kizunakobo

【絆のカタチ】No. 55 FC六間 三宅博人様

絆工房 ニューズレター絆のカタチFC六軒

 

絆工房 ニューズレター絆のカタチFC六軒

 

今回の取材は地元但馬を飛び出し神戸長田にあるFC六間様にお邪魔しました。


遠方の取材は、姫路のAC播磨イーグレッツ事務局長岡田様依頼2度目。
FC六間様は、地下鉄新長田駅を南下すると見えてくる六間道5丁目商店街の中にあります。
訪問したのは、寒さの厳しい2月。
まだコロナの風が吹き荒れておらず、誰1人マスクもせず穏やかな冬日和の午後。
FC六間様担当の営業増田も同行。

サッカーをしたことのない「町のサッカー屋さん」

お店に入ると真っ先に目に飛び込んできたのは、巨大なハイビジョンテレビ。
サッカーの試合が流れています。テレビを囲むように、サッカーユニフォームや女子アスリートの写真、グッズがディスプレイ。当社が制作した見覚えのあるサッカーユニフォームもあります。

オリジナルサッカーユニフォーム FC六間

ー三宅さん「まずは増田さん、いいユニフォームを作っていただいて有難うございました。僕は、昇華プリント知識はないのですが、昇華で出来ること出来ないことをきちんと教えてくれるのでほんと有難かったです。」


やったね、増田!

( よかった・・・)

ー笠原 「喜んでいただいて何よりです。ところで、三宅さんはいつからこのお店をされておられますか?」
ー三宅さん「7年前からです。よく人からそんなにやっているの?と驚かれますね。7年間しんどい時もありましたが、がむしゃらにやってきました。」

 

ー笠原 「まさに、継続は力ですね。」
ー三宅さん「FC六間は、地元商店街の活性化事業の1つで誕生したお店です。サッカー好きの人が集まる空間づくり、環境づくりを目指して自分の店だけでなく、地域全体が活性化出来ればと思っています。」

ー笠原 「サッカー関係のお店ということで、三宅さんはサッカーをされておられるんですよね。」
ー三宅さん「いえ、実は、僕はサッカー経験がないんですよ。野球をやってました。」

ー笠原 「サッカーをしていない三宅さんがサッカーに携わるお店を使用としたのはなぜですか?」
ー三宅さん「たまたま女子サッカーチームの試合を観に行ったのがきっかけです。ボールを必死で追いかけるプレーヤーのファンになりました。お気に入りの選手を応援したい!自分がサッカーをしなくても応援窓口になりたい!女子サッカーファンが集うお店をしたい!と思ったのがきっかけです。」

その言葉どおり、お店のコンセプトも

『サポーター一人一人が持っている熱い想いが集まり、サポーターの『輪』が広がるお店。女子サッカーサポーターが気軽に、快適に過ごせるお店』

町のスポーツ屋さんの苦労とそこからの脱皮

ー笠原 「サッカーグッズを販売するだけにはとどまらない、まさにづくりをされておられるお店ですね!」


ー三宅さん 「はい、ですからサッカーを応援するという柱を維持させる為に色んなことをしていますよ。
グッズ販売という単一のものを売るだけでなく、仕出しお弁当販売や、(体づくりの)ローションなども販売しています。周りから『何屋やねん!』って言われますが(笑)。会社は続けることが大事だと思っています。」
ー笠原 「そうですね。創業して10年続いている会社は全体の1割と言われています。10年すると時代も大きくかあります。中国の目を見張るような台頭がそうですよね。モノが何でも手に入る時代に、モノにコトをいれて商品に意味づけを与えないと生き残れない時代。売上は出たとこ勝負ではない。ビジネスモノ出るである儲かる仕組みをきちんと作っておけば誰がやろうと出来るもの。再現性のある技術です。」

ー三宅さん「本当にそうです。大資本がある会社は次がありますが、個人は次はありません。できすから本当にチョイスしてもらう為の勉強が大切。選んでもらえるお店になるよう、ここ何年も本当に休みなく働き、また勉強もしてきました。だから趣味は?と聞かれてもないんですよね。」

ー笠原 「FC六間は、店に来ると何か仕掛けてお店ということになりますね。環境づくり。豊かなビジュアルシーンを見せてくれる空間を目指しておられますね。」

ー三宅さん「今はSNSで生活を細切れに発信するようにしています。最初は、個人のプライバシーを出すのはどうかと思っていたんですが、発信しないと存在すら気づいてもらえない。この間も「入っていいんですか?」というお客様がおられて、あー入りにくいのか、と思ったり、結局お客様からは見えてない部分もあるんじゃないかと思っています。」

 

「ええ奴」は「どうでもええ奴」

ー笠原 「これからFC六間さんの目指したいことがあれば教えて下さい」

ー三宅さん「FC六間は、商店街の皆さんと一緒になって活動しているお店です。
出来る限り会議やイベントには参加してそうやってネットワークの中で自分の立場を明確にしていきたいと思います。そこでは、きちんと自分の考えを持っていること。「ええ奴どまり」にならないこと。あいつはええ奴と言われるのは、言い換えれば、どうでもええ奴なんですよ。あいつは抑えておかないといけない奴でなければいけないと思っています。」

ー笠原 「マスター(師匠)ということですね。」なぜ引き受けるようになったのか?

ー三宅さん 「そうです。あとはパイの取り合いではなく共有していく関係であること。取り合いをすると共倒れになりますからね。」

ー笠原 「業界をまたいでクロスしていく感じですね。」
ー三宅さん 「色んな事業をやっているのもそこなんです。またプレーヤーじゃなくても、サッカーをやってなくても来れるお店づくり。お店側もお客様もほどよい距離感を保ちたいと思っています。ポイントで縛るような関係でもなく、べったりでもなくゆるい関係。井戸端会議的というか、サロンのような環境を作っていきたいと思っています。」

ー笠原 「会社経営も環境づくりとマネタイズ出来る仕組みづくりが大切ですからね。ボールを蹴るという選択でなく、ファンという役を徹底するマインドこそが商売を続けていることに寄与しているんですね。今日はどうも有難うございました。」

地域、ファン、プレーヤーというつの柱で絆づくりを目指す神戸のお店 FC六間さん。
単なるモノを販売するというお店でないことが分かる取材となりました。

 

ユニフォーム新調制作
データ作成ー出力ー転写

オリジナルサッカーユニフォーム FC六間
オリジナルサッカーユニフォーム FC六間

 

昇華転写印刷オリジナルサッカーユニフォーム FC六間

以前の写真もいただきましたのでご紹介します。

オリジナルサッカーユニフォーム FC六間
オリジナルサッカーユニフォーム FC六間
オリジナルサッカーユニフォーム FC六間

以上

【絆のカタチ】No. 54 ローカーボハウス 友田 和子様

ローカボハウスともだあつこ

ローカボハウスともだあつこ

 

 

 

若い頃から体調を崩しがちで、出産後は産後うつやパニック発作にも悩まされたという、ともだかずこさん。
このままではいけないと暗中模索をしている中で出会ったのが糖質オフ(食事栄養療法)。炭水化物(糖質)を減らしてその分のエネルギーを良質なたんぱく質や脂質を補う食事。

朝から手作りパンやスイーツを作るほど炭水化物が大好きだった彼女が様々な人々の出会いを通して人生が変わったそうです。体がかわると心も変わる、心が変わると生き方も変わる。

ともださんが身をもって感じたものとは!?


常に体調不良が当たり前の毎日

ーともださん「糖質オフという食事栄養療法に出会うまで、私は精神疾患だけでなく、冷え性や慢性便秘、重度の夏バテなどに悩まされていました。長年、このようなの症状だった為こういう体質なのかと半ば諦めていたんです。出産するとさらに体調が悪化し、おまけに産後うつも始まってしまい、本当に辛かったですね。」

産後うつにより家族に助けてもらいながらの苦しい子育て。

—ともださん「私の体調は日常生活に支障が出るほどで、様々な病院を訪れました。ようやく私の体調不良の原因がわかったのが、広島のふじかわ心療内科クリニックの藤川徳美先生。藤川先生に診てもらったところ、私の体調不良はたんぱく質と鉄分不足が原因だと判明したんです。すぐに鉄分をサプリメントで補いながら、受診の半年くらい前から始めていた高たんぱくと低糖質食を継続しました。」

絆工房とともだあつこ

—笠原 「体調はどう変化しましたか?」

—ともださん 「パニック発作がなくなり、夏バテも年々軽減していったんです!今までの苦しさが嘘のように健康体になりました。それから、以前は食後はすぐ眠くなっていたんですが、糖質を控えた食生活にすると食後も眠くならないんです。糖質の摂り過ぎは、集中力の低下にもなると言われてますが、本当にこの事を身をもって実感しましたね。冷え性からも開放され、肌や爪の状態が非常に良くなりました。」

実際ともださんの爪はネイルしたかのようにツヤツヤと血色のよい爪。

—笠原 「医食同源、そして人間は食べたものでできていると言われていますからね。(世界ランキング1位のテニスプレーヤー)ジョコビッチ選手が、グルテンフリーの食事に変えたところ集中力が増してパフォーマンスが向上したと彼の本にも書いていましたが、ともださんも精神的になにか変わったことがありますか?」

 

■『あなたの糖質オフスイーツが食べてみたい。』その一言で起業

—ともださん 「今まで本など読まなかった私でしたが、集中力がついたおかげで積極的に本も読むようになりました。その結果、今まで知らなかった知識がどんどん頭に入ってきて面白いです。タンパク質を摂り、糖質を控えることで頭がすっきりしたり、集中力が高まったり、と心身ともに良くなったのが本当に驚きです。実は私の子供も体が弱くてすぐ風邪をひいてたんです。運動能力も極端に低く、周りについていけないことが目立ちとても悩みました。学校の勉強も本人は一生懸命やっているのになかなか集中して取り組みことが出来ない。そして息子も藤川医師に診てもらったところ、私と同じようにたんぱく質と鉄分が不足していることが分かりました。肉や魚、卵などの動物性たんぱく質を積極的にメニューに取り入れ、サプリメントで鉄分を補給したんです。すると体力もつき、学習能力も非常に向上したんです。いつも50〜60点だった漢字の小テストは満点に!何よりも本人が自信がついたのは本当に嬉しいことです。」 

絆工房とともだあつこ

 

—笠原 「高たんぱく&低糖質食をされた結果体調がよくなったともださんですが、ところでどういったきっかけで、お店を開業されたんでしょうか?」

—ともださん 「先程言ったように、集中力が増して以前は読まなかった本を読んで色々と勉強していくうちに、私のような病だけでなく、肥満や糖尿病、高血圧、癌などの生活習慣病や難病までもが食事&栄養で改善することを知りました。ちょうどその頃、趣味で糖質オフスイーツを作っていたのですが、フェイスブックに投稿していたスイーツを見て「ともださんの糖質オフスイーツを食べてみたい。」と藤川先生の声に励まされました。すっかりその気になって、糖質オフスイーツ作りに火が付き、糖質オフが必要な人たちの為に開業しようと思ったのがきっかけです。」

取材では、手作りの低糖質ガトーショコラケーキをご馳走になりました。一般的に甘さ控えめ、グルテンフリーといったヘルシーを唄っているスイーツは食感がパサパサしているものですが、ともださんのスイーツはしっとりと重く十分に満腹感があります。

—笠原 「お店を開くのもそうですが、本を出版するというのも大変だったんじゃないでしょうか?」

 

絆工房とともだあつこ

—ともださん「そうですね、一人で全てやろうとしたら確かに大変だったと思います。ある時、糖質制限の講演を聴きに行ったんです。そこで話されたドクターは,糖質オフの業界では有名な水野雅登医師。講演の後に糖質オフを広めたいという私の想いを伝えたところ「1人で全てをやろうとするのは、お金と時間の無駄です。自分が持っていないものを持っている人と一緒にすれば、想いは叶うものですよ」と言われたんです。その後、糖質オフスイーツの出版が決まった際、水野先生にご監修いただき一緒に本を作り上げました。」

—笠原 「1人よりも、2人、2人よりも3人ですね。絆工房でも、チームで仕事することに取り組んでいます。最後にともださんにとっての絆とはなんでしょうか?」
—ともださん 「やはり藤川先生や水野先生との出会いがなかったらここまで出来なかったと思います。本当に人に恵まれました。体質も改善しましたし、大好きなお菓子作りを諦めることなく糖質オフスイーツとして開業や本も出版できました。」

—笠原 「お二人の先生がともださんにとってはメンターということですね!今後の生き方を教えていただけませんか?」
—ともださん 「今、子供達の不登校や発達障害というのが問題になっていますが、心や発育の問題というのは実は食べ物からの影響も受けています。それを気づかないことが多く、またどこにその悩みを相談したらいいのかわからない親御さんも多いと思うんです。ですから、もっと積極的に講演やセミナーを開いていけたらと思っています。」

良薬は口に苦し

「これは体に良いんだから。我慢して食べなさい!」
誰しも小さい時に親から一度は言われた言葉。暗示のような、脅迫のような言葉。
自分だけでなく次世代にとって体も心も健康になるために本当に美味しいものとはなにか、
改めて考え直す取材となりました。

 

絆工房とともだあつこ

以上

【絆のカタチ】No. 53 渡辺瑞帆様

青年団 渡辺

 

進学を機に地方を離れると次世代がなかなか戻って来ない地方都市。
ここ豊岡も多くの地方都市と同じ人口減少問題を抱えています。そんな人口8万弱の我が街に、世界的な劇作家であり演出家の平田オリザ氏が自ら主宰の劇団「青年団」を率いて移住されています。
そして現在『芸術』地方都市計画を進行中。
その「青年団」のメンバーの一人であり6月に豊岡に転居してきた空間デザイナーがいます。

渡辺瑞帆さん。
若干28才ながら行政と地元民の架け橋になるべく東奔西走する彼女に今回お話を伺いました。 

■ 『街を劇場にしたい』

 

― 笠原 「渡辺さんは出身はどちらですか?」
― 渡辺さん「東京生まれの東京育ちです。一人暮らしは、豊岡の地がはじめてです。」

― 笠原 「デザイナーということですが、どこで学ばれたんですか?」
― 渡辺さん「早稲田大学理工学部で建築学を専攻しました。建築学といっても、理工学部は、衣装ファッション、公共施設等のデザイン、そして構造設備の3つの専攻分野があり、私はそこでデザインを専攻しました。御社でされているシルクデザインも学生時代よくやりましたよ。原宿にある東郷平八郎が祀られている東郷記念館のソファの原画のデザインもシルクで手がけました。」

― 笠原 「空間デザインとは具体的にはどんなことをデザインをされてるんですか?」
― 渡辺さん 「店舗のディスプレイ、展示会での人の動き、それに応じた導線づくりや商品の配置をデザインします。」

4年間の学士後もさらに大学院で2年勉強。

― 笠原「もともとデザインが好きだったのですか?」
― 渡辺さん 「そうですね。私の通っていた都立高校というのは、文化祭となると全クラスが演劇するんです。1学年7クラスなので3学年あるので21クラスが毎日上演します。代々木公園で劇の練習したり、表参道をジャージ姿で歩いたり、赤坂離宮をマラソンをしたりして1つのものを皆で作り上げるような学校でした。」

展示会のデザイン構成、カタログ制作、PR活動、道具の責任を負うキューレーターの素地を高校時代に築いたそう。
劇は、俳優だけでなく、台本脚本担当、舞台装置担当、照明、音響等、全てが1つになって創り上げるアートプロジェクト。1つの目標に向かって同級生との絆を深めた渡辺さんは、大学に入ってからも数々の芸術を空間デザイン観点から取り組んでいきます。平田オリザ氏の『青年団』に入団したのもちょうどその頃。


― 渡辺さん 「劇団といっても私は、俳優ではありません。俳優というアーティストに伴走するキューレーターとして、空間という場所をデザインしていきます。」

― 会長 「卒業後の就職はどうされましたか?」
― 渡辺さん 「院を卒業してから3年ほど建築事務所に勤めました。両隣の席の先輩は大学校舎の建築に携わったり、海外の大きなプロジェクトを進めていたりしていましたね。皆海外を目指しているような環境でした。私もこの前タイのワークショップのデザインを友達と一緒に手がけましたが、やはり海外の人と一緒に働くのはいいですね。」 
国内だけでなく海外の人ともしっかりと絆を築いて仕事をする渡辺さん。


絆工房と劇団『青年団』渡辺瑞帆

― 笠原 「若い時に海外に行くのは非常にいい体験だと思います。自分のいるところから外に出ると、違いに気づきます。違う価値観が分かる。違いを排除するのではなく、海外で価値観の違う人間関係を築ける人間になってまた地元に戻ってくる。それが街を変えると思っています。環境は大切です。僕も会社の環境づくりに取り組んでいます。「楽しく仕事をする」環境づくりです。絆工房はオリジナルユニフォームを作る会社ですが、それは仮りの姿であり、ユニフォームを通して絆づくりをする会社というのが、真の姿なんです。」

 

■ 『キーワードは広場』

 

空間デザイナーの知識はもちろん、色んな学術分野にも精通しているのが会話を通して伝わってきます。ゆっくりと穏やかに話す一方で、質問するとその内容に沿った歴史的事実や文献を引用しながら、自分の学んだ体験や感じたことを理論的に話す彼女。引き出しを沢山持っている才色兼備な女性。

ー渡辺さん 「時間単位で計画通りにきちんと物事を進んでいくのが好きですね。ただ没頭すると体を壊すまで働いてしまい、良くないですね。」

ちょうど取材日の前にも東北地方のプロジェクトや奈良のプロジェクトに飛び回り、その結果風邪を引かれたらしく取材中も咳をされていた渡辺さん。そんなエネルギッシュな彼女が、人口減少によってシャッター商店街が広がるこの土地を、空間デザイナーがどうフランスのアビニョン演劇祭のような世界最大の国際演劇祭を開けるような豊岡へと変貌させるのか。

絆工房と劇団『青年団』渡辺瑞帆


― 渡辺さん 「大事にしているキーワードは『広場』です。人が集まるようなパブリックハウスのような、人間らしくいれる広場を豊岡で創りたいです。イギリスのお酒を飲む場所「パブ」、この語源は、パブリックハウスといって社交場、情報交換の場所でした。豊岡でもそういう広場があちこちに点在し、人が動き、芸術が生まれ、集まる広場を創りたいです。駅を降りたら歩いていける劇場があり、そこにたどり着くまでに人が集る広場が点在している街全体が1つの劇場のような街。人の動きの導線作りのための土地を探していると、よく使用目的を聞かれるのですが、私が決めるものではなく、皆が話しあいながら決めていくものです。私はキューレーターとして皆さんの想いをお手伝いする立ち位置として活動しています。」

― 笠原「芸術で街を潤すのは大変なことです。」


― 渡辺さん 「そうですね。IT企業が来るなら直接的経済効果はあると思います。ただ、芸術というのはもっと2次的なものです。人生をより良く、そして、人生の幅を広げるものが芸術です。」


― 笠原 「技術は再現性があり、芸術は唯一無二。人間は時間と空間の制約の中で人は生きています。この世は所詮大いなる暇つぶしと言われています。その制約の中で、人生の演者として檜舞台で楽しんで仕事をする。そうすることで人は成長していきます。そういう意味では芸に通じるような仕事の仕方が大切ですね。僕は常にスタッフがそういう仕事の仕方ができるような仕組み作りに取り組んでいます。」


― 渡辺さん 「東京にいたら稼ぐ手段はいくらでもありますが、私は来年の自分が予測できるようになったら終わりだと思ってます。今やっているバイトをこの先10年もしているのを予測できるような仕事ではなくて、ですね。」
― 笠原「そうですね、時給の仕事は終わりの時代に入ってきてるんじゃないかな。」


― 渡辺さん「学生時代もその時できるようなバイトはせずに、自分しか出来ないことをやってましたね。東京から来たというと、豊岡の方は、よくこんな田舎に・・と言われますが、豊岡はとても素晴らしい街です。ここで本当の革命を起こしたいですね。」


― 笠原「イノベーションは、若者、よそ者、馬鹿者から始まる、と言われてます。頑張って下さい。」

 

絆工房と劇団『青年団』渡辺瑞帆


取材が終わったのが夜でしたが、翌朝は高校で話しをするという彼女。「家に帰って、話す内容をまとめないと。」 
新しい土地で、新しい人と絆を築き、近い将来、豊岡で小劇場が点在し、芸術を愛する若者が溢れるようになった時その時、再び彼女の取材でみせたしなやかな瞳の輝きを思い出すはずです。

 

以上

【遊びの中に学びがある】No.49NPO法人かんなべ自然学校 代表前田敦司様 

絆工房と神鍋自然学校

絆工房と神鍋自然学校

黄金色に色づきはじめた11月の神鍋高原。学校と民間のちょうど中間地点で子供たちを育成したいと2011年『NPO法人かんなべ自然学校』を立ち上げた前田敦司さん(33才)。
標高のある神鍋はやはり山里よりも気温が低く肌寒いため、ストーブを囲んでの取材となりました。

 

■ 学校でも家でも出来ない教育をしたい

 

尼崎、大阪、東京と都会でデザイン会社の内装を手がける現場監督件営業マンとして
約10年ほど働いていた前田さん。

ー笠原「都会で働いていて故郷に戻ってきた理由はなんですか?」

ー前田さん「東京にいた時に東日本大震災を経験し、放射能影響が不安になってこちらに戻ってきました。
もともと好きな仕事が“ガイド”だったので、生まれ故郷の自然豊かな神鍋の地でガイドとして働きたいなと思い、ちょうど神鍋観光協会がジオパークガイドの募集をしていたので2011年からガイドとして働きはじめました。」

ー会長「どうしてこの学校を立ち上げようと思ったのですか?」

ー前田さん「2年間ガイドとして勉強した後、未来ある子どもたちに自然の中で何かを学んでもらいたいと思ったからです。学校でも家でも出来ない教育が出来たらな、と。学校はずっと同じメンバーで上がっていきますよね。でも私の学校は20人定員で年齢、出身、性別もバラバラ。いわば、社会の縮図です。」

絆工房とかんなべ自然学校前田様
                   学校の横に手作り露天風呂建設中



ー会長「日本の学校教育は、詰め込み教育です。他の生徒よりも1点でもいい点数を取ることに努力しろという。そして頑張って日本の最高学府の東大に入ったものの、世界の大学ランキングで東大はトップランキングに入ってないんですよね。他の生徒よりも自分がとにかく上を目指し、いい大学、いい会社に就職した。そして、さらにいい営業成績を残して上司になって部下も出来た。その時に、部下への応援の仕方がわからないという問題に直面します。それまで他の人を蹴落としてでも自分が上に上がることだけを考えてきましたからね。」
ー前田さん「そうですね。この学校をNPO法人にしたのも、応援するし応援してくれる組織にしたかったからです。人は本来“有難う”という言葉を聞きたいものです。活動を通して子供たちには助けることの喜びを知ってもらいたいですね。“遊びの中に学びがある”と思っています。映画『のぼうの城』のような応援してくれる人が周りにいる人を育てたいですね。」

ー会長「今は、人から応援される力が高い人が成功する時代じゃないかな、と思います。だからこそ応援してくれる人を育てる事が必要ですね。」

■ 神鍋の魅力とは

絆工房とかんなべ自然学校前田様

ー笠原「ここ神鍋に自然学校を立てられましたが、神鍋の未来に対するビジョンがあったら教えて下さい。」

ー前田さん「スキー以外での神鍋ブランドを考えていきたいと思っています。お金を出さなくても来るだけで楽しい体験が出来る神鍋になれば、と思っています。」

ー笠原 「神鍋は既にいいものが沢山あります。その魅力に気づいていないだけで掘り出して磨いていきたいですね。玉石混淆の状態から宝石となる原石を掘り出していくんです。その為に、まずは理念を明確にすることが大切ですね。」

 

ー笠原「今後の目標についてお聞かせ下さい。」

ー前田さん「今は、前田敦司がやっている「かんなべ自然学校」というものを、自分が離れても運営できるようにしておきたいです。また、夏休みやGWとか休みの期間での活動が多く15プログラムほどあるのですが、1年を通しての活動をしてみたいな、と思っています。東京から田舎に戻って居心地はいいのですが、ともすれば、ぬるま湯状態になるというか(笑)。だから常にハングリー精神を失わないようにと思っています。」

 

■面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり

絆工房とかんなべ自然学校前田様



ー笠原「頑張っておられますね。活動していく中で感じる人との絆があればお聞かせ下さい。」

ー前田さん「学校を設立してから色んな人との絆がありましたね。地元だけでなく、愉快な仲間が沢山いますね。そうですね、例えば(かんなべ自然学校理事)田口幹也さんには仕事をきっちりするとはどういうことなのかも教わりましたし、人生の転機は、ゆかりさん(奥様)ですし♪本当に色んな人との出会いがありました。」

ちゃんちゃんこ姿が冬隣の神鍋の山にぴったりの前田さん。趣味は、「映画鑑賞」と「人と喋ること」という人懐こい丸い目をした彼と同じく組織を運営していく経営者の笠原。
お互いの視点からみた「神鍋」の将来について熱い会話のラリーが続き、あっと言う間に時間が過ぎていきました。

ー会長 「最後に座右の銘があればお聞かせ下さい。」
ー前田さん「先ほど述べたように、“遊びの中に学びがある”と、“面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり”ですね。」

【仕事は人間関係が運ぶ】No48吉谷建築 吉谷貢様

地震、台風、豪雨、火山噴火など今年(2018年)は多種多様な災害が日本列島をくまなく襲い、絆工房のある兵庫県但馬地方も記録的な降水量に見舞われました。今回の取材は吉谷建築の吉谷貢さん。

大工事業だけでなく、クロス再生クリーニングという新たな事業も取り入れて日本の『家』のリノベーションに情熱を注いでいる貢さん。
一人で大工業のみならず新事業の企画、営業までこなしておられます。
その情熱のフレームワークになっているものとは・・


■ 職人の家に生まれて

平成29年にお父様から家業を引き継いだ吉谷貢さん。
ゴルフが大好きというだけあっていい感じに日焼けされています。

ー笠原:「会社を継ぐ前は何をされてたんですか?」
ー吉谷さん:「大阪の建築の専門学校を出てUターンで大工として父の会社で働いていました。」

ー笠原:「ほぼ十年間お父さんのもとで働いた後で、去年家業を継がれてどうですか?社長業をやられて1年経ちましたが。」

ー吉谷さん:「以前は大工というポジションだけでやっていましたが、代表になってからは何でもやりますよ、という切り口で仕事をするようになりましたね。」

ー吉谷さん:「屋根を見ると、家屋のことが分かります。そこで「屋根を直した方がいいですよ」と教えてあげる。そこから会話をしていくと、「じゃあ家の中も見て」となります。(家の)悩みやトラブルは解決できる自信はあるので、家に入らせてもらったらすぐにどこがトラブルであるか見つかるんです。」

ー笠原:「そうなんですね。具体的にどんな仕事をされているんですか?」
ー吉谷さん:「大工業はもちろんですが、今は壁のクロス再生事業もしています 注1)。皆さんにこのクリーニング法をお伝えすると「え、壁を洗うことが出来るの?」と驚かれるのです。まだまだ知らない方が多いんですね。壁のクロス再生をもっと知 ってもらうために地元以外でも販路拡大していこうと思っているところです。クロス再生は本当に注目ですね。」

ー笠原:「一点突破全面展開ですね。」

絆のカタチ

 

■ 仕事は人間関係が運んでくる

ー吉谷さん:「父の代では待っていても向こうから仕事がきた時代でこちらからは営業はしなかったようですが、今は待っていても仕事は来ない時代です。こちらから「屋根をそろそろ変えた方がいいですよ」と教えてあげたり、クロス再生を紹介したりと積極的に会話をしています。」
ー笠原:「結局、人との関係が仕事を持ってきてくれるんでしょうね。吉谷さんにとっての絆とはなんでしょうか?」

ー吉谷さん:「そうですね、商工会に入ったことで新たな絆が生まれましたね。周りに勧められるままに入りましたが、近隣に自分と同じような年代、しかも仕事の話しが出来る仲間がいるということは本当に良かったと思います。」

何気ない会話を通して家に住む快適さのヒントを伝えしたり、仕事の話しが出来る沢山の仲間に囲まれている吉谷さん。100歳時代に突入した日本人の命を守る長寿の家づくりを若き日本人が展開しています。

 

以上

 

 

吉谷建築

〒669-5314 兵庫県豊岡市日高町赤崎487  Tal/Fax 0796-42-2804

注1)クロス再生工法当社独自の洗剤と灯具でクロスの表面および内部についた汚れ(有機物)を水と酸素に分解する特許技術です。【特許 第3261499号】 表面だけをきれいにふき取るのではなく、内部の汚れをくまなく分解除去しますで、洗浄後に汚れが浮き上がって来ることはありません。        吉谷建築公式HPより

注2)一点突破全面展開孫子の兵法 ランチェスターの法則に基づく現在のビジネス・マーケティング でよく使われる戦略。どこか一箇所を集中的に戦略するとそこからオセロのよ うに全面的に展開する。

 

 

【次世代が継ぎたいなと思える会社づくり】No47株式会社ハイロン代表取締役 西垣 宙志 様

絆工房とハイロン

絆工房とハイロン

 

「天空の城」と呼ばれる竹田城のある自然豊かな兵庫県朝来市。その町に株式会社ハイロンはあります。
40年以上前に「西垣商店」として業務用モップ・洗車用品の製造・販売をしていたハイロン。
その培われた高度な厚物縫製技術を生かし、2014年より自社オリジナルトートバック「HYLON」の製造・販売もスタート。
今日は、その2代目代表取締役の西垣宙志(ひろし)さんに絆のカタチを伺います。


■ 机上では学べない経営学

 

 ー笠原:「会社をお父さんから引き継いだのはいつからですか?」
ー西垣様:「大学を卒業した2年後の25歳の時で、今から16年前くらい前です。」

ー笠原:「なにかきっかけでもあったのですか?」
ー西垣様「大学卒業後アパレル関係の仕事をしていた時に父親が体調を崩しまして、会社を継ぐか継がないかを決めろと電話でいきなり言われました。今も大変ですけど、引き継いでから数年は、ホントにしんどかったです。」

ー笠原:「大学は何学部だったんですか?」
ー西垣様:「経営学部でした。でも会社経営って学校では教えてくれませんね(笑)。 」

ー笠原:「経営っていうのは、実際にやりながら現場で学んでいくものかも知れません。中国に縫製工場もあるそうですが、どうやって中国市場を開拓してたのですか?」

ー西垣様:「昔勤めていた名古屋の会社の元上司が台湾人でした、彼を通して中国市場にパイプを作る事が出来たんです。」
ー笠原:「それはすごいですね。元同僚の方との絆があったからこそ中国工場が設立できたという訳ですね。」
ー西垣様「そうですね、今でも彼とは交流があります。3年前には中国だけでなく、ベトナムにも工場を1部移転しました。」

ー笠原:「言葉の壁とかはどうしてるんですか?」
ー西垣様:「最初は、通訳を介して僕が交渉をやっていましたが、契約が決まってからはスタッフに任せています。英語でやり取りしています。」

ー笠原:「ところで、モップの製造・販売業と平行しながら、トートバックも手がけられるようになったのはいつ頃ですか?」
ー西垣様:「清掃入れの鞄は以前から取り扱ってはいるのですが、ある時、モップ卸業者さんが鞄を作る会社を探しておられたので「うちで作りましょうか?」と言うと「出来るの?」と言われ、「わからない(笑)」から始まりました。3年前のことです。それと、それまでは自社ブランドの鞄はありませんでしたので、やってみようかなと。」

ー笠原:「新しいことにチャレンジされたんですね。ところでハイロンという名前の由来は?」
ー西垣様:「僕の名前が(ひろし)HIROSHIで昔のメールアドレスがひろんHIRONだったんのでそこからハイロン(HYLON)と名付けました。」 

■ 社員に任せられる組織づくり

絆工房とハイロン様

ー笠原:「将来の会社の掲げる目標や西垣さん自身の夢とかありますか?」
ー西垣様:「会社を大きくするというよりも、長く継続していける会社にしたいと思っています。僕が引退した後にこの会社を継ぎたいなと言ってもらえるような会社にしておきたいと考えています。社員が働くことを楽しめる会社にしたい、その為には魅力ある事業内容にしないと・・・、と思っています。」


ー笠原:「そうですね、絆工房の経営理念も「楽しく仕事をすること」です。その為に経営者としての僕の仕事は何かと言われたらスタッフの働きやすい環境を作ることだと思っています。ただ、楽しく仕事をする=好きなように仕事をするのとは違います。時には嫌わられることもいといません。ですから嫌われたくないと思う人は社長には向いていません。 “三方よし”という考え方が大切な様に思えます。また何事にも果敢に挑戦して行かなければ・・そう考えると社長職というのは能力よりも適正でしょうね。」


ー西垣様:「しんどいですけどね(笑)」
ー笠原: 「そう、しんどいです。でも逃げなかったら道は開けます。」


ー西垣様: 「そもそも、僕の場合は逃げ道がなかったっていうのもありますね。(笑)父親から会社を継いで大変なこともありましたが、父が地元のつき合いで築いてくれた信頼や基礎というのも引き継げたことは良かったと思っています。これからも色んなことにチャレンジしていきたいです。」


ー笠原: 「そうですね、途中投げ出すことはいつでも出来ますから(笑)。」


元同僚との絆、次世代への絆を一針一針丁寧に紡いでいく株式会社ハイロン。
梅田ロフトにハイロンのトートバックが展示中です。(2018年夏。現在は終了)新緑に染まる竹田城のように鮮やかさでオーガニックな風合いをまとってデビューされてますのでご覧になって下さい。

 

【店に入った瞬間の空気感を大切に】No.46まるさん物産店 脇 坂 優子 様

絆工房とまるさん物産

 

絆工房とまるさん物産 
官民一体で行う「温泉総選挙2016」の「インバウンド(外国人観光)部門」で1位に選ばれた城崎温泉。

5年で36倍の外国人観光客を集客した城崎温泉で3代にわたってお土産店を営むまるさん物産店。
客層が大きく変化した城崎温泉の中でお土産店を営む想いと絆の話しを伺いました。
 


■ 時代に応じてフレキシブルにそして 温かく対応するお店 

絆工房とまるさん物産


『アリガト!』片言の日本語でサイダーを買う浴衣姿のヨーロッパ系の外国人カップル。


その横では、風呂敷を見ているアジア系の家族連れ。


「一昔前とは大きくお客さんの層が変わりましたね。」そう言って語るのは、2代目の奥様である脇坂優子さん。

―笠原「最初から城崎でお土産屋さんをされてたんですか?」
―脇坂さん「いえ、最初は祖父が竹野でお櫃屋をしていましたが、大正10年に城崎に移りました。プラスチックの普及、旅館の数の減少といった色々な理由で自然とお櫃の需要も減っていきました。昭和30年に商売をお櫃屋からお土産店に転向しました。」


―笠原:「昔はどんなお土産品を売られていたんですか?」
―脇坂さん:「子供のおもちゃですね。こけしなどの木竹工芸品もよく売れました。」

絆工房とまるさん物産
昔の城崎風景が彫刻されたしゃもじ


―笠原:「先程も言われたんですが、昔と今で客層は変わったとのことですが、どう変化しましたか?」

―脇坂さん:「昔は、日本人の一見さんや団体客が多かったのですが、今は若い女性と海外観光客が多いですね。流行に敏感な若い女性客向けの商品を揃えるようにしています。女性が入ると男性も後からついてきていただけますねね。とにかく流行が早いですね。この商品が欲しいと携帯を見せられるんですが、見せられた時には既に取り扱ってないといったこともあります。また日本人規格で作られたものは、海外の人にはサイズが(小さすぎて)合わないものもあり苦労します。コミュニケーションに関しては、スマホの自動翻訳や、身振り手振りでなんとかなるものですよ。(笑)英語サイトも作っております。」

流行も女心と一緒で早いといったところでしょうか。
 

 

■ お店の雰囲気が何よりも大切

 
―笠原:「お商売をする上で大事にしていることは何ですか?」

絆工房とまるさん物産


―脇坂さん:「お店の雰囲気ですね。雰囲気のいいお店がどうかは店内に一歩足を踏み入れた一瞬に分かるものです。敷居の高くないアットホームな雰囲気のお店づくりを信念としています。そのことは厳しく娘に伝えています。」


―笠原「娘さんはどうですか?なにかこうしたいっていうものはありますか?」
近くで忙しく接客されておられる3代目奈王美様。


―奈王美さん:「まるさん物産しか売ってないオリジナル商品をさらに取り揃えていきたいと思っています。」

覇気のある声と温かな人柄はお母様の大事にされているお店の雰囲気づくりの想いを既にしっかりと引き継がれておられます。

―脇坂さん:「娘には可能な限り現場(店)に出るように言っています。今は、娘にお店を任せていますが、私もなるべく出るようにしています。現場でしか分からない、学べないことが沢山ありますからね。それから粗末なことはしないし、粗末なものも売りません。商品の”質”を大切にしていきたいです。それから、やっぱり店の雰囲気づくり、これが何よりも大事だと思っています。」

城崎温泉に毎年来られる度に手ぬぐいを買われるリピーターのお客様がおられるまるさん物産店。何故毎年買われるのか?それはやはりお店の空気感を大切にされている脇坂親子の絆が引き寄せたことにあるように映ります。
 


【日本一浴衣の似合う町づくりを目指す】No.45「いろは」系谷 瞳様  

絆工房といろは

絆工房と浴衣販売レンタルのお店「いろは」系谷 瞳

日本の温泉100選のトップ10に有馬温泉と城崎温泉2つの温泉がランクインする兵庫県。
志賀直哉をはじめ多くの日本の文豪に愛された城崎温泉。
ここ最近は、海外からのインバウンド旅行客が急増し、5年で36倍にもなったこの温泉地の目抜き通りにあるのが今回取材した浴衣販売レンタルのお店「いろは」。
老舗の温泉旅館が立ち並ぶ中で去年オープンした理由、将来のビジョン、絆のエピソードを若女将である系谷さんにお話をうかがいました。
浴衣の着方をイラストと英語で説明した「手ぬぐいBOOK」を絆工房が印刷させていただいたご縁で今回の取材が実現しました。
いろは てぬぐい帯

 

■ 高校3年 海外から見た日本と自分

 
絆工房と浴衣販売レンタルのお店「いろは」系谷 瞳

 

—笠原:「海外観光客はやはり多いですか?」
—系谷さん:「確実にそうですね。今日も午前中、アジアからの女性観光客が浴衣を利用され今お出かけになったところですよ。」
ちょうど取材の為お店に向かう途中ですれ違った浴衣姿の東南アジア女性二人組。
日焼けしたエキゾチックな雰囲気に、浴衣がよく似合っています。
普通、海外の人が日本の着物や浴衣を着るとコスプレになったり、バスローブのような感じになりがちですが、
『いろは』では、着付けのプロの着付けスタッフが常時。
へアーセット込みの嬉しいサービスをしておりあっという間に着崩れしないしっとりした大和撫子にスタイリング変身させてくれます。
瞳さんご自身も京都で着付けを学ばれ、体に馴染んだ美しい着物姿で接客しておられます。
—笠原:「はじめにこの城崎温泉でお店を立ち上げた経緯を教えていただけませんか?」 —系谷さん:「17歳の時に、母の着物の着付けの先生からギリシャ・アテネで行われる10日間の着物ショーに参加してみないかという
お話しをいただきました。現地の人たちから矢継ぎ早に
「日本では着物は毎日着ているの?」
「あなた舞妓さん?」と質問されたのですが、そこですぐには答えられない自分がいたんです。

ちょうど進路で大学に行くかどうか迷っていたんですが、大学で特にこれを学びたい!というものもなかったので、
そういう状態で進学して果たして何かを見つけることが出来るのかな、と思ったんですね。

ちょうど進路を決める時期に海外の着物ショーに参加したことでもっと日本文化や着物のことを学びたいという思いが強くなりました。

まずは、京都で2週間ほど着付けを学び、高校卒業後に母のお店「きものサロンけいたに」で働きはじめました。」 同級生の多くが進学する中、その流れに飲み込まれることなく、「自分の人生を自分で決めて」着物の世界に進んだ系谷さん。

お母様のもとで働いていく中で、自分の経験を活かしたお店を展開したいと思い始めました。
それは、日本人だけでなく海外の方々も気軽に楽しめる和装専門サービスをと考え、
城崎温泉に去年の2月にゆかたの販売レンタルのお店ゆかた専門店「いろは」をオープン。
現在に至るまで約3500人のお客様がいろはの浴衣で情緒豊かな城崎での散策を楽しまれたとのことです。
取材の日は、秋の日差しが暖かく感じられる11月末。
既に二人組の若い女性が店内で好きな柄の浴衣を選んで着付けの真っ最中。
普段着でお店を訪れて、ヘアセットも着付けも店内で全てコーディネートできる「いろは」。
―系谷さん:「お友達同志やカップルのお客様が多いですね。
インスタ映えする浴衣と町並みを楽しみ思い出を作りたいから、というリピーターの方もいらっしゃったりと、嬉しい出会いが沢山あります。
城崎温泉に訪れる方の笑顔を沢山残したいと思っています。それはきっと、浴衣が繋ぐ絆作りのツールになっていると思います。」
絆工房と浴衣販売レンタルのお店「いろは」系谷 瞳

■Sightseeing (観る観光)からSightdoing (体験型観光)へ

 

—笠原:「これからは、城崎温泉に来て温泉に入って観光した、というだけではなく、
【体験型の観光】が主流になってきますね。自分が観光地で何がしたいのか、
単に、観光して、美味しいものを食べて、温泉に入って楽しかったという従来の観光ではなく、
好きな柄の浴衣を選んで、それを着て町を観光したという【体験】が大事だと思います。
見る(see)ではなく、行動(do)する観光。自分が主人公になるストーリーのある観光です。
ところで、「いろは」というお店の名前の由来を教えて下さい。」

 

—系谷さん:「物事の基本や基礎を意味する“いろは”から来ています。
お客様には浴衣を通して和装のいろはを知るきっかけを作っていただければとデザインしました。
お店のロゴマークの丸、三角、六角形は着物の和柄でよく使われています。
店の名前もロゴマークも、シンプルでないと伝わらないと思い、漢字ではなく平仮名にしました。」
—笠原:「わかりやすくて、日本的でとてもいいですね。最後にこれからのビジョンがあれば教えて下さい。」
—系谷さん:「日々の生活にもっと和装を浸透させていきたいと思っています。」
絆工房と浴衣販売レンタルのお店「いろは」系谷 瞳

 

週に何回かお手伝いに来られる瞳さんのお母様。
「仕事が忙しく子育てはおばあちゃんに任せていましたので、
娘とゆっくり時間を過ごしたのは高校生の時に連れていった着物ショーが実は初めてでした。」

それまではなかなか親子の時間がとれなかったのが同じイベントに参加し時間を共有することで今までの時を埋めるように急速に親子の絆を深めていかれた系谷親子。 「一卵性双生児よね。」とお互いに微笑む二人。 日本の文豪たちに愛された城崎温泉が、海外の現代の文豪達に愛される日がもうすぐ来ています。 浴衣レンタルのお店 『いろは』   (10:30~18:00 20:00~22:00 定休日 木曜日)   〒668-6101 兵庫県豊岡市湯島449    TEL / FAX:0796-32-0168

【次世代が戻ってきたいと思える町に】No.44大島興産株式会社 常務取締役 大 島 康 弘様

絆工房とトマト大島常務
絆工房とトマト大島常務
絆工房とトマト大島常務

「絆さんとは24年前に幟をやってもらったのが最初だったかな。」


お客様との打ち合わせ電話が終わり,そういいながら、奥の部屋から現れた大島さん。
幅の狭いラインが上品なペンシルストライプ柄のズボンとベストがスタイリッシュな大島常務。

若い経営者が取り組む絆の話しを伺いました。
 


■ 多くの出会いを通して経験を重ねた経営者

 

絆工房トマト大島常務

 
笠原「24年前からの付き合いになるんでしょうか。最初は幟で、広告、今はチラシですね。どうですか?(当社担当者は)ちゃんとやっていますか?(笑)」

—大島常務「もちろん!こういうやり取りはコミュニケーションが大事。業界では当たり前のことをどうきちんと伝え、それをチラシに反映できるかが大事です。伝わりにくいところを伝える難しさはあります。」

—笠原:「何事もそうですね。ところでいつからここで働いておられるんですか?」
—大島常務:「若い頃は伊丹にいたんですが、成人式に参加する為にお正月に帰省したんです。ちょうどお正月は人手不足ということで手伝うはめになり、結局成人式も参加できませんでした。(笑)
そしてそのまま働くことになり現在に至ります。 30代はがむしゃらに寝ずに仕事して、本当にしんどかった。子供たちのがお風呂に入る時間帯も働いていましたから、子供たちともっと一緒に入りたかったなっていうのが唯一の後悔でしょうか。今思うと、30代というのは空回りの30代というのかな、ずっと背伸びをしていたので壁にぶちあたってもジャンプする力もなかったですね。でもその中で、いい出会いやいい経験があったんですね。そういう人たちのおかげで、乗り越えられたと思います。」

 
—笠原:「いい出会いと言うと?いわゆる人生のメンターにあったわけですね。どんな方ですか。」
—大島常務:「おやじと野村監督ですね。おやじは僕の原点です。『世の中に完璧はない。あったらトラブルという言葉はない。トラブルがあるからメンテや掃除をするんだ。』『都会の100円と田舎の100円は同じ。でも田舎はもっと重みがある。田舎で信用をつくるのは大変なことだ。田舎を舐めたらあかん。』が口癖。野村監督は、彼の本は全て読みました。読んでみると、ほぼ同じことを伝えていますね。 “人の値打ちは失敗するかどうかではなく、失敗から立ち上がれるかどうかである”とかです。答えをもらったというか、癒されましたね。」
忙しい日々の中で読書家の大島常務。事務所には沢山の本が置かれています。いつかは自分の自叙伝を書いてみたいという熱い経営者。

 

絆工房トマト大島常務

 

■ 町の発展と共に歩む会社づくりを目指す

 
—笠原:「大島さんにとって絆とはなんだと思いますか?」

—大島常務:「絆というと、引っ張りあったら切れるもの。お互いにいい感じで引き合うものではないかと。田舎で商売をしていると、地域との絆も非常に大事ですね。但馬はどんどん人口が減っていっています。(都会に)出ていく子ばっかりで、戻ってくる子も住みたいと思える町にしたいです。その点で自分に何が出来るか、但馬の子供たちのために一回やったら終わりじゃないことをしたいと、飛び出し坊や注意の看板を作っています。去年やったからもういいというのではなくこれからもその活動は続けていきたいと思っています。」
 
大島常務の“見えないところで地域活動をやりたい”というポリシーは、現在では但馬という枠を越え、日本や世界の未来をよくする為に研究する人たちをサポートするまでに広がっています。
日本の将来を但馬から応援する地域密着の経営者、大島常務でした。
 

 
 それにしてもこの斜め45度からくる2人の立ち姿、、すごいなぁ〜 byライターの独り言

絆工房トマト大島常務
絆工房トマト大島常務
元担当者も取材途中でチラシ確認でお邪魔しました

【技能でなく礼儀を重んじる子育て】No.43 嶋崎 学様

絆工房と嶋崎学、嶋崎玖

絆工房と嶋崎学、嶋崎玖
 
4才でスノーボードを始め、数々の大会で入賞した後、今年の6月、弱冠10才にして最年少タイ記録でハーフパイプのプロ認定を受けた天才スノーボーダー嶋崎玖。

スノーボードメーカーのトップブランドBurtonとスポンサー契約を結ぶなど、
”プロ顔負け?いやもう既にプロ”の恐るべし小学6年生がここ豊岡にいます。
今回は、スノーボードで脚光を浴び、夢を実現するために親元を離れ海外で厳しいトレーニングに励む息子玖君を日本で温かく見守るお父様の学さんにスポットライトを当て、人との絆、親子との絆など伺います。    

 


■黒く輝く宝物 「玖」

 

絆工房と嶋崎玖くんの父親学さん



ー笠原:「玖君って珍しい名前ですがお父さんが付けられたんですか?」
 
ー嶋崎さん:「僕が野球をやっていたので、最初は「球」という漢字にしようと思いましたが、最終的には黒く輝く宝物という意味のある「玖」にしました。玖がスノーボードを始めたきっかけは、夫婦でスノーボードのインストラクターをボランティアでしておりまして、神鍋のナイターで滑っているうちに夢中になったようです。」
 
ー笠原:「学校の先生をされていらっしゃるということですが、最近の生徒さんはどうですか?
なにか苦労などあれば教えて下さい。」

 
ー嶋崎さん:「そうですね。こちらが良かれと思ってやることが果たして本当に生徒が求めているものかどうかを常に自問しないといけないと思っています。例えば、もっと学力をつけさせたい!って思うと、必然的に宿題が多くなるのですが、そうなると学校から帰って寝るまでのわずかな時間がすべて宿題に充てられてしまう。「もうやった?もう出来た?」という親の声に子供達は常に追い立てられ、余裕がなくなってしまうんですね。
ですから学力は宿題でカバーするのではなく、授業重視でやっていくことが必要だなと思いますね。また最近は自尊心が低い子が多いような気がします。自信がない事ははじめから自制してしまうんですね。本来、子供は認められたがっているんです。 でも悪いレッテルを一度貼られるといい事も出来なくなってしまう、そんな子が自信をつけることが出来るような場の設定や、僕なりの応援が出来たらと取り組んでいます。」
 

■ 教師と経営者の共通項

 

9890嶋崎玖君

 
ー笠原「そうですね。ある一点だけを見て「あいつは悪い奴だ」とこちらの価値観で判断してその人の全人格までも否定してしまおうとする場合がありますね。人は、親や上司といった上の人間からの指導の仕方によって人間形成されます。商品でも同じです。例えば壊れた商品でもそこに価値を見出すことで売れることがあるんですよ。
お話を伺うと、「人をどう活かしていくか」という部分では先生も経営者も一緒だなと思いました。


子供って好きなゲームがあると親に隠れてでも何時間でもやりますよね。一つ一つクリアしていくゲームの楽しさがあります。同じように勉強も仕事もゲームのごとくすると楽しくなるものです。がむしゃらに何かに没頭するというのは達成感があります。その達成感を体感できることがつまり楽しみになります。人は何によって成長するかというと成長が体感できた時です。

絆工房は、ゲーミフィケーションといって、ゲームをするが如くに仕事をするという経営理念があります。普通、人は休み明けの月曜日は仕事に行くのが憂鬱になりますが、月曜日が待ち遠しくなる会社になるよう環境づくりを整えることを経営者として常に考えています。
嶋崎さんのところはご夫婦で決めた子育てのルールなどあるんでしょうか?」
 

 

■ 目的と目標は違う。人生において大切なこととは

 

9890嶋崎玖君

 
ー嶋崎さん:「そんな大げさなことではないのですが、何か一つのことをこつこつと続けることが自信にもつながると思いますから、4才からずっと日記をつけています。まだ字が書けない幼稚園の頃は、妻がそばで一緒に書いていましたね。
時間がない合宿は終わってからまとめて書いてますが、自分がその日何をしたかを振り返って記録していくという日記は続いてますね。 それから、出来る、出来ないといった技能レベルでは叱りませんが、挨拶や感謝の心を忘れた時には叱ります。


例えば、リフトを降りる時はスタッフの人に「有り難う」と挨拶すること、ボードをぞんざいに扱わない、といったことです。今の息子を育てたのは、なにも私たち親だけでなく色んな人たちが育ててくれました。

多くの人の支えによって自分の今があるということを忘れずにいるということです。夢はオリンピック出場のようですが、そこに至るまでの人との絆を大切にしていって欲しいと思います。オリンピックが目標にはなってほしくないと思います。外国での合宿で出会った様々な国の友達との絆を大切にして欲しいです。そういう友達は玖の人生で本当に財産になると思っています。」

絆工房と嶋崎玖くんの父親学さん


ー笠原:「目標と目的は違いますからね。目標はあくまで通過点に過ぎません。そして人と人との絆は、本能だと思います。脳のクセに” 生きたい”、” 知りたい”、” 仲間になりたい” というのがあるそうです。生きたいと知りたいが結びついて発生したのが科学、知りたいと仲間になりたいで発生したのが文化、そして仲間になりたいと生きたいが結びついてうまれたのが宗教です。

これからの時代は人間力が今まで以上にものをいう時代になります。玖君のように若い時から海外に出て違う価値観を持っ帰ってきてくれる若者がどんどん増えて欲しいと思います。井の中の蛙にならず、よそ者、馬鹿者、変わり者、そして若者が地方や日本の意識をどんどん変えていって欲しい、玖君も是非世界で活躍してそこで学んだ異 文化価値観を日本に持ち帰って新しい風を吹き込 んでほしいですね。有り難うございました。」                       

絆工房 嶋崎玖君

 

皆さんも、応援よろしくお願いします!