女性。偶然にも生花店を営むご主人と知り合い結婚。
当時は、華道に代表される和風中心の生花を営んでいた田原花店ですが、より手軽に買えるようスーパーにも卸すようになります。
お客様を待っているだけでなく、営業もこなします。

ー田原さん「『ふれりあ』は営業にも行く花屋さんです。このネーミングは気に入ってますね。営業でお会いした方との会話の中からビジネスアイディアが浮かんだりします。営業で出会う方は、皆さん優しく色んなことを教えて下さいます。」

しかし、時代の流れと共に、生け花人口の減少、生活環境の変化に伴い売り上げが減少、それにともなってスタッフも減り、『ふれりあ』にとって厳しい時期がやってきます。

その状況を打開すべく、2015年、商工会の経営支援を受け、新たに事業計画を打ち出します。

ー田原さん「ここ数年の自分を一言で表すとしたら、”かっこ悪い”。かっこ悪いけど、勉強しよう、かっこ悪いけど教えてもらおう、かっこ悪いけどお客様に意見を伺おう。何事も初めての連続、失敗の連続でした。でも、何度も失敗を繰り返していくうちに、次第に出来るようになってくるんですね。不思議なものです。」

 

■仕事は夢であり希望

絆工房の絆のカタチとフラワーショップ ふれりあ
前列左から達富さん、清田さん、後列左から垣口さん、田原代表、田中店長

魅せるフラワーショップは、だんだんと人気フラワーショップとなっていきました。

「ふらっと気軽に立ち寄れる様なお店づくり、男性のお客様にも見てもらえるようなHPづくりもやっています。そのためにも、やはり改めて、経営の勉強の大切さを学んだ気がします。」

ー笠原 「美穂さんにとって仕事とは何ですか?」

ー田原さん「仕事は夢であり、希望であり、そして楽しいものです。スタッフにも恵まれ彼らと一緒にする仕事が楽しくてしかたがありません。とはいえ、数字面ではまだまだ支援立て直し途中です。目標は地域外(街)から豊岡に売り上げをとってくる人になりたいですね。」

絆工房の絆のカタチとフラワーショップ ふれりあ

 

絆工房の絆のカタチとフラワーショップ ふれりあ



地方にいながらにして、都会のお客様にも対応できるようなフラワーショップにしたいという夢をもつ美穂さん。
そのためには、シェアの取り合いではなく、より個性的な専門店でありたいと奮闘。

■今いる場所で花を咲かせる

 

ー田原さん「晩婚化時代結婚式自体が少なくなってきていますし、まだまだ大変なことが多いですが、ここ但馬発信でやっていきたいですね。花で生活をお洒落に、そしてワクワクする但馬にしたいです。

花贈りというのは、絶大な幸せ感が持てます。花一つでそんなにっていうくらい喜んでもらえることを、もっと多くの人に知ってもらいたいです。貰った人が幸せで、それを見てあげた人もまた幸せになるという素敵な絆が出来ます。大層な贈り物でなくていいと思うんです、ちょこっとさらっとプレゼントや手土産、挨拶代わりに花を贈って欲しいですね。」

文字通り、そこに居る場所で花を咲かせようとする『ふれりあ』の代表田原美穂さん。
スタッフとの絆も強く、ここ但馬の地で『ふれりあ』という大きな花が開花。

美穂さんの仕事は素敵な花を通しての絆づくり。
これからの益々のご活躍を期待しております!

フラワーショップ  『 ふれりあ 』
〒669-5305 兵庫県豊岡市日高町祢布988
  tel&fax 0796-42-3366

 

【絆のカタチ】No38 朝倉商事株式会社 代表取締役社長 朝倉裕登 様

朝倉商事

朝倉商事

 

昭和24年、「朝倉瓦屋」からスタートした朝倉商事株式会社。
昭和36年には、「朝倉セメント工業」と名称変更して、ブロック製造業も携わります。
昭和55年からここ但馬の老舗の石の総合商社として浅倉地区で商いをされておられます。
当社のご近所さん企業です。


 
―笠原:「先代の亡きお父さんはどんな方でしたか?」
―朝倉社長「父は、行動派の人でした。韓国語、中国語といった外国語を喋れなくても、いい石を求めて、ためらいなく海外に飛ぶといった非常に行動力のある人でした。
僕も海外に対しては、どうにかなるという思いがあり、その点は父と似ているのかな、と思います。」

—笠原:「違うところ(国)に飛び込んでいくのは冒険ですね。でも、普通と同じ事をやったら、結果も普通。
やはり発展的なことに取り組むのには勇気が必要。そう考えると、仕事って、食わんがために働くのではないんですよね。
食うために働くのは動物と同じ。人間は、物質の豊かさではなく、心の豊かさの実現の為に働かないといけないと思いますね。」

—朝倉社長「そうですね。行動派の父にしてもそうでしたし、僕もいつしかどうせ社長をするなら20代でやってみようという思いや、母にいつまでも頼る訳にはいかないという思いが強くなり半ば強引に社長業を引き継ぎました。
会社に入ってからは自分の顔と名前を知ってもらおうと商工会や消防団といった地元の組織に積極的に出席しました。
地元で会社経営していく上では、やはり”顔”を知ってもらうことが大事です。
そうすることで道で会っても気軽に挨拶ができる関係が築けます。
早くに父が亡くなり、当初は「若い社長だな。」と言われましたが、今となっては若いうちに社長業を経験できて良かったなと思っています。」
 

 

■シャイな社長が打ち出した社員とのコミュニケーション技とは!?

 
—笠原:「(社長業は)やってみてどうですか?」
—朝倉社長:「実は、僕は、話す事があまり得意じゃなくて、社員に何かを伝える事がどちらかというと苦手なんですよ。」

―笠原「そうなの?そういう風には見えないけど?」
―朝倉社長:「そこで、僕のように話す事が苦手な人でもコミュニケーションが円滑できるようにと、“見える化ボード”を作ったんです。ボードに業務の進捗状況や伝達事項を書くようにしたんです。耳に入ってくることはすぐ(左から右へ)流れてしまいますが、ボードを壁に貼ると目につくじゃないですか。また、情報の共有化ということで、以前は営業部内だけ共有していた情報を全社員が見えるようにメーリングリストも作成しました。初めから上手く機能するとは思いませんが、少しでも僕の思いというのもそこに書き込んでいって社員と共有できたら思っています。」

社内の環境をより良いものにしたいという思いを語る朝倉社長。


—笠原:「いやいや、よく話されているよ!(笑)」
—朝倉社長:「そうですか?他にも各社員の入社日が近づくと毎週月曜日の朝礼で勤続年数と入社日を発表したり、誕生日が近づいた社員にはお祝いの言葉を伝えています。でも、僕自身が、社長たるものあまりべらべら話すものじゃないって気負いがあるのと、社員が、社長である私と話しするのって萎縮しないだろうかと、つい気になってしまうんですよね。」
—笠原:「それは僕もあるよ。」
—朝倉社長:「やはり社長が発する一言っていうのは、軽い一言でも重い意味を持つことがありますからね。」
—笠原:「そう。でもやっぱり言っちゃうんだよね。言わずにはおれないというかね・・。」
 

■地元に愛される会社であり続けたい

 
朝倉商事は、「季節のたより♩」という名前で年4回、絆工房と同様に定期的にニューズレターを発行。
夏の近隣の花火大会の開催表は絆工房でも掲示板に貼って大活躍です。
他にも「ASTONE通信」は今月で106号(約9年)を迎えます(※2017年時)。
 

―朝倉社長「最初は、業務命令だった「季節のたより♩」や「ASTONE通信」も今では社員自らが積極的に作成し、私の手元に原稿が上がってくるのをみると「あ、もう通信を発行する時期なんだなと気づかされています。逆に社員から尻を叩かれ、こちらもやらねば!という気持ちになりますね。見える化ボードの作成、「季節のたより♩」、「ASTONE通信」を発行することが、売り上げに直結しているかどうかはわかりません。でも、こういった絆づくりを続けていくことが大事なんだと思っています。お客様カードを書いてくださった方へは、誕生日月にメッセージカードを送ります。出来るだけメッセージ、住所は手書きにこだわっています。」

絆工房でも、ニューズレターを社内の情報発信だけでなく、絆づくりのツールの一つとして、また人の記憶に残ってもらう目的で発行し続けています。

—朝倉社長:「話すのが苦手といっても、会議の後は、必ず社員と一緒にご飯を食べたり、年に一回、BBQ大会を開いています。今の社員やその家族、会社を辞められたOBの方々も必ず招待しています。自分の家族ももちろんですが、社員の家族やその子供たちも僕にとっては家族です。昔、私が若い頃、いろんなことを教えてもらったOBの方々には今も感謝しています。たくさんの人の助けでここまでやってこれました。これからもその恩を忘れずに、地元で愛され続ける会社、笑顔のたえない明るい会社でありたい、それが僕の夢であり目標です。僕にとって、社外の人から、自分の会社の社員のことを褒めてもらう言葉を聞くのが一番嬉しいものです。」
取材中終始おしゃべりは苦手とはにかみながら話す朝倉社長。しかしながら、「会社も私自身も知ってもらうことが絆作りの一助になる。」と、ブログやFBでは、会社の事だけでなく、社長自身のプライベートなこともオープンに発信。その大胆さに、寡黙な人柄の中にも、社員を愛し、地元を愛し続ける石のように固く揺るぎない経営者の想いがあり、それが溢れた取材となりました。

 

最後になりましたが、
朝倉商事様は、笠原の誕生日近くになりますと必ず誕生日カードを送って下さいます。
手書きのメッセージにちょっとしたプチプレゼントを添えて・・

2017朝倉粗商事様誕生日カード

とても大切なご近所絆仲間です。


兵庫県豊岡市日高町浅倉30-3
朝倉商事株式会社
Tel:0796-42-3707
Facebook:朝倉商事株式会社
ブログ : 幸せいっぱい♩縁起物の朝倉ブログ
社長Facebook: 朝倉裕登A
社長ブログ:Aのブログ

 

【小さなことをチャレンジすることもまた冒険である】No. 37『植村直己冒険館』館長 吉谷義奉様

植村直己冒険館吉村館長

植村直己冒険館吉村館長

平成6年に設立された植村直己冒険館。
登頂前に現地の人達と触れ合い、同じ物を食べ、同じ生活をし完全に溶け込んでから登頂したと言われる植村氏。
デナリ(旧マッキンリー)に消えて32年経った今でも彼の業績や生き様を知ろうと訪れる人が多い冒険館。
その冒険館に平成8年に業務に携わり、15年に館長に就任した吉谷義奉館長。

人と人との心の絆を大切にした植村氏の心を通して、現代の私たちがどう人や仕事と繋がっていったほうがいいのか、
銀杏が紅葉したおしゃれなテラスで話しを伺いました。

■失った大切な心を取り戻す

ー笠原「植村直己冒険館」の存在意義とはなんでしょう?

ー吉谷さん 「まずは、植村氏の冒険を正しく知ってもらうこと、2つ目は、こんな素晴らしい日本人がいたという彼の人となりを伝えること、そして3つ目は、物事にチャレンジする大切さを伝えることです。
世の中にはその人その人なりにチャレンジがある。例えば、冒険というと高い山に登った、長い距離を歩いたこと等が冒険と言われがちですが、そういうのではなく大病したけど自分なりにこういうチャレンジをした、例えば小さい山を登ってみた、これも一つの冒険です。
こういうその人なりのチャレンジを発信できる場が冒険館です。冒険館は、冒険者だけではなく、チャレンジャーも応援するところです。」

ー笠原 「ずばり植村氏のどんな人柄を伝えたいですか?
 
ー吉谷さん「生前の植村氏を知る人に取材やインタビューすると、皆さん、彼の業績よりも彼の温かく謙虚な人柄を必ず語られます。彼は、世界初の五大陸最高峰登頂、北極点犬ぞり単独行など、ものすごい偉業を成し遂げましたが、
必ず現地の人の生活に溶け込んでいました。常に周りの人を大切にし、何事にも一生懸命に現地の人達と接し、
その生活から色んな事を学びながら強い心を育んだからこそ、高い業績を成し遂げられたと思います。」

ー笠原 「強い心とは?」
ー吉谷さん「例えば、人はよく最後まで諦めたらいけないって言いますね、誰も諦めようと思って諦める人はいないんです。
諦めざるをえない心になってしまうのです。それが心の強さの1つと思います。では、どうすれば、諦めなくなるのか、心を強くできるのか?
それには色んな方法があると思いますが、植村氏の行動を見ていると、
「感謝の心」と「思いやりの心」、この2つを高めていくと強い心が育むように思います。
僕は今の日本人が忘れつつある絆、植村氏のそんな”心”を残していきたいと思っています。」

 

■A地点からB地点へ行く道すがらC地点を発見する

 

絆工房と植村直己冒険館吉谷館長

−吉谷さん「昔は、長いスタンツで仕事をしていました。例えばA地点から一生懸命やってB地点にたどり着く途中でC地点という別の地点を発見することがある。
「あ、自分がやりたいことはC地点なんじゃないか」と発見することがあったんです。一生懸命やるからこそ見えてくる世界がありました。」

−笠原「僕の座右の銘があって、「透明ガラスに当たるハエにはなるな」というものがあります。ガラスを通して透けて見える向こうの景色へハエは行こうとガラスと格闘する。その時に知恵のあるものが”(ガラスのない)脇にそれたらと向こうに行ける”とアドバイスします。
その時に、素直に聞くハエと頑固に聞けないハエがいる。素直にアドバイスを聞いて飛ぶ方向を変えてみると、新たに見えていない世界にたどり着くことができます。だから動かないとダメです。」

−吉谷さん「今の世の中はともすればソツのない仕事をします。確かにそれも大切なことですが、昔は“あの人優しいね。”、“あの人親切だね。”がはじめにあって、その上で“あの人賢いね。”という人柄が重視されてました。我々50代〜70代がそういう世の中にしてしまった責任でもあるのですが、この「やさしさ・親切・一生懸命」が大切にされる世の中に戻したいと思っているんです。今はそういう絆が失われているのが残念でなりません。感謝と思いやりの心があれば、大抵はうまくいくものです。」

–笠原「商売の本質は、つまるところ“親切”。」

 

絆工房と植村直己冒険館吉谷館長

−吉谷さん「それから、これからの企業や社会は、誰も想像つかない発想ができる人、そしてその実現に向けて行動に移せる人を求めていると思います。
じゃあ、発想力はどうやったら作られるのか?それは、どれだけ経験、体験したかで決まってきます。
ですから若い人は何でも体験することです。植村氏は、「マイナス50℃を体験すれば、マイナス20℃は温かく感じる」と言われたそうですから(笑)。
厳しさの基準というのは、体験の深さによって大きくかわってくるんですね。
そうなると、実践力の違いも生じてきます。実践力とは“やるか、やらないか”です。
情報も知識も全くない白紙の状態から何かをやる人はいません。
誰かの意見であったり、本からの情報、知識であったりして経験値に基づく発想が生まれるんです。
この発想が多い人ほどいいモノが作れます。
今までしたことがないこと、それが冒険です。植村氏のような極地に挑むことも冒険と言いますが、小さなことでもチャレンジすることも冒険です。」

—笠原「人の成長というのは、昨日と同じようにやっているようでは成長にならない。昨日やらなかったことを今日やってみる、新しいことに挑戦することが成長です。」

植村氏の“心”を残したいという強い想いの吉谷館長。

ー笠原 「若い人たちへのメッセージをお願いします。」

絆工房と植村直己冒険館吉谷館長

ー吉谷さん「ここを、日本の冒険館にしたいなと思っています。チャレンジする人を応援しようとする場所。若者たちが、ここ(冒険館)に来れば、私たちの声を聞いてくれる、力になってくれる、心が癒されると思ってもらえるような場所にしたいです。チャレンジする人、冒険者の聖地になればと思います。とにかく色んなことにチャレンジして下さい。」
            

絆工房と植村直己冒険館吉谷館長

以上

 

他の取材記事も見る

【絆のカタチ】No.51アドバンス株式会社 取締役支配人 樋口正輝様

アドバンス株式会社 取締役支配人 樋口正輝様

 

「神鍋を非日常生活を提供していく場に」

 
冬はスキー、夏はトレッキングやニジマス釣りと四季折々のアウトドアの楽しさを提供してくれる神鍋高原。2018年には、目線を大地から空に向け、360度広大な高原を上から楽しめる熱気球体験アクティビティーもスタート。関西一の名門スキー場というポジションに甘んずることなく様々な角度から高原の魅力を掘り起こそうとする若き仕掛け人、樋口正輝様に、3月末とは言えまだ肌寒くストーブを炊いた事務所でお話しを伺いました。
 
 

 

■ 「経営は始まってからが一年生」

取締支配人ということで年配の方を想像していたのですが、現れた人は少年のような方。

−笠原 「樋口さんはお幾つですか?」
−樋口さん 「33歳です。」
−笠原 「どういった経緯でこの神鍋スキー場経営に携われたのでしょうか?」
−樋口さん 「愛知県生まれですが、父親が新潟ということで幼い頃からスキーは慣れ親しんだスポーツでした。大学もそういうわけで北大に進みました。」

−笠原 「卒業後すぐにスキー場経営に携わったんですか?」
−樋口さん 「いえ、商社に就職しました。僕は大学では工学部に在籍していたのですが最初、ODA関係の仕事に就きたいなと思っていたんですね。ところが『理系こそ文系に就職すべき』という兄、そして、IT出身でありながら三菱商事でオリンピック通訳をした大学の先輩の影響もあって、伊藤忠商事に就職しました。『ラーメンからミサイル』まで扱う商社では、とにかく色んなことを学びました。」

商社で3年ほど働いた後、自分の得意とするスキーを活かすスキービジネスで起業するという夢を実現すべく、ネットでスキー場経営を検索。
そこで検索にヒットしたのが㈱クロスプロジェクトグループの代表取締役、辻さん。
−樋口さん 「すぐに辻さんに連絡をとって相談すると、『経営は始まってからが1年生。さらにスキー場経営は10年かかる。起業は早ければ早いほどいい。』ということで商社を26歳で退職しました。」
 

−笠原 「若くしてスキー場経営者になられたわけですが、どうでしたか?」
−樋口さん 「最初のスキー場の職場では、ごっつい指輪した、いかつい兄ちゃん達がいるわけですよ。そんな彼らに26歳の経営者がいきなり現れ、トイレ掃除一つ出来ない僕に現場の人はついてきません。『役職なんて意味ないな。』と気づきました。(経営者として)最初の挫折です。」
 
−笠原 「樋口さんにとって経営とは?」
−樋口さん「売り上げだけでは人はついてこないということ。ベクトルを揃えて全員がハッピーでないとダメだということです。絆ですね。それには(自分自身の)普段の言動の積み上げが本当に大事だと気づきました。」
−笠原 「事業を続けていく意味はなんでしょうか?」
−樋口さん「利他の精神でしょうか。言葉としては分かってはいてもなかなか大変なことも多いものですが、利他の精神でいくと基本的には物事は上手くというのが僕の考えです。」
−笠原 「樋口さんにとって大変なことって何ですか?」
−樋口さん「倫理と経済とのバランスでしょうか。健全な事業はこの2つが両立していますね。また、伊藤忠商事では、事業というのは売り手よし・買い手よし・世間よし、これが絶対であるとことを学びました。」
−笠原 「三方よしですね。」
−樋口さん「まさにそうです。」

 

■ フルパワーで生きても追いつかなかった海外留学

自分の生きる軸の基準をすでに確立し、その軸に沿った働き方、生き方をされているように見える樋口さん。
その軸にも話しが及びました。
−笠原 「ところで樋口さんの人生のターニングポイントはありますか?」
−樋口さん 「アメリカ留学ですね。留学の動機は、英語が喋れるようになりたいとかではなく自分を試す為でした。生活は本当に大変でした。まず、オリエンテーションの英語がさっぱり分からない。でも説明が終わると周りの学生は行くべき場所が分かって散らばっていくわけです。僕一人どこに行けばいいかわからない。そこで、見るからに優しそうな人を捕まえてどこに行くべきかを身振り手振りで訴えました。ようやくその日から生活する学生寮にたどり着いたのですが、着いたら着いたで部屋の扉がオートロックであることを知らない為閉め出されたり、、。朝の7時半に授業ということで寮を出ても、外は真っ暗、不安になって自分の腕時計を見ても本当に正確な時間であることすら怪しくなってくる。サマータイムがありますからね。おまけに語彙力が圧倒的に少ないので、ものすごく偉いに違いないであろう教授に対しても命令口調で言ったりと、まあ本当に大変でした。フルパワーで生きても生活が送れない。あの留学経験のおかげで怖いものがなくなりました。かっこつけてもしょうがない。」

 

■ 「死を意識することが大事」

−笠原 「開き直りですね。」
−樋口さん 「そうですね。僕は、基本ポジティブシンキングなので、失敗や不幸というのも後からラッキーと思えれば今の不幸もラッキーと捉えています。また、人生の価値は、死んだ後も分からないと僕は思います。そう思うのは、僕は8年前にスキー骨折し東京の病院で手術を受けた体験からもきています。麻酔から目を醒ますと『日本が変わっていた』んです。実は、手術したのは3月11日の東日本大震災が起こったまさにその時間だったんです。目が覚めると病院は、帰宅難民の人で溢れ、病院は、野戦病院状態。そこで、骨折したのが不幸だったのか、病院で建物の設計上一番地震の揺れに強い場所である手術室で震災の難を逃れたので運が良かったのか、どちらをとるかです。現実をどう捉えるかです。ただ言えることは、(人生において)死を意識することは大事であるということ。そういう体験をしないとトラブルがあった時の判断が甘くなるんじゃないかと思います。」
 
 

■ 仕事場はアジア

今の神鍋高原は、グラススキー、サマーキャンプ、そして関西初の熱気球体験が出来る夏も遊べるスキー場。


−笠原 「今後、この神鍋スキー場をどう経営されていかれますか?」


−樋口さん 「神鍋の人口は減少していっています。それは確かです。民宿経営する親の世代も子供に継承を強いていません。ですから人口減少を、衰退ととるか進化ととるか。新しい秩序に移行しているであれば人口減少を悲しんでそれを無理にくい止めようとする必要はありません。どの秩序に向かっているのか?僕は、この場所を非日常を提供していく場にしていきたいと思っています。雪にも可能性を見出しています。雪の降らない海外の人からみると、ここは非日常を体験できる場です。雪体験そのものに可能性があると思っています。ですから僕の仕事場は神鍋高原というよりもアジアですね。」
 
学生時代は、留学だけでなく、インドでストリートチルドレンに朝食を提供ボランティア活動の為、通勤ではドアがなく落ちたらすぐ死ぬという満員列車の体験もした樋口さん。
「文明と引き換えに日本は何を捨ててきたのか、日本で当たり前のことが実は当たり前でない」と言う樋口さんは、幸・不幸、生・死、日本の外・中といった進むべき方向の決定をする軸を、既に経験されている方という印象を受けました。
今後の活動が楽しみです。

 

【絆のカタチ】No50エンドー鞄株式会社 代表取締役社長 遠藤玄一郎様

エンドー鞄株式会社 代表取締役社長 遠藤玄一郎

エンドー鞄株式会社 代表取締役社長 遠藤玄一郎

 

豊岡市と言えば、国の特別天然記念物であるコウノトリの街、そして鞄の街として知られています。
日本一の鞄生産量を誇るこの街に、エンドー鞄株式会社があります。柳行李(やなぎごおり)発祥の地、豊岡で最も古い鞄メーカーということは、最も古い鞄メーカーということになります。エンドー鞄は今から196年の文政7年(西暦1825)創業した鞄メーカー。2つの世界大戦、世界恐慌、オイルショック、そして平成数々の自然災害など時代の荒波を乗り超えて今なお存続する会社。そこには継続していく上での大切な何かがあるはず、ということで今回はそのあたりも含めて8代目代表取締役社長である遠藤玄一郎さんに話しを伺いました。

■ 『経営ははじまってからが勝負』

絆工房と遠藤鞄

エンドー鞄は、女性が好むような甘いテイストのカラーはほぼなく、黒、グレーといった、どちらかというとマニッシュな雰囲気が特徴。


ー遠藤さん 「昔は、レディースも取り扱っていました。でもある日「なんでも出来ますよ。」とお客様に言うと、「何でも出来るということは、何の特徴もないんですね。」と言われたんです。そこで、男性用のビジネスバックに特化した商品を作ることに決めたんです。」

−笠原 「一点突破全面展開ですね。 順調に来られたんでしょうか?。」
ー遠藤さん 「そんなことはありません。大学卒業して入社早々に取引会社2社が倒産しその煽りを受けました。修業のために大阪営業所にいたのですが、すぐに本社に呼び戻されました。会社が経営難に陥ったことはすぐに噂が広がるものです。人の不幸は蜜の味でね(笑)。家のお風呂が壊れてしばらく銭湯に通っていたら「遠藤さんのところは家を売ったらしい」と噂がたったり、父と道で立ち話をしていると、「あれ夜逃げしたんじゃなかったの?」と言われたり、、、、。何とかしなければという思いから、親父や先輩達にああしよう、こうしようと提案しました。親父が「右だ!」と言ったので「いや左だ!」と反対しました。でも、従業員は親父の方についていくわけですよ。え〜右なの?って(笑)。難しかったです。あまりに私が吠えるので、「それじゃあ、お前がやってみろ」って親父に言われまして、30歳の時に専務に就任しました。」

ー笠原 「(就任されてみて)どうでしたか?」

ー遠藤さん 「起死回生を図ろうと睡眠時間3時間で働きました。それまでの付き合いは全て断ってひたすら働きました。でも、ある時、寝る時間以外の16時間働いても人の2倍しか出来ないことに気づいたんです。それに気づいてからは、他の人にどんどん仕事を振っていきました。」

 

■ 『人の困りごとをソリューションには力がある』

 

絆工房と遠藤鞄

ー笠原 「鞄作りでご苦労されたことはありますか?」

-遠藤さん 「人に伝えることが難しかったですね。例えば、ロフトやハンズの旅行かばん売り場では、軽さや静かさを謳っている鞄は山ほどあります。たとえ重たくても、です(笑)。どんなに音が静かな旅行用キャリーケースです!って言っても理解してもらえませんでした。そこで騒音体験ボードを売り場に置こうとしたんですが、今度は売り場からそんなもの置けないと言われました。そんな中、名古屋ハンズだけが目をつけてくれ、売り場でお客様に体験してもらったところ瞬く間に売れたんです。そのことがきっかけでロフト店はもとより、小売店でも取り扱ってもらえるようになりました。鞄に限らず、モノは簡単には売れません。どうやって伝えていくかが大事です。」

旅行は早朝や晩に空港へ出発することが多いことをヒントにご近所の迷惑にならない世界一音が静かな旅行用キャリーケースが誕生しました。

■ 朝令暮改OK!


ー笠原 「旅行用キャリーケースはうるさい、という概念を払拭したわけですね。」

ー遠藤さん 「人の困りごとを解決するソリューションに力を入れています。僕は若い頃ファッションに無頓着な方でしたが、当時の鞄には内側に収納ポケットがなく、入れたものが中でぐちゃぐちゃになるんですね。それが嫌で、鞄の内側に収納ポケットを付けてくれるように職人に頼むと、「そんな手間がかかるものは作れない。」って言われました。それでも、とりあえず試作品だけでも、と無理を言って作ってもらったところ大ヒットしたんです。」


エンドー鞄のブランド商品の1つ『プログレス』が誕生した瞬間。


ー笠原 「どんな時に商品開発のアイデアが浮かぶのですか?」
ー遠藤さん 「四六時中常に考えています。特に旅行や出張にいった時に人の持っている鞄をチェックしますね。」

伝統を守りながらも変化に対応していかないと生き延びることは出来ない、だから朝令暮改OK!と言い切る遠藤さん。今ある伝統も、誕生した当初は、前例がないもの。柳行李からファイバー素材の鞄、そして歴史を重ねていくごとに生まれ変わっていくエンドー鞄。鞄の伝統と進化のリテラシーが柳の細工のようにしなやかに織り重なっていきます。
現在65歳になった遠藤さん。今後の会社経営、そして絆について伺いました。

絆工房と遠藤鞄

 

■ 『人の困りごとをソリューションには力がある』

 

絆工房と遠藤鞄

ー遠藤さん 「ルールづくりですね。時代に合ったルールを作っていきたいです。今後も変化に対応して生き延びていく会社を目指したいと思います。以前は、創業から194年もの長きにわたって会社が存続していることに重きを見いだしてはいませんでしたが、でもこれはある意味すごいことなんじゃないかと思えるようになりました。続けてこられたのも先輩との絆、従業員との絆があったからだと思います。縁を大切にしていきたいと思います。社員を大切にする会社、社員の雇用を守る為にもこれからもしっかり儲けることが大事だと思っています。それが私の使命です。」

ー笠原 「儲けることは手段であって、社員を守ることが使命だということですね。またさらに伝統も、ただ守るものではなく、革新していくもの。それを人の絆で未来に繋げていく。そう強く感じるお話でした。有難うございましたた。」


世界の創業100年以上の老舗会社の半分以上は日本企業というまさに世界一の老舗大国。その老舗がひしめく国、日本で生き残っていくには、何を守り、何を大切するのかを学べた取材となりました。

 

以上

【男の財は友なり】No.40 出石手打ち皿そば『甚兵衛』 会長 渋谷勝彦様

渋谷勝彦様

渋谷勝彦様

 

 

宝永3年(1706年)、出石藩の松平氏からバトンタッチで国替えになった信州出身の仙石氏。藩主についてきた蕎麦職人によって広まったのが出石そば。
50軒近くの蕎麦屋が軒をつなげる出石の町に、昭和51年創業、今年で創業41年目になる出石手打ち皿そば「甚兵衛」があります。今回は、創業者の渋谷さんに話しを伺いました。


渋谷さんは若い頃、織物業の父親の跡を継がれます。
出石は当時、400人もの女工さんたちが織物工場で働いており、「(織機を)ガチャンと織れば万の金が儲かる」と言われるほど出石は“ガチャ万景気”に湧いていました。

しかし次第に着物の需要も減少。さらに追い打ちをかけるようにオイルショックによって織物業は大打撃を受けます。もともと蕎麦が大好きだった渋谷さんは、お蕎麦の店をやろうと決意。
「周りは、“素人がそば屋をやって大丈夫か?”と反対されましたね。」
渋谷さん33歳の時でした。 

 

絆工房の絆のカタチ 出石そば甚兵衛

ー笠原  「反対されたということで大変じゃなかったですか?」
ー渋谷さん「不思議とそれはなかったですね。苦労もそれほどありませんでした。何より蕎麦が好きでここまでやってきましたから。この店のモットーは、“ 美味しい蕎麦を、掃除の行き届いた処で、気持ちよくいただいてもらう”こと。今まで利益が入るとすぐに増築と改築を繰り返して店作りをしていました。」

取材にうかがった時はちょうど開店前の朝の時間。
すでにお店全体の空気がお客様を気持ちよく迎える空気に変わっています。
店には優雅に泳ぐ大きな沢山の錦鯉が目を楽しませてくれます。
耳を澄ませると水の流れる音。

ー渋谷さん「最初は、BGMとして音楽を流していたんですが、どうも味気ないので、水のせせらぎの音が一番しっくりとしました。」

そして、暖簾をくぐって奥に進むとお茶を嗜む渋谷さんの「もてなし」と「しつらえ」の美しい中庭。炉もあった茶室を改造したお座敷を含めて席に着くまでに歩く路地の左右には150年もの夫婦杉や鹿威しがあり、とても情緒豊か。
目で楽しみ、耳で楽しむ、店先から店の奥まで一貫してお蕎麦を五感で楽しむ渋谷さんの仕掛けづくりが随所にちりばめられています。

 

絆工房の絆のカタチ 出石そば甚兵衛

■男の財は友なり

ミシュランガイドで『ビブグルマン』を獲得したのをきっかけに2、3年前から外国人客も増えてきた甚兵衛。
そして、3年前に法人化した時に同時に社長職をお婿さんにバトンタッチ。

現在は、会長職として、“蕎麦”という食文化と違った側面から出石の町の街の仕掛けづくりに東奔西走。
但馬國出石観光協会の顧問、「いずし落語笑学校」校長、大向う鸛の会会長、NPO出石町家再生プロジェクトA理事長としても忙しい毎日。
いずし落語笑学校では、アマチュア落語家として永楽館で落語も披露。

 

絆工房の絆のカタチ 出石そば甚兵衛

ー渋谷さん「同じ蕎麦店経営者であり仲間でもある「花水木」の店主を含め、仲間4、5人でいつも、これからの出石について語り合っています。少人数での話し合いが一番コミュニケーションがとりやすくスピーディーです。何よりも一体感があります。」

集合場所は、喫茶店もある「花水木」。そこで、出石の未来の議論が熱く飛び交っています。
さらに、娘さんの順子さんも、「楽しも!出石」をコンセプトに活動している女性グループ「すいっち」のメンバーとして活躍。
4月には経王寺のライトアップされたしだれ桜の下で、 但馬のおいしいお料理、かわいい雑貨を出店するココテラスを企画されました。

お父様である渋谷さん曰く「女性の方が行動力が早い!」。
親子で出石を盛り上げます。

絆工房の絆のカタチ 出石そば甚兵衛

—笠原 「最後に絆を感じたエピソードがあれば教えて下さい。」

ー渋谷さん「ほとんど苦労という苦労はなく順調にきましたが、全くなかったわけでもありません。若い頃から2人3脚でやってきた女房がガンになった時はどうしようかと思いましたが、今はおかげさまで元気です。その時も家族や周りの人の支えで乗り越えてきました。そう考えるとやっぱり人との繋がりが大切なんだと改めて思いますね。」

ー渋谷さん「今まで何か行動を起こした時は必ずそこには友達の力がありました。お店を持つ時も友達が応援に駆けつけてくれて手伝ってくれましたし、今の仲間もそうです。『男の財は友なり』と私は思っています。世の中は絆で動いているんじゃないかと思いますね。」

丸い顔に優しい眼差しの渋谷さんは知らず知らずのうちに人を惹きつけ周りに人が集まってくるような幸せを呼ぶ福相の持ち主。沢山の友を財産に、仲間達と太くて永い出石の明日をこれからも打っていただきたいと思います。

出石手打ち皿そば  『 甚兵衛 』
〒668-0256 兵庫県豊岡市出石町小人14−16
TEL 0796-52-2185

絆工房の絆のカタチ 出石そば甚兵衛

 

【自分の意志で生きることは選択できます】No.36『かじか窯』陶芸家小田垣かすみ様

絆工房とかじか窯
絆工房とかじか窯

神鍋高原の麓にある観音寺という集落。村の真ん中に兵庫県指定文化財である観音寺仁王門が建立するこの村に、陶芸家小田垣かすみさんの陶芸工房があります。
陶芸の道を歩まれた彼女の生き方や想いなどを『かじか工房』でうかがいます。
会長笠原と同じ地区でお互いに幼い頃から知っているということでざっくばらんな会話でスタート。


■発想によって色んな使い方ができる焼き物が好きです

ー笠原「高校卒業してすぐに陶芸の道に進んだけど迷いはなかったの?」

ー小田垣さん「そうですね。自分の中では焼き物づくりというものがごく自然で当たり前のような存在でしたからね。21歳で結婚、それから子育て、母の介護、さらには、13年前に叔父であり但馬焼きの師匠でもある山根毅が亡くなってからは、無我夢中の毎日でした。」

ー笠原「途中で辞めようとは思わなかった?」
ー小田垣さん:「それは全く思いませんでしたね。やはり好きだったからでしょうね。私も私の周りの環境も自然と陶芸の道を歩むものと思っていましたから。そして今年でちょうど40年。一つの節目として、この工房を開きました。

工房のすぐ横に流れる清流のせせらぎを聞きながら創作に没頭できる『かじか窯』

ー小田垣さん「かじかの鳴き声が聞こえるんですよ♩」

 

絆工房とかじか窯小田垣様

 

日本一美しい鳴き声でなくと言われる清流に生息するカジカガエルの名前にちなんだ工房。

ー小田垣さん「1つの使い方しかできないっていうものや、すでに完成されたものはあまり好きじゃなくて、
発想によって色んな使い方ができる焼き物が好きです。
人とは違ったものを作ろうというのが焼き物作りの前提にあります。”こんなの見たことないわ”って言って下さるのを聞くとやはり嬉しいですね。」

絆工房とかじか窯小田垣様

 

ー笠原「人とは違ったものっていうのは商売する上では大切だよね。お互い負けず嫌いだよね、そうじゃないと商売はやっていけない。僕は借金した状態でスタートした商売。よくブレたらダメって言われるけど、じゃあ何をブレたらいけないのか?僕の場合は、やはり『絆づくり』というのが軸にあって、オリジナルTシャツはあくまで絆作りのツールであって手段として捉えている。今後もそれはブレないと思う。」

■売り手と買い手が融合するようなモノづくり

絆工房とかじか窯小田垣様

ー笠原「今回かすみさんを取材しようと思ったのは、まだ世に知られていない、いいものが埋もれていると感じたから。この世界観をもっと発信するようなことを何か考えている?例えば、豊岡はコウノトリの住む町だからコウノトリをモチーフにした作品やコラボ品を作ったりとか。」

ー小田垣さん「コウノトリそのものずばりの焼き物というのではなく、それを感じられるようなコウノトリの羽や全ての生命体の象徴である卵をモチーフにした焼き物を作っていきたいですね。日常生活で、毎日使っても飽きない、使いたいという焼き物を作っていきたいと思っています。”土のものは使いこめば使いこむほど時代が出る”といますから。」

ー笠原:「ベクトルが自分の方に向いているのが趣味、相手に向いているのが仕事。かすみさんの世界観を世に発信していくには、とにかく提案していく。「こんなものが欲しかった!」って言ってもらうには要らぬお世話をどんどんすることで、実のある利益が生まれる。失敗しても他人は全然気にしてないから!恥ずかしいのも一瞬。否定されたとしても、人間性を否定されたわけでもないんだから、どんどん提案していくこと。」

ー小田垣さん:「そうですね。失敗も勉強ですね。楽しいことは忘れずに前に進んでいきたいと思っています。」

絆工房とかじか窯小田垣様

 

■「自分の意志で生きることは選択できます」

 

ものづくりの道を歩まれている小田垣さんだけあって、彼女の庭も情緒溢れる独特の世界観がにじみ出ている庭です。木漏れ日の差し込む樹木の中に、彼女の焼き物が見え隠れしています。
落ち葉や苔までも彼女の作品を味わい深いものにしています。さらに先月にオープンした母屋のギャラリー一室も見せていただきました。透かしの麻の着物が初夏の光と風を差し込み、古い蓄音機の上に作品である一輪挿しの山野草が揺れてます。焼き物に盛られた手作りのよもぎ餅、きなこ棒、甘酒もご馳走になりました。

動画でかじか窯をお楽しみ下さい。

 

「オープンガーデンにも参加して、色んな方々と付き合ってます。経験や知恵をいただき焼き物の幅を広げていこうと思っております。染色とか織物といった手仕事にもチャレンジして、そこから今までにない新しい焼き物を作ることができたらと思っております。同じ世界にいるとどうしても暗くなるから、色んな年齢の人や職業の人との交流を楽しんでいます。人は、生まれるのも死ぬのも自分では選択できませんが、生きることは選択できます
明日や来年のことはわかりません。今日の”今”を楽しむことにしています。「今でしょ!」っていう言葉、あれ本当ですね。(笑)
友達とのお付き合いも「今から〜にするけど空いてる?」って今日を大切にしてます。」

「迷いも不安も沢山経験し、迷いながら”何とかしないといけないことを何とかしてきた。これからも何とかなる!”だからこれからも不安はもちろんありますが、何とかしていこうと思っています。」


学校を卒業して自分の生きる道を見つけ、選択してきた小田垣さんの「生きることは選択できる」という言葉は説得力のある言葉です。 
 

自然との絆、作品との絆、仲間との絆の「今の」生活をていねいに暮らされている陶芸家小田垣さんでした

かじか窯
〒669-5354 兵庫県豊岡市日高町観音寺671
http://www.eonet.ne.jp/~kajikagama/

【勝手知ったる他人のペンション】No. 35ペンションてるてるぼーずオーナー野村征伸様

 

視線のピントを瞬間に合わせてしまうようなエネルギーを蓄えた緑で覆われた神鍋高原。
神鍋高原道の駅の裏手にたたずむチャコールグレーの建物が今回取材する「ペンションてるてるぼーず」。

神鍋の空気と自然に惚れて大阪より移住したというオーナーの野村さん。
チェックシャツにジーンズ姿で太陽のような笑顔で現れた野村さん。大柄な体型に口ひげを生やしてまさに「森のくまさん」のような風貌。

「実家が無駄のないシンプルな家具屋だったので、ペンションの外観もシンプルにこだわりました」という野村さん。そのペンションの1階ロビーで話しをうかがいました。

■大自然神鍋への大いなる旅立ち

 

ー笠原:「まずは、どういったきっかけで大阪から移住されたかその経緯を教えて下さい。」

ー野村さん: 「兄から紹介されたペンション北村のオーナーと一緒にお酒を飲む機会があったのですが、初対面でいきなり説教されましてね。頭にきて喧嘩になりました。
「おっさん喧嘩売ってんのか!」と僕が言うと
「喧嘩なら神鍋で売れ!」と言われました(笑)。
そして、彼との出会いがきっかけで「ペンションくるみの木」の手伝いを紹介され、冬の毎週末に神鍋に来てました。手伝う代わりに食事付きでスキーが出来る、こんな楽しいことはなかったです。
冬以外は、大阪日本橋にある家業の家具屋を手伝う生活が5年間続きました。そしてちょうど親父が病気で倒れた時に、神鍋の土地を買わないかという話が出たんです。5年間でペンションのオーナーの生き方に魅力を感じ、同じ人生なら楽しく生きてみようと。28 年前の1988年、25歳の時からペンション経営をスタートしました。」 

 

ー笠原:「奥さんとはどういうきっかけで知り合ったんですか?」

よく通る大きな声で話すオーナーとは対照的に物静かな奥様雅代さん。
笠原会長主催のおひねり勉強会メンバーのお一人。

ー奥様:「川西市出身で地元で歯科衛生士として働いていたんです。ボーとして何も考えずについてきたという感じですね。家族も反対はしませんでした。2人の息子も独立して、今は時間的に余裕もできておひねり勉強会にも参加しているんですが、久しぶりの勉強は楽しいですね。勉強すると今まで気づかなかったことがあるんですね。まだまだ出来ることもあるんです。また、出来るようになると楽しいですね。」

ー笠原:「モノの見方が変わるきっかけになるし、気づくこと、発見することが大切ですね。都会から移住してみて苦労とかありましたか?」

ー野村さん: 「苦労という苦労は感じたことはなかったですね。”郷に入っては郷に従え”です。
もちろん、最初の頃は、”隣保”という言葉すら知りませんでしたが、とにかくいろんなところに顔を出すようにしました。誰かに道で出会ったら必ず「こんにちは!いい天気ですね。」と挨拶しましたね。おかげさまで(都会から移住しても)苦労や違和感はそれほど感じませんでした。」

神鍋の自然と隣保にすぐに溶け込んだ野村さん。今は、沢山の役を引き受けておられます。

ー野村さん:「役を引き受けすぎちゃってます。(笑)でも値打ちつけて役をなかなか受けたがらないのはダメですね。役を引き受けるのも、やはり地域全体が活性化してほしいからです。うちだけ儲かっても仕方がないです。」

■てるてるぼーずの由来

ー笠原:「時代と共にお客様も変わってきましたか?」

ー野村さん:「昔は、予約される電話の向こうのお客さんとの声や、やり取りを通してどんなお客さんか分かりましたが、今は、ほとんどがネットから夜中に予約されるんですね。ですから、実際に来られるまでどんなお客様かわからないです。お客さんの数も減ってきています。求めるニーズがどこにあるのか、見極めが難しいですね。
ただ「焦らず、騒がず、一喜一憂せず」でいこうと思ってます。楽しんでやってます!」

ー笠原:「人口動態は確実に減ってきている中で便益、すなわち安さだけを追求する時代は終わりました。これからは、お客様の感性に響くもの、要は人生を豊かにできる特徴あるものを打ち出している会社のみが生き残るんじゃないでしょうか。それを実践している会社とそうでない会社の格差はますます広がっていくと思いますね。」

ー野村様: 「私も色々と考えています。夢は、この空間を出会いの場にしたいなと思っています。旅行者同士、見知らぬ人同士がつながりがもてるようにしたいですね。”勝手知ったる他人のペンション(^^)”として気軽に利用していただきたいです。普段着で来て自分の別荘のように泊まって下さい。」

最後に、てるてるぼーずのペンション名の由来をうかがいました。

「僕の頭を見ていただいたら分かるでしょ〜!。”見て忘れない、聞いて忘れない。”です。人に忘れられないでいることです。」 

絆工房も、お客様に忘れられないでいてもらうためのツールとしてこのニューズレターを2ヶ月に1回のペースで発行しております。

緑の野に花の黄色いの庭を蓄えた神鍋高原。
その森林の中に静かに佇む
「ペンションてるてるぼーず」。

そこのオーナーは心も風貌もまさにまんまるいハートの方でした。

〒669-5371  
兵庫県豊岡市日高町太田157−14
℡ 0796-45-1052

以上